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[[紀元前473年]]、[[越]]王[[勾践]]が[[呉 (春秋)|呉]]を滅ぼし、その後北方の琅琊に遷都、[[斉 (春秋)|斉]]、[[晋 (春秋)|晋]]などの諸侯と[[徐州]](現在の[[山東省]][[滕州市]]の南東)にて会盟した。元王は勾践を[[春秋五覇|覇者]]として承認している。
[[紀元前473年]]、[[越]]王[[勾践]]が[[呉 (春秋)|呉]]を滅ぼし、その後北方の琅琊に遷都、[[斉 (春秋)|斉]]、[[晋 (春秋)|晋]]などの諸侯と[[徐州]](現在の[[山東省]][[滕州市]]の南東)にて会盟した。元王は勾践を[[春秋五覇|覇者]]として承認している。


子の姫介([[貞定王 (周)|貞定王]])がその後を継いだ。
子の姫介([[貞定王]])がその後を継いだ。


{{周の王|第27代:前476年 - 前469年}}
{{周の王|第27代:前476年 - 前469年}}

2021年3月29日 (月) 12:19時点における版

元王
第27代王
王朝
在位期間 前476年 - 469年
都城 成周
姓・諱 姫仁
生年 不詳
没年 469年
敬王

元王(げんおう)は、周朝の第27代王。敬王の子。

紀元前473年勾践を滅ぼし、その後北方の琅琊に遷都、などの諸侯と徐州(現在の山東省滕州市の南東)にて会盟した。元王は勾践を覇者として承認している。

子の姫介(貞定王)がその後を継いだ。