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スイスの[[バーゼル]]で生まれた。父親はバーゼルの大学教授で、原子の線スペクトルの波長にに現れる関係式([[バルマー系列|バルマーの公式]])を提案した数学者の[[ヨハン・ヤコブ・バルマー]]である。同名の叔父、ヴィルヘルム・バルマー(1837-1907)といとこのヴィルヘルム・フリードリヒ・バルマー(1872-1943)は画家であった。 |
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バーゼルで学校を卒業した後、建築家を目指していたが、バーゼルの美術学校で、フリッツ・シダーに学び、画家のエルンスト・シュトゥッケルベルクに勧められて画家の道に転じた。1884年から1889年まで[[ミュンヘン美術院]]で[[ルートヴィヒ・フォン・レフツ]]に学んだ]<ref>{{ |
バーゼルで学校を卒業した後、建築家を目指していたが、バーゼルの美術学校で、フリッツ・シダーに学び、画家のエルンスト・シュトゥッケルベルクに勧められて画家の道に転じた。1884年から1889年まで[[ミュンヘン美術院]]で[[ルートヴィヒ・フォン・レフツ]]に学んだ]<ref>{{cite web2|title=1884, Antikenklasse|periodical=|publisher=|url=https://matrikel.adbk.de/matrikel/mb_1884-1920/jahr_1884/matrikel-00023|url-status=|format=|access-date=2019-08-04|archive-url=|archive-date=|last=Matrikeldatenbank der Akademie der Bildenden Künste, München|date=|year=|language=|pages=|quote=}}</ref>。ミュンヘンでは多くの画家と交流した。 |
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卒業後は、パリやオランダ、ロンドン、ローマへ旅した。バーゼル近くのBöcktenの学校で絵画教師も務め、壁画画家として知られるエミリオ・ミューラーを教えた。ブルターニュのル・アーヴルを旅した時に結婚相手に出会い、1892年にバーゼルに戻った後、1893年に結婚した。バゼールでは肖像画家として働き、市庁舎などの壁画も描いた。 |
卒業後は、パリやオランダ、ロンドン、ローマへ旅した。バーゼル近くのBöcktenの学校で絵画教師も務め、壁画画家として知られるエミリオ・ミューラーを教えた。ブルターニュのル・アーヴルを旅した時に結婚相手に出会い、1892年にバーゼルに戻った後、1893年に結婚した。バゼールでは肖像画家として働き、市庁舎などの壁画も描いた。 |
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2021年4月15日 (木) 22:24時点における版
ヴィルヘルム・バルマー Wilhelm Balmer | |
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左端がバルマー | |
誕生日 | 1865年6月18日 |
出生地 | スイス、バーゼル |
死没年 | 1922年3月1日 |
死没地 | スイス、Bolligen |
ヴィルヘルム・バルマー(Paul Friedrich Wilhelm Balmer、1865年6月18日 - 1922年3月1日)はスイスの画家である。
略歴
スイスのバーゼルで生まれた。父親はバーゼルの大学教授で、原子の線スペクトルの波長にに現れる関係式(バルマーの公式)を提案した数学者のヨハン・ヤコブ・バルマーである。同名の叔父、ヴィルヘルム・バルマー(1837-1907)といとこのヴィルヘルム・フリードリヒ・バルマー(1872-1943)は画家であった。
バーゼルで学校を卒業した後、建築家を目指していたが、バーゼルの美術学校で、フリッツ・シダーに学び、画家のエルンスト・シュトゥッケルベルクに勧められて画家の道に転じた。1884年から1889年までミュンヘン美術院でルートヴィヒ・フォン・レフツに学んだ][1]。ミュンヘンでは多くの画家と交流した。 卒業後は、パリやオランダ、ロンドン、ローマへ旅した。バーゼル近くのBöcktenの学校で絵画教師も務め、壁画画家として知られるエミリオ・ミューラーを教えた。ブルターニュのル・アーヴルを旅した時に結婚相手に出会い、1892年にバーゼルに戻った後、1893年に結婚した。バゼールでは肖像画家として働き、市庁舎などの壁画も描いた。
1902年から1908年はフィレンツェやスペインで活動し、1908年からはベルンで活動し、1914年には1912年に亡くなったアルベルト・ヴェルティが5面のうち2面を未完のまま残した、スイス連邦院会議室の壁画「Die Landesgemeinde」を完成させた。
作品
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バーゼル市庁舎の壁画
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同左、描かれているのはマリニャーノの戦いの英雄、Hans Bär
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Rudolf von Tavel(作家)と妻
脚注
- ^ Matrikeldatenbank der Akademie der Bildenden Künste, München. "1884, Antikenklasse". 2019年8月4日閲覧。
参考文献
- Stephan E. Hauser: Balmer, Paul Friedrich Wilhelm. In: Sikart
- Hans Vollmer: Balmer, Wilhelm. In: Ulrich Thieme, Felix Becker (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 2: Antonio da Monza–Bassan. Wilhelm Engelmann, Leipzig 1908, S. 422 (Textarchiv – Internet Archive).
- Wilhelm Balmer: In seinen Erinnerungen. Herausgegeben von Francis Kervin: Erlenbach-Zürich u. Leipzig: Rotapfel-Verlag 1924
- Wilhelm Balmer: Wilhelm Balmers Erinnerungen. In: Die Kunst für alle: Malerei, Plastik, Graphik, Architektur. Jg. 40, Heft 8 (Mai 1925), S. 241–242 (digi.ub.uni-heidelberg.de).
- Ausst.-Kat.: Ernst Kreidolf und seine Malerfreunde. Bern/Konstanz (Kunstmuseum Bern/Städt. Wessenberg-Galerie) 2006/2007.
- Ausst.-Kat.: Idylle auf Zeit. Malerferien am Untersee 1880 bis 1914. Konstanz (Städt. Wessenberg-Galerie) 2009.