コンテンツにスキップ

「岩木山神社」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
13行目: 13行目:
|神事 =
|神事 =
|地図={{Location map|Japan Aomori|lat_deg=40|lat_min=37|lat_sec=18.8|lon_deg=140|lon_min=20|lon_sec=26.2|label=岩木山神社|position=center|width=200|float=center}}}}
|地図={{Location map|Japan Aomori|lat_deg=40|lat_min=37|lat_sec=18.8|lon_deg=140|lon_min=20|lon_sec=26.2|label=岩木山神社|position=center|width=200|float=center}}}}
{{mapplot|140.340611|40.621889|岩木山神社}}
{{Location map|Japan Mapplot|coordinates={{Coord|40.621889|140.340611}}|caption=岩木山神社|width=256}}
'''岩木山神社'''(いわきやまじんじゃ)は、[[青森県]][[弘前市]][[百沢]]の[[岩木山]]の南東麓にある[[神社]]。別称、「お岩木さま」「お山」「奥日光」。[[旧社格]]は[[国幣小社]]で、[[津軽地方|津軽]]国一宮とされる。
'''岩木山神社'''(いわきやまじんじゃ)は、[[青森県]][[弘前市]][[百沢]]の[[岩木山]]の南東麓にある[[神社]]。別称、「お岩木さま」「お山」「奥日光」。[[旧社格]]は[[国幣小社]]で、[[津軽地方|津軽]]国一宮とされる。



2021年5月13日 (木) 21:50時点における版

岩木山神社
中門と拝殿
中門と拝殿
所在地 青森県弘前市百沢字寺沢27
位置 北緯40度37分18.8秒 東経140度20分26.2秒 / 北緯40.621889度 東経140.340611度 / 40.621889; 140.340611 座標: 座標オプションが認識できません
座標: 北緯40度37分18.8秒 東経140度20分26.2秒 / 北緯40.621889度 東経140.340611度 / 40.621889; 140.340611 座標: 座標オプションが認識できません
主祭神 顕国魂神
多都比姫神
宇賀能売神
大山祇神
坂上刈田麿命
社格国幣小社
別表神社
創建 (伝)宝亀11年(780年
本殿の様式 三間社流造銅瓦葺
例祭 旧暦8月1日八朔祭
地図
岩木山神社の位置(青森県内)
岩木山神社
岩木山神社
岩木山神社 (青森県)
テンプレートを表示
岩木山神社の位置(日本内)
岩木山神社
岩木山神社

岩木山神社(いわきやまじんじゃ)は、青森県弘前市百沢岩木山の南東麓にある神社。別称、「お岩木さま」「お山」「奥日光」。旧社格国幣小社で、津軽国一宮とされる。

概要

昔から農漁業の守護神として、津軽の開拓の神として、地元の人々の祖霊の鎮まるところとして、親しまれてきた[1]。なお神社の参道は岩木山の登山道の1つとなっていることでも知られており、この神社の奥宮は岩木山の山頂付近にある。

社殿は、神仏習合の時代の名残りをとどめ、鎌倉時代以後の密教寺院の構造がみられる中に、桃山時代の様式を思わせる色とりどりの絵様彫刻がみられ、そうした外観が日光の東照宮を思わせるとして、「奥日光」と呼ばれるに至った[2]

祭神

以上をまとめて岩木山大神(いわきやまおおかみ)と称する[3]

歴史

創建については諸説があるが、最も古い説では、宝亀11年(780年)、岩木山の山頂に社殿を造営したのが起源とされる[1]

延暦19年(800年)、岩木山大神の加護によって東北平定を為し得たとして、坂上田村麻呂が山頂に社殿を再建し、その後、十腰内地区に下居宮(おりいのみや=麓宮、現在の厳鬼山神社)が建立され、山頂の社は奥宮とされた[1]。また、田村麻呂は、父の刈田麿も合祀したとされる。

寛治5年(1091年)、神宣により、下居宮を十腰内地区から岩木山東南麓の百沢地区に遷座し、百沢寺(ひゃくたくじ)と称したのが現在の岩木山神社となっている[1]。岩木山の山頂に阿弥陀・薬師・観音の3つの堂があり、真言宗百沢寺岩木山三所大権現と称して、付近の地頭や領主らに広く信仰された[1]

天正17年(1589年)、岩木山の噴火により、当時の百沢寺は全焼することとなり、以後、再建が進められることとなった[4]

江戸時代には津軽藩の総鎮守とされ、津軽為信・信牧・信義・信政らの寄進により社殿等の造営が進んだ[1]。特に、信義、信政のときに、現在の拝殿(当時は百沢寺の本堂とされた)や本殿(当時の下居宮)が再建された[2]

明治の神仏分離により寺院を廃止、津軽総鎮守・岩木山神社とされ、明治6年1873年)、国幣小社に列格された[2]

境内

現存する社殿や楼門は江戸時代初期から元禄時代にかけて代々の弘前藩主が造営・寄進したもので、本殿・拝殿・奥門・楼門等が重要文化財に指定されている。

  • 本殿 - 三間社流造銅瓦葺。全面黒漆塗とする。元禄7年(1694年)建立。
  • 拝殿 - 桁行5間、梁間5間、入母屋造平入、とち葺形銅板葺。寛永17年(1640年)、神仏習合の時代に、百沢寺の本堂として建立された[4]。天正17年(1589年)の岩木山の噴火により焼失したが、慶長8年1603年)に津軽為信により再建が始まり、寛永17年(1640年)、津軽信義のときに現在のものが完成した[4]
  • 楼門 - 寛永5年(1628年)、津軽信枚(のぶひら)により、百沢寺の山門として建立された[4]。上層に十一面観音、五百羅漢像が祀られていたが、神仏分離による廃寺の際にそれらは姿を消し、階下に随神像を祀ることとなった[4]


文化財

(括弧内は指定年月日)

重要文化財(国指定)

  • 本殿 附棟札3枚(昭和46年6月22日)
  • 拝殿 附棟札2枚(明治41年4月23日)。
  • 奥門 (昭和46年6月22日)
  • 瑞垣 附棟札1枚(同上)
  • 中門 (昭和61年1月22日)
  • 楼門 附棟札4枚(明治41年4月23日)

祭事

  • 大祭
  • お山参詣(神賑祭)
重要無形民俗文化財に指定されており、岩木山の山頂にある奥宮を目指して、旧暦8月1日に行われる登拝の祭礼である[1]。朔日の朝日を拝するため、明け方、暗いうちから始まるものである[1]

ギャラリー

交通

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 「岩木山神社」青森県神社庁ホームページ”. 2004年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  2. ^ a b c 岩木山神社の狛犬(18.06.15) - いいかも!!弘前 ~弘前シティプロモーションサイト~”. 弘前市 (2018年6月15日). 2018年9月14日閲覧。
  3. ^ お山参詣について|岩木山観光協会|山で動く。山が動く。岩木山観光協会公式ウェブサイト”. 岩木山観光協会. 2018年9月14日閲覧。
  4. ^ a b c d e 「岩木山神社 拝殿・楼門」弘前市公式サイト

関連項目

外部リンク