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「オギュン・サマスト」の版間の差分

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サマストは、[[トラブゾン]]の{{仮リンク|デュズキョイ|en|Düzköy}}で、長く両親と住んでいた。サマストの父親は、犯人が息子であることに気づき、警察に通報した<ref name="Radikal">{{Cite web|url=http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20070202_184736.html|title=ディンク暗殺犯、軍警察署で英雄扱い -アタテュルクの言葉をバックに写真撮影 2007年02月02日付 Radikal紙|publisher=東京外国語大学|accessdate=2019-11-01}}</ref>。犯行から36時間後の[[1月20日]]午後11時ころ、トラブゾン行きのバスの車中にいたサマストは、[[サムスン (都市)|サムスン]]のバスターミナルにおいて軍警察に逮捕され、日付が変わった午前2時ころにサムスン警察署へ連行され、さらに明け方には特別機でイスタンブールへ連行された<ref name="Radikal" />。
サマストは、[[トラブゾン]]の{{仮リンク|デュズキョイ|en|Düzköy}}で、長く両親と住んでいた。サマストの父親は、犯人が息子であることに気づき、警察に通報した<ref name="Radikal">{{Cite web|url=http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20070202_184736.html|title=ディンク暗殺犯、軍警察署で英雄扱い -アタテュルクの言葉をバックに写真撮影 2007年02月02日付 Radikal紙|publisher=東京外国語大学|accessdate=2019-11-01}}</ref>。犯行から36時間後の[[1月20日]]午後11時ころ、トラブゾン行きのバスの車中にいたサマストは、[[サムスン (都市)|サムスン]]のバスターミナルにおいて軍警察に逮捕され、日付が変わった午前2時ころにサムスン警察署へ連行され、さらに明け方には特別機でイスタンブールへ連行された<ref name="Radikal" />。


[[1月21日]]になって、逮捕後のサマストが「国土は神聖である。われわれはあきらめてはならない」という[[ムスタファ・ケマル・アタテュルク|アタテュルク]]の言葉が記されたトルコ国旗の下でスターのようにポーズを取っている写真が通信社から配信された<ref name="Radikal" />。様々な憶測が飛び交い、警察への批判が高まって調査が進められた結果、サムスンの軍警察の隊員や将校たちが、サマストを英雄扱いして記念写真を撮っていたことが明らかにされた<ref name="Radikal" /><ref>{{Cite web|url=https://www.independent.co.uk/news/world/europe/turkish-police-posed-for-picture-with-killer-of-armenian-journalist-434814.html|title=Turkish police posed for picture with killer of Armenian journalist|publisher=Independent|first=Peter|last=Popham|date=2007-02-03|accessdate=2019-11-01|language=en}}</ref>。サマストと写真に収まった警官のひとりは、[[2012年]]に[[マラティヤ]]の警察署長になった<ref>{{Internetquelle|url=http://www.agos.com.tr/haber.php?seo=samastla-bayrakli-hatira-fotografi-kariyerinde-mihenk-tasi&haberid=997|titel=Samast'la bayraklı hatıra fotoğrafı kariyerinde mihenk taşı|zugriff=2013-06-19|archiv-url=https://web.archive.org/web/20131029185840/http://www.agos.com.tr/haber.php?seo=samastla-bayrakli-hatira-fotografi-kariyerinde-mihenk-tasi&haberid=997|archiv-datum=2013-10-29|offline=ja|archiv-bot=2019-05-04 21:27:51 InternetArchiveBot}}</ref>。
[[1月21日]]になって、逮捕後のサマストが「国土は神聖である。われわれはあきらめてはならない」という[[ムスタファ・ケマル・アタテュルク|アタテュルク]]の言葉が記されたトルコ国旗の下でスターのようにポーズを取っている写真が通信社から配信された<ref name="Radikal" />。様々な憶測が飛び交い、警察への批判が高まって調査が進められた結果、サムスンの軍警察の隊員や将校たちが、サマストを英雄扱いして記念写真を撮っていたことが明らかにされた<ref name="Radikal" /><ref>{{Cite web|url=https://www.independent.co.uk/news/world/europe/turkish-police-posed-for-picture-with-killer-of-armenian-journalist-434814.html|title=Turkish police posed for picture with killer of Armenian journalist|publisher=Independent|first=Peter|last=Popham|date=2007-02-03|accessdate=2019-11-01|language=en}}</ref>。サマストと写真に収まった警官のひとりは、[[2012年]]に[[マラティヤ]]の警察署長になった<ref>{{cite web2|title=Samast'la bayraklı hatıra fotoğrafı kariyerinde mihenk taşı|periodical=|publisher=|url=http://www.agos.com.tr/haber.php?seo=samastla-bayrakli-hatira-fotografi-kariyerinde-mihenk-tasi&haberid=997|url-status=ja|format=|access-date=2013-06-19|archive-url=https://web.archive.org/web/20131029185840/http://www.agos.com.tr/haber.php?seo=samastla-bayrakli-hatira-fotografi-kariyerinde-mihenk-tasi&haberid=997|archive-date=2013-10-29|last=|date=|year=|language=|pages=|quote=}}</ref>。


オギュン・サマストは、「ディンクがトルコ人を侮辱したので殺した」と語り<ref name="Radikal" />、[[民族主義]]的感情が暴力行為の動機であったと述べた。
オギュン・サマストは、「ディンクがトルコ人を侮辱したので殺した」と語り<ref name="Radikal" />、[[民族主義]]的感情が暴力行為の動機であったと述べた。


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判決の翌日[[7月26日]]付の『[[ヒュッリイェト]]』紙英語版は、「引き金を引いた人を捕まえるだけでは不十分...引き金を引かせた人を裁くべきだ」とし、未成年であることを理由に減刑した判決を茶番劇だとする、被害者ディンクの友人ユスフ・カンリの寄稿を掲載した<ref name="koba" />。
判決の翌日[[7月26日]]付の『[[ヒュッリイェト]]』紙英語版は、「引き金を引いた人を捕まえるだけでは不十分...引き金を引かせた人を裁くべきだ」とし、未成年であることを理由に減刑した判決を茶番劇だとする、被害者ディンクの友人ユスフ・カンリの寄稿を掲載した<ref name="koba" />。

2021年4月15日 (木) 22:28時点における版

オギュン・サマスト(Ogün Samast、1990年6月28日[1][2] - )は、イスタンブールユスキュダルに生まれたトルコの活動家で、アルメニア系トルコ人英語版ジャーナリストのフラント・ディンク殺害した犯人。サマストは、2007年1月19日に、イスタンブールにある『アゴス (Agos)』紙の編集部の前でディンクを殺害し、「俺は不信心者を撃った」と叫んだ[3][4]

サマストは、トラブゾンデュズキョイ英語版で、長く両親と住んでいた。サマストの父親は、犯人が息子であることに気づき、警察に通報した[5]。犯行から36時間後の1月20日午後11時ころ、トラブゾン行きのバスの車中にいたサマストは、サムスンのバスターミナルにおいて軍警察に逮捕され、日付が変わった午前2時ころにサムスン警察署へ連行され、さらに明け方には特別機でイスタンブールへ連行された[5]

1月21日になって、逮捕後のサマストが「国土は神聖である。われわれはあきらめてはならない」というアタテュルクの言葉が記されたトルコ国旗の下でスターのようにポーズを取っている写真が通信社から配信された[5]。様々な憶測が飛び交い、警察への批判が高まって調査が進められた結果、サムスンの軍警察の隊員や将校たちが、サマストを英雄扱いして記念写真を撮っていたことが明らかにされた[5][6]。サマストと写真に収まった警官のひとりは、2012年マラティヤの警察署長になった[7]

オギュン・サマストは、「ディンクがトルコ人を侮辱したので殺した」と語り[5]民族主義的感情が暴力行為の動機であったと述べた。

2011年7月25日、オギュン・サマストはイスタンブールの少年裁判所において、殺人と武器不法所持の罪により、禁錮22年10カ月[8][9][10]、一部の報道では22年半、ないし21年半ともいわれる刑期を言い渡された[11]。裁判では終身刑も検討されたが、未成年であることを考慮した刑期となった[11]

判決の翌日7月26日付の『ヒュッリイェト』紙英語版は、「引き金を引いた人を捕まえるだけでは不十分...引き金を引かせた人を裁くべきだ」とし、未成年であることを理由に減刑した判決を茶番劇だとする、被害者ディンクの友人ユスフ・カンリの寄稿を掲載した[11]

さらに7月27日付の『ザマン (Zaman)』紙が掲載したインタビューで、サマストの父親は、息子は殺人計画に使われただけだとして、「息子は銃を撃ったときはほんの17歳だった...この禁固刑は重過ぎる」と述べた[11]

2016年12月、高等裁判所の審理の際に、オギュン・サマストは、独房に収監されている刑務所において、12月1日に刑務官から虐待を受け、自殺を強要されたとする直筆のメモを新聞記者に渡し、これはサマストの妻を介して裁判長に渡り、サマストが獄中で度々虐待されている疑いが浮上した[12]。このため、裁判長の求めに応じてサマストは別の刑務所へと移送された[12]

脚注

  1. ^ Katil zanlısı yakalandı” (トルコ語). Hürriyet (2007年1月20日). 2019年11月1日閲覧。
  2. ^ Hrant Dink murder suspect caughtı” (英語). BBC (2007年1月21日). 2019年11月1日閲覧。
  3. ^ Pro-Armenian journalist shot dead in Turkey. In: Daily Telegraph, 21. Januar 2007
  4. ^ Turkish-Armenian editor shot dead in Istanbul. Reuters, 19. Januar 2007 (via Yahoo)
  5. ^ a b c d e ディンク暗殺犯、軍警察署で英雄扱い -アタテュルクの言葉をバックに写真撮影 2007年02月02日付 Radikal紙”. 東京外国語大学. 2019年11月1日閲覧。
  6. ^ Popham, Peter (2007年2月3日). “Turkish police posed for picture with killer of Armenian journalist” (英語). Independent. 2019年11月1日閲覧。
  7. ^ "Samast'la bayraklı hatıra fotoğrafı kariyerinde mihenk taşı". 2013年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月19日閲覧 {{cite web}}: 引数|url-status=jaは不正です。 (説明)
  8. ^ "En Bref : Turquie - Un tribunal d'Istanbul a condamné à vingt-trois ans de prison le meurtrier du journaliste turc d'origine arménienne Hrant Dink". Libération. 26 July 2011. 2011年10月1日閲覧
  9. ^ "Turkey: Sentence in Editor's Death" (英語). BBC News. 25 July 2011. 2011年10月1日閲覧
  10. ^ Sebnem Arsu (25 July 2011). "Hrant Dink murder: Turk Ogun Samast jailed" (英語). The New York Times. 2011年10月1日閲覧
  11. ^ a b c d 小林恭子 (2011年8月2日). “小林恭子の英国メディア・ウオッチ/トルコで、殺害された新聞編集長の犯人に20年余の禁固刑”. 小林恭子. 2019-11-0閲覧。
  12. ^ a b Hrant Dink'in katili Ogün Samast tek kişilik hücreye alındı” (トルコ語). CNN.com TURK (2018年12月11日). 2019年11月11日閲覧。