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「丁公 (斉)」の版間の差分

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'''丁公'''(ていこう)は[[斉 (春秋)|斉]](姜斉)の第2代公。[[周]]の[[成王 (周)|成王]]が重用し、[[康王 (周)|康王]]の治世では大臣に任命されている。
'''丁公'''(ていこう)は[[斉 (春秋)|斉]](姜斉)の第2代公。[[周]]の[[成王 (周)|成王]]が重用し、[[康王 (周)|康王]]の治世では大臣に任命されている。


丁公の嫡子の季子は、斉公の継承を固辞して弟の[[乙公 (斉)|乙公]]に譲り、自らは崔邑(現在の[[山東省]][[済南市]][[章丘区]])に隠棲して、崔氏の始祖になったと伝えられる。
丁公の嫡子の季子は、斉公の継承を固辞して弟の[[乙公]]に譲り、自らは崔邑(現在の[[山東省]][[済南市]][[章丘区]])に隠棲して、崔氏の始祖になったと伝えられる。


{{姜斉の君主|第2代|前999年頃 - ?}}
{{姜斉の君主|第2代|前999年頃 - ?}}

2021年3月29日 (月) 12:43時点における版

丁公 呂伋
第2代公
王朝
在位期間 前999年頃 - ?
都城 営丘
姓・諱 呂伋
諡号 丁公
生年 不詳
没年 不詳
呂尚

丁公(ていこう)は(姜斉)の第2代公。成王が重用し、康王の治世では大臣に任命されている。

丁公の嫡子の季子は、斉公の継承を固辞して弟の乙公に譲り、自らは崔邑(現在の山東省済南市章丘区)に隠棲して、崔氏の始祖になったと伝えられる。