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「伏見扇太郎」の版間の差分

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* 南国太平記(1960年)
* 南国太平記(1960年)
* 祇園の暗殺者(1962年)
* 祇園の暗殺者(1962年)
* [[御金蔵破り (1964年の日本映画)|御金蔵破り]](1964年)
* [[御金蔵破り (映画)|御金蔵破り]](1964年)
* 任侠木曽鴉(1965年)
* 任侠木曽鴉(1965年)
* 玄海つれづれ節(1986年)
* 玄海つれづれ節(1986年)

2021年5月13日 (木) 02:26時点における版

伏見 扇太郎(ふしみ せんたろう、1936年2月19日 - 1991年頃)は、日本の俳優。東京市(現在の東京都)出身。本名は船越 貞雄(ふなこし さだお)。

略歴

門閥外ながら歌舞伎出身。二代目中村又五郎の門弟だった。昭和29年(1954年)、中村又一の名で松竹の『びっくり五十三次』に端役で出ていたところを東映にスカウトされ、翌30年(1955年)に伏見扇太郎として、東映より『月笛日笛』でデビュー。その後『まぼろし小僧の冒険』で主演をやって以降、数々の時代劇映画に主役及び助演として出演。主に2本立ての映画の2本目として編成された“東映娯楽版”や子供向け作品の主役だったが、華奢な体つきと、女形も出来るような容姿で大変な人気を集めた。

中村錦之助大川橋蔵東千代之介里見浩太郎らと共に子供達に人気の若手スターとして将来を大いに嘱望されていた。

しかし、1960年代に入って以降は伸び悩み、後輩である里見の主演作品の助演や、一般作品の端役にまでそのランクを下げ[1]、1965年にはスクリーンから姿を消した。その背景には黒澤明監督作品のリアリズムな時代劇が主流になり、東映もそれに同調し、伏見の華奢な体で剣戟の迫力があるのが不自然であるということで受けなくなったという一面もある。

1968年に結核となり、俳優を完全廃業。その後は東映が経営するボウリング場で働いたとする話や、地方回りの大衆劇団に出た、バーを経営していた、またラーメン屋の屋台を動かしていたなど、没落の話題しか聞こえてこなくなった。

1986年、20数年ぶりに映画『玄海つれづれ節』に出演し少し話題に上ったが、映画はヒットせず、1985年に妻を殺害され、晩年は気の毒な境遇だったという。『玄海つれづれ節』では役名も伏見扇太郎そのままとして登場し、スターだった頃の映画を再び上映したいと願う若松の映画館主として登場していたのもなにか惨めすぎる感があった。

南正時著作の『オジサンの玉手箱』によると「風の便りによると、自ら命を絶った……」という記述がある[2]ことからすでに故人であるが、死去年は不明。伏見扇太郎の遠縁の親戚であるネットタレントの加藤純一が、"伏見扇太郎は女癖が悪く、女性に刺されて亡くなったと聞いた"と自身の生放送で発言していた [3]がこれを裏付ける証拠は無く、1991年に死去したという説や病死説もあるが、詳細は不明である。

出演

映画

  • 月笛日笛(1955年)
  • 百面童子(1955年)
  • まぼろし小僧の冒険(1955年)
  • 天兵童子(1955年)
  • 赤穂浪士(1956年)
  • 江戸三国志(1956年)
  • 日輪太郎(1956年)
  • 緑眼童子(1956年)
  • 風雲黒潮丸(1956年)
  • 孫悟空(1956年)
  • 曽我兄弟 富士の夜襲(1956年)
  • 若さま侍捕物帳(1957年)
  • 竜虎捕物陣二番手柄(1957年)
  • おしどり駕籠(1958年)
  • 少年三国志(1958年)
  • 小天狗霧太郎(1958年)
  • ふたり若獅子(1959年)
  • 里見八犬伝(1959年)
  • 富獄秘帖(1959年)
  • 壮烈新選組 幕末の動乱(1960年)
  • 南国太平記(1960年)
  • 祇園の暗殺者(1962年)
  • 御金蔵破り(1964年)
  • 任侠木曽鴉(1965年)
  • 玄海つれづれ節(1986年)

テレビ

参考文献

  • 『東映キネマ旬報』2009年春号・特集=東映娯楽版の系譜より「“新諸国物語”に始まり“新諸国物語”に終わった『東映娯楽版』」(文・永田哲朗)

脚注

  1. ^ “斬られ役”の一人として東映全盛期の一端を支えた福本清三の著書(共著による聞き書き本)『どこかで誰かが見ていてくれる』(2003年、集英社文庫・P.292、ISBN 4087476510)には、伏見について「あんなに大スターやったんやけど、最後は私ら(大部屋俳優)と同じような仕事をされてましたからね。さぞ、つらかったと思いますわ。心の痛みが想像できますわ」という記述がある。
  2. ^ 永田哲朗による「“新諸国物語”に始まり“新諸国物語”に終わった『東映娯楽版』」(『東映キネマ旬報』2009年春号に掲載)には「いつの間にかひっそりと世を去った」という記述がある。
  3. ^ 加藤純一.実家からお届けします” (2018年10月13日). 2021年1月14日閲覧。

外部リンク