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「上泉雄一の発信!UWAらじお」の版間の差分

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2021年4月18日 (日) 11:20時点における版

上泉雄一の発信!UWAらじお』(うわいずみゆういちのはっしん!うわらじお)は、MBSラジオで 2006年度のナイターオフシーズン(2006年10月3日2007年3月)に放送されたラジオ番組毎日放送アナウンサー上泉雄一が、入社15年目(当時)で初めて持つ冠番組であった。本ページでは、2007年10月から半年間放送された『上泉雄一のUWAらじお シーズン2』も取り上げる。

概要

上泉は、MBSテレビの情報番組『ちちんぷいぷい』(以下『ぷいぷい』)の中継リポーターや、生放送番組(『あん!』『っちゅ~ねん!』『ぷいぷい』)での総合司会などを担当。当番組で初めて、ラジオ番組のメインパーソナリティに起用された。

当番組では基本として、放送当日に起こった政治経済社会スポーツ芸能などのニュースを、上泉の軽快なトークで振り返る趣向になっていた。ただし実際には、生放送を通じて、アシスタントやレギュラー出演者(後述)が個性を存分に発揮。トークやコーナーの合間には、リスナーからのメッセージを随時紹介したり、上泉お勧めのアルバム(コンピレーション・アルバムなど)に収録されている楽曲を少しずつ放送したりした。

ちなみに、2008年度のナイターオフには、当番組と同じ時間帯で『上泉雄一のFANFANレディオ』を放送。しかし、局内の事情で内容を一新したため、当番組のレギュラー出演者は上泉を除いて起用されなかった。[1]

2006年度「上泉雄一の発信!UWAらじお」(シーズン1)

放送時間

毎週火曜日金曜日18:15~20:00

出演者

パーソナリティ

  • 上泉雄一(毎日放送アナウンサー)
    • 当番組開始当時の主な出演番組は、『ぷいぷい』(月曜日にコーナー進行、金曜日に総合司会)と、土曜日放送のテレビ番組『せやねん!』(コーナー進行)。金曜日には、『ぷいぷい』で4時間の生放送(当時)を取り仕切ってから、当番組に出演していた。他の曜日でも、『ぷいぷい』の中継やVTR取材での滞在先から毎日放送の本社に戻ると、すぐに当番組の生放送に臨むことが少なからずあった(後述)。
    • シーズン1の終了と同時に『ぷいぷい』のレギュラーを卒業。[2]2007年の4月から、シーズン2が始まる直前(同年9月末)までは、MBSラジオで『上泉雄一の日曜スポーツ宣言!』のパーソナリティを務めた。

アシスタント

  • う〜み(火・水曜担当)
    • 「歌う旅芸人」を自称するシンガーソングライターで、高知県を拠点に活動。絶対音感と極度の天然キャラクターの持ち主で、当番組にはキーボードを持参することが多かった。
    • CS放送の番組で阪神タイガースの安芸春季キャンプリポーターを務めたことを機に、2005年から2008年3月まで、MBSラジオで『唐渡吉則のOH!艶歌』にアシスタントとして出演。当番組への出演が始まってからも、飛行機で高知と大阪を往復する生活を送っていた。
  • 大塚由美(木・金曜担当)
    • 関西のFM局を中心に活動するDJで、ニックネームは“ゆ~みん”。2001年秋から1年半DJを休業するなど、海外への一人旅が好き(後述)。
    • 当番組に出演しない月~水曜日には、FM大阪の生放送番組『もぐもぐ』(8:20-10:55、2007年3月末に放送終了)に、川村龍一のパートナーとして出演。事前収録で、グルメコーナーの取材も担当していた。

レギュラー

  • バーバラよね(金曜)
    • 当番組では、ディレクターや構成作家も兼務。上泉とaikoがパーソナリティを務めたMBSラジオの深夜番組『ヤンタン MUSIC MAX』(1997年10月~99年9月)の火曜日にも、スタッフ兼出演者として参加していた。
    • 金曜日以外の放送でも、上泉やう~みがスタジオにいない時には、代役で放送に出ることがあった。
      • 当番組の開始前から決まっていたドバイへの演奏旅行で、う~みが1週間ほど当番組を欠席した時(2006年11月、う~みは現地の日本人学校などを訪問)。
      • ビリー・ジョエルのコンサートへ向かうために、上泉が当番組の放送を途中で退席した時(後述、2006年12月)。
      • 『ぷいぷい』の取材で新潟に滞在した上泉が、新潟空港で足止めを食らって帰阪できなくなった時(後述、2007年3月)。

準レギュラー

  • ピーコ(月1回、火曜、オープニング明けから19時過ぎまで出演)
    • 上泉が2005年度に司会を務めた『っちゅ~ねん!』の月曜日にレギュラー出演。MBSテレビが2006年4月改編で同番組の放送枠を『ぷいぷい』に吸収させたのを機に、『ぷいぷい』火曜日にオープニングから途中までレギュラーで出演するようになった。(2009年4月からは、木曜日のオープニングからエンディングまで出演)
    • 当番組の放送直前までパネリストとして『ぷいぷい』に出演していた諸星裕小宮一慶が、当番組にも不定期で登場することがあった(いずれも19時過ぎまで)。

主なコーナー

「 」内は放送で使われたタイトル

  • 「う~みの音は友達」(火・水曜)
    • 火曜日には、う~みがさまざまなジャンルの音や曲をキーボードで演奏。水曜日には、自作の歌や童謡を披露したり、ポップスをカバーで歌ったりしていた。しかし実際には、上泉を呆れさせるほどの迷言や珍エピソードを、数多く残している(後述)。
    • 2007年3月25日には、MBSラジオの『MBSサンデースペシャル』で、当コーナーの特別番組「う~みの音はともだち・番外編」を1時間にわたって放送。う~みがパーソナリティとして出演した。
    • う~みは、シーズン1の放送終了直後(2007年4月8日)に、京都市で自己初の単独ライブ「う~みの音は友達 スペシャルライブ」を開催。当番組や毎日放送が運営に関与していないにもかかわらず、当コーナーでの告知から、前売券が早々に完売。追加で立ち見券を発売するほどの盛況を見せた。
  • 「大塚由美のどこまでも行こう」(木曜)
    • 海外への一人旅を趣味にしている大塚が、アジアアフリカ諸国を中心に、今まで訪れた国・地域での経験や珍しい習慣などを紹介。安全で快適な旅を好む上泉にも、長期の一人旅を勧めた。しかし、あまりにも強烈な体験談を立て続けに披露したため、上泉の興味を引くまでには至らなかった。
  • 「映画の泉」(金曜)
    • 上泉お勧めの映画を、毎週1本紹介。試写会で見た新作映画を紹介することが多かった。
    • 当コーナーは、タイトルや内容を変えながら、『上泉雄一のFANFANレディオ』まで3期にわたって続いた。(『FANFANレディオ』では、木曜日に「FANFAN映画研究会」として放送)
  • 「バーバラよねのネタは友達」(金曜)
    • 放送日までに海外から入ってきたB級ニュースを、バーバラならではの視点で取り上げるコーナー。バーバラがニュースの見出しを紹介してから、上泉や大塚が興味を示した見出しのニュースを、バーバラが詳しく語る趣向になっていた。
  • 「目指せ連勝!!馬泉」(金曜)
    • 競馬の好きな上泉、競馬に詳しいバーバラ、競馬初心者の大塚が、週末に開催される競馬のメインレースでの勝ち馬を、それぞれの立場から予想するコーナー。バーバラが予想に熱弁を振るったり、中央競馬以外のレースを予想したこともあった。
    • 『上泉雄一のFANFANレディオ』でも、金曜日に同じ趣旨のコーナー「FANFANスポーツ・競馬の星」が放送された。ただし、バーバラと大塚は登場していない。

番組グッズ

  • オリジナル手ぬぐい(UWAぬぐい)
    • 上泉が『ちちんぷいぷい』の中継や取材で近畿地方を離れた時には、中継・取材の合間に購入した“ご当地プリッツ”を、リスナーへのプレゼントに提供することがあった。

主な出来事・エピソード

  • 2006年12月6日には、上泉が学生時代からの大ファンであるビリージョエルのコンサート(京セラドーム大阪)と、当番組の放送が重なった。上泉は番組の冒頭で、「冠番組を持つ事も私の夢だったが、今日もう一つの夢が叶おうとしている」と発言。「この番組のオファーをもらったときに、プロデューサーに相談して、ちゃんと了解をもらっている」「体は京セラドーム大阪だけど、魂はスタジオに残していく」との言葉を残して、放送開始から30分でスタジオから退席。そのまま、京セラドーム大阪で上記のコンサートを堪能した。 なお、上泉が退席してからは、バーバラとう~みでエンディングまで番組を進めている。
  • 2007年3月13日(火曜日)には、上泉とう~みがスタジオに登場しなかったため、上泉の上司に当たる伊東正治毎日放送の元・アナウンサーで、当時はラジオ編成部長)とバーバラが番組を進行する事態になった。
    • う~みは当初から、別の仕事で放送を休んでいた(放送でも事前告知済み)。
    • 上泉は当日、午前中から『ぷいぷい』の取材で新潟へ出張。泉田裕彦新潟県知事)に取材した後で、新潟空港から飛行機で帰阪して、そのまま当番組に出演する予定だった。ところが、同日発生した全日空機高知空港胴体着陸事故の影響で、新潟発の飛行機が欠航。
    • 以上の事情により、当日の放送は、オープニングから伊東正治が途中まで出演。学生時代に伊東の下で仕事をしたバーバラとともに番組を進めた。[3]伊東が他の仕事の都合で退席してからは、バーバラだけでエンディングまで放送を続けている。
    • なお上泉は、放送中に新潟空港から電話で登場。翌日には帰阪して、通常どおり番組に出演した。

特別番組「ちょいUWAらじお」

放送日・時間

2007年4月30日20:15~21:00(『MBSマンデースペシャル』枠)

出演者

  • 上泉雄一
  • う〜み
  • 大塚由美

主な内容

  • 多数のリスナーからシーズン2の放送を期待されるほどの好評を受けて、シーズン1の終了1ヶ月後に生放送。CMや音楽を流さずに、3人で45分間ひたすらトークを展開していた。

2007年度「上泉雄一のUWAらじお シーズン2」

放送時間

毎週火曜日金曜日18:30~21:00

  • MBSラジオでは、同年度のナイターオフ編成で、毎日放送の若手・中堅アナウンサー主体の番組レーベル『MBSどっと!アナ』を火~日曜の夜間に新設。それと同時に、前年度まで火~金曜の20時台で放送していたTBSラジオ制作番組のネット受けを終了した。以上の編成の影響で、発信!UWAらじおから放送曜日を減らした一方、1回あたりの放送時間が45分拡大した。
  • 前年度と同様に、『MBSタイガースナイタースペシャル』でプロ野球を中継する場合には、放送を休止した。
  • 2008年には、1月1日から通常どおり放送。翌日には、MBSラジオの正月特別番組として、午前中から「上泉雄一のお正月スペシャル」が放送された。

出演者

パーソナリティ

  • 上泉雄一(MBSアナウンサー)

アシスタント

  • う〜み(火曜)
  • 大塚由美(金曜)

レギュラー

  • バーバラよね(金曜)

準レギュラー

  • “井上師匠”(2007年12月~、月に1~2回、火曜日の「ゴールドジムのコーナー」のみ出演)
    • ゴールドジムのインストラクター。上泉がプライベートでアドバイスを受けているため、放送上“師匠”と呼ばれた。ボディビルダーとして、数々の大会に出場している。
  • ピーコ(2008年1月~、月1回、火曜日のオープニング明けから19時半頃まで出演)
    • 上泉が当時『ぷいぷい』から離れていたにもかかわらず、シーズン1に続いて、当番組の本番直前まで『ぷいぷい』に出演していたパネリスト(諸星裕小宮一慶渡辺正行など)が不定期で登場することがあった(いずれも19時半頃まで)。
  • MBSラジオでレギュラー番組を持っている加藤ヒロユキ(テノール歌手)が、火曜日のゲストとして数回出演したことがある。[4]

主なコーナー

「 」内は放送で使われたタイトル

火曜日

  • 「泉屋書店」
    • 上泉が自信をもってお勧めできる新刊本(主に小説)を、毎週1冊紹介するコーナー。上泉が事実上1人で進行した。
    • 『上泉雄一のFANFANレディオ』でも、同じ趣向で、水曜日に「週間・UWA・BOOKS」が放送された。
  • 「う~みの音は友達」
    • シーズン2の開始当初は、アシスタントとしての能力を高める名目で、う~みにスタジオの外からの中継リポートなどを経験させた。しかし、すぐに前年度と同じ内容に戻っている。
    • 2008年1月からは、う~みが作曲した「プリン」(小籔千豊が"こやぶかずとよ"名義で発表したCDデビュー曲、同年2月20日から関西地区・高知県限定で発売)を、毎週のように紹介。[5]発売前日(2月19日)には、毎日放送本社近くでのインストアライブ(タワーレコードNU茶屋町店)で「プリン」をキーボードで演奏してから、通常よりやや遅い時間に当番組へ登場した。
    • う~みは、2008年3月20日に、兵庫県尼崎市で自身2度目の単独ライブ「う~みの音は友達・スペシャルライブ シーズン2」を開催した(運営形態は前回と同じ)。ライブ直前には、ギター伴奏者として参加する井上善日居が、当コーナーのゲストで出演。生放送中にう~みとのセッションを披露した。
  • 「ゴールドジムのコーナー」
    • 上泉が自身のゴールドジム通いを話題にしたことから、2007年12月以降にほぼ隔週で放送。[6]"井上師匠"が、ダイエットなどに適した筋肉の鍛え方のポイントを、上泉やリスナーに向けて伝授した。
    • ラジオ番組表で、「大胸筋万歳!!」とだけ紹介されたことが1度あった。

金曜日

  • 「大塚由美のどこまでも行こう」
    • 前年度の内容から一転して、近畿地方を中心に、大塚が毎週さまざまな分野の工場や職人を取材。関係者へのインタビューなどの音源を交えながら、取材の模様をスタジオで報告した。
    • リスナーから取材の要望があった工場を、大塚が訪れることも頻繁にあった。
  • 「テレクラうわちゃん」
    • 女性リスナー限定の電話出演コーナー。オープニングで出演希望者を募集してから、19時台後半に該当者(1名)へ電話をつないだ。
    • 上泉は放送上、電話をつなぐまで、相手の素性や年代を知らされていなかった。また、電話の相手が小中学生や高齢者になることもあった。
  • 「映画の泉」
    • 前年度の内容から一転して、上泉と大塚が放送前に同じ映画を鑑賞。それぞれの立場から感想を述べ合う形で、毎週1本の新作映画を紹介した。
  • 「バーバラよねのネタは恋人」
    • シーズン1の「バーバラよねのネタは友達」とほぼ同じ内容で放送。
  • 「金言格言 きょうのうわごと」
    • 上泉が気に入った金言や格言を、毎週一言ずつ紹介した。

番組グッズ

脚注

  1. ^ 上泉は『FANFANレディオ』の開始当初、「アシスタントに来てもらうお金がないほど、ラジオ番組の予算を抑えられた」と語っていた。
  2. ^ 『ぷいぷい』にはその後も、中継リポーターやコーナーゲストとして、不定期で出演している。
  3. ^ バーバラは学生時代、当時アナウンサーだった伊東が明石家さんま大津びわ子長江健次とともに出演していた『MBSヤングタウン』月曜日のアルバイトスタッフであった。そのため、放送中には、「まさかこんな形でまーぼー(伊東のニックネーム)と共演できるとは思わなかった」と語っていた。
  4. ^ 出演当時は『加藤ヒロユキ 音楽のソムリエ』を担当。2008年4月からは、土曜日の早朝(6:00~8:00)に、『加藤ヒロユキ 週末のソムリエ』で生放送のパーソナリティを務めている。
  5. ^ 「プリン」は、小籔が亡くなった母親への後悔の思いを歌った楽曲で、小籔自身が作詞。当時MBSラジオで土曜深夜に放送していた小籔のレギュラー番組『ゴー傑P』に、う~みがゲストで出演したことがきっかけで誕生した。(う~みの出演は2007年3月10日放送分)2008年4月23日からは、同曲のCDが全国で発売されている。
  6. ^ 上泉は、『ぷいぷい』で山登り中継を始めたことをきっかけに、体力養成とダイエットを兼ねてゴールドジムへ日参。2008年最初の放送でも、ジムに通ってからスタジオに登場した(当日のオープニングトークより)。