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「インド鉄道WCP1形電気機関車」の版間の差分

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== 概要 ==
== 概要 ==
GIPRの路線網の電化計画は[[1922年]]から始まったが、その中で[[西ガーツ山脈]]を越える山岳路線で急行列車を牽引可能かつ最高速度137km/h(毎時85マイル)と言う高性能の旅客用電気機関車が必要となった。そこでGIPRは[[1923年]]にメーカーが異なる3種類の電気機関車をサンプルとして輸入し、性能試験を実施した。その中で最も良い評価が与えられ、量産が決定したのが[[スイス・ロコモティブ・アンド・マシン・ワークス|SLM]]社と[[メトロポリタン=ヴィッカース]](電装機器)が手掛けたEA/1形電気機関車である<ref>{{Literatur|Autor=Jakob Buchli|Titel=Universal-Antrieb "Winterthur" für elektrische Lokomotiven|Herausgeber=|Sammelwerk=Schweizerische Bauzeitung|Band=Band 90|Nummer=23|Auflage=|Verlag=|Ort=|Jahr=1927|Seiten=294–296|ISBN=|DOI=10.5169/seals-41817}}</ref><ref name="EF1_1">{{Literatur|Autor=Mitteilung der SLM|Titel=Neuerungen im mechanischen Aufbau elektrischer Schnellzuglokomotiven|Herausgeber=|Sammelwerk=Schweizerische Bauzeitung|Band=Band 89|Nummer=13|Auflage=|Verlag=|Ort=|Jahr=1927|Seiten=174–175|ISBN=|DOI=10.5169/seals-41673}}</ref>。
GIPRの路線網の電化計画は[[1922年]]から始まったが、その中で[[西ガーツ山脈]]を越える山岳路線で急行列車を牽引可能かつ最高速度137km/h(毎時85マイル)と言う高性能の旅客用電気機関車が必要となった。そこでGIPRは[[1923年]]にメーカーが異なる3種類の電気機関車をサンプルとして輸入し、性能試験を実施した。その中で最も良い評価が与えられ、量産が決定したのが[[スイス・ロコモティブ・アンド・マシン・ワークス|SLM]]社と[[メトロポリタン=ヴィッカース]](電装機器)が手掛けたEA/1形電気機関車である<ref>{{citation2|surname1=Jakob Buchli|periodical=Schweizerische Bauzeitung|title=Universal-Antrieb "Winterthur" für elektrische Lokomotiven|volume=Band 90|issue=23|year=1927|at=pp.&nbsp;294–296|language=de|doi=10.5169/seals-41817
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機関車は3つの個別に駆動する[[動輪]]と、挟む形で一端に2軸、もう一端に1軸の[[従輪]]を有する。ただし動輪は2軸のボギー台車と1軸の従輪と組み合わせた台車に分かれており、車軸配置はUIC式で"2’Bo(A1)'"、日本国鉄式で"2BA1"と表記される。SLM社が開発した[[カルダン駆動方式|ユニバーサル駆動方式]]が初めて採用され、電動機はボンベイで頻発する洪水に備え箱型車体内部の高位置に設置されていた{{r|EF1_1}}。
機関車は3つの個別に駆動する[[動輪]]と、挟む形で一端に2軸、もう一端に1軸の[[従輪]]を有する。ただし動輪は2軸のボギー台車と1軸の従輪と組み合わせた台車に分かれており、車軸配置はUIC式で"2’Bo(A1)'"、日本国鉄式で"2BA1"と表記される。SLM社が開発した[[カルダン駆動方式|ユニバーサル駆動方式]]が初めて採用され、電動機はボンベイで頻発する洪水に備え箱型車体内部の高位置に設置されていた{{r|EF1_1}}。
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== EA/2形→WCP-2形 ==
== EA/2形→WCP-2形 ==
[[1938年]]に1両が製造された旅客用直流電気機関車。基本的な構造はEA/1形(WCP-1形)と同様だが別の形式名が与えられた。インドへの輸送は車体や台車などの機器を一旦分離したうえで行われ、到着後現地工場で再度の組み立てが行われた<ref>{{Literatur|Autor=|Titel=Lokomotiv-Transport Winterthur-Bombay|Herausgeber=|Sammelwerk=Schweizerische Bauzeitung|Band=Band 112|Nummer=8|Auflage=|Verlag=|Ort=|Jahr=1938|Seiten=90–91|ISBN=|DOI=10.5169/seals-49905}}</ref>。
[[1938年]]に1両が製造された旅客用直流電気機関車。基本的な構造はEA/1形(WCP-1形)と同様だが別の形式名が与えられた。インドへの輸送は車体や台車などの機器を一旦分離したうえで行われ、到着後現地工場で再度の組み立てが行われた<ref>{{citation2|periodical=Schweizerische Bauzeitung|title=Lokomotiv-Transport Winterthur-Bombay|volume=Band 112|issue=8|year=1938|at=pp.&nbsp;90–91|language=de|doi=10.5169/seals-49905
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インド独立後は形式名を'''WCP2形'''に改め、1980年代まで使用された{{r|24coaches}}。
インド独立後は形式名を'''WCP2形'''に改め、1980年代まで使用された{{r|24coaches}}。

2021年4月16日 (金) 09:32時点における最新版

グレート・インディアン・ペニンシュラ鉄道EA/1形直流電気機関車
インド鉄道WCP1形電気機関車
保存中の4006号機 製造当時の塗装に復元されている
保存中の4006号機
製造当時の塗装に復元されている
基本情報
運用者 イギリス領インド帝国の旗グレート・インディアン・ペニンシュラ鉄道(GIPR)英語版
  ↓
インドの旗インド鉄道
製造所 スイス・ロコモティブ・アンド・マシン・ワークス(SLM)メトロポリタン=ヴィッカース
製造年 1928年 - 1930年
製造数 22両
引退 1980年代
主要諸元
軸配置 2’Bo(A1)'
軌間 1,676mm
電気方式 直流 1,500V
全長 16,300mm
自重 100.0t
車輪径 1,219mm
軸重 20.5t
主電動機出力 478kW(650HP)
設計最高速度 137km/h
出力 1,562kW(2,124PS)
定格出力 1,368kw(1,860PS)
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WCP-1形直流電気機関車(WCP-1がたちょくりゅう でんききかんしゃ)は、イギリス領インド帝国時代の1928年グレート・インディアン・ペニンシュラ鉄道(GIPR)英語版が導入し、インド独立後はインド鉄道が所有した旅客用直流電気機関車。導入時の形式名称はEA/1形であった。この項目では、EA/1形と同時に輸入したWCP-3形(EB/1形)、WCP-4形(EC/1形)および1938年に製造されたWCP-2形(EA/2形)電気機関車についても解説する。

概要[編集]

GIPRの路線網の電化計画は1922年から始まったが、その中で西ガーツ山脈を越える山岳路線で急行列車を牽引可能かつ最高速度137km/h(毎時85マイル)と言う高性能の旅客用電気機関車が必要となった。そこでGIPRは1923年にメーカーが異なる3種類の電気機関車をサンプルとして輸入し、性能試験を実施した。その中で最も良い評価が与えられ、量産が決定したのがSLM社とメトロポリタン=ヴィッカース(電装機器)が手掛けたEA/1形電気機関車である[1][2]

機関車は3つの個別に駆動する動輪と、挟む形で一端に2軸、もう一端に1軸の従輪を有する。ただし動輪は2軸のボギー台車と1軸の従輪と組み合わせた台車に分かれており、車軸配置はUIC式で"2’Bo(A1)'"、日本国鉄式で"2BA1"と表記される。SLM社が開発したユニバーサル駆動方式が初めて採用され、電動機はボンベイで頻発する洪水に備え箱型車体内部の高位置に設置されていた[2]

運用[編集]

1928年に最初の車両が導入されて以降、急行列車を始めとする旅客列車の牽引に用いられた。インド初の全区間電気機関車牽引の速達列車となったデカン・クイーン急行英語版の一番列車(1930年6月1日)にも使用され、牽引機の4006号機には当時のボンベイ知事の名であるローレンス・ラムリーの愛称が付けられた[3]

インド独立後、形式名がWCP-1形に変更されて以降も1980年代まで活躍し、上記の4006号機が登場時の塗装・番号に戻された上で国立鉄道博物館に保存されている[4]。なお、「WCP」は「広軌(W)直流(C)旅客用(P)電気機関車」と言う意味である[5]

EA/2形→WCP-2形[編集]

1938年に1両が製造された旅客用直流電気機関車。基本的な構造はEA/1形(WCP-1形)と同様だが別の形式名が与えられた。インドへの輸送は車体や台車などの機器を一旦分離したうえで行われ、到着後現地工場で再度の組み立てが行われた[6]

インド独立後は形式名をWCP2形に改め、1980年代まで使用された[4]

EB/1形→WCP3形、EC/1形→WCP4形[編集]

EA/1形と共にGIPRがサンプルとして1両ずつ輸入した旅客用直流電気機関車。EB/1形はホーソン・レスリーゼネラル・エレクトリック・カンパニー(電装機器)が製造しクイル式駆動方式を用いた車両、EC/1形はホーソン・レスリーとブラウン・ボベリ(電装機器)が製造しブフリ式駆動方式を採用した機関車で、双方とも車軸配置はUIC式で"2'Co2'"であった[7]

両車とも量産はされなかったが、インド独立後もそれぞれWCP-3形WCP-4形と形式名を改め1960年代まで使用された。

脚注[編集]

  1. ^ Jakob Buchli (1927), "Universal-Antrieb "Winterthur" für elektrische Lokomotiven", Schweizerische Bauzeitung (ドイツ語), vol. Band 90, no. 23, pp. 294–296, doi:10.5169/seals-41817
  2. ^ a b Mitteilung der SLM (1927), "Neuerungen im mechanischen Aufbau elektrischer Schnellzuglokomotiven", Schweizerische Bauzeitung (ドイツ語), vol. Band 89, no. 13, pp. 174–175, doi:10.5169/seals-41673
  3. ^ Side view of the black beauty 2019年1月15日閲覧
  4. ^ a b "The Electric Locomotive Roster: DC & AC/DC Electrics". 24 Coaches (アメリカ英語). 18 October 2014. 2019年1月15日閲覧
  5. ^ 石田周二、笠井健次郎『交通ブックス 124 電気機関車とディーゼル機関車』成山堂書店、2015年6月、75頁。ISBN 978-4-425-76231-6 
  6. ^ "Lokomotiv-Transport Winterthur-Bombay", Schweizerische Bauzeitung (ドイツ語), vol. Band 112, no. 8, pp. 90–91, 1938, doi:10.5169/seals-49905
  7. ^ Diesel and Electric Locomotive Specifications 2019年1月15日閲覧