「キング・ジョージ5世 (戦艦)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
→‎特徴: 本項目ではなくキング・ジョージ5世級戦艦に書くべきことが出典提示もなく書かれていたので、キング・ジョージ5世級戦艦への誘導に置き換える
67行目: 67行目:
結果として防御力に非常に重点をおいた艦となった。
結果として防御力に非常に重点をおいた艦となった。


{{Main|キング・ジョージ5世級戦艦}}
=== 攻撃力 ===
主砲として356mm砲を採用、これを4連装砲塔2基、連装砲塔1基に収めた。副砲は対空・対水上両方に使用可能な133mm連装両用砲を8基搭載し4基ずつ背負い式に両舷に配置した。また近接砲火として40mm8連装ポンポン砲を多数装備した。

キング・ジョージ5世級の[[四連装砲塔|4連装主砲塔]]は砲塔重量の軽減を目的に採用された。多連装砲は構造が複雑になり整備や運用に技術が必要とされる。ドイツの戦艦[[ビスマルク (戦艦)|ビスマルク]]の[[デンマーク海峡海戦|追撃戦]]において、竣工早々の姉妹艦[[プリンス・オブ・ウェールズ (戦艦)|プリンス・オブ・ウェールズ]]はビスマルクに命中弾を与えたものの主砲に故障が続発し、満足な砲撃ができず(ドイツ艦隊からの砲撃により損害を受けた為もあり)戦闘を中止せざるを得なかった<ref>ルードヴィック・ケネディ『戦艦ビスマルクの最期』 p155、内藤一郎訳、早川書房、1982年、ISBN 4-15-050082-7</ref>。キング・ジョージ5世もビスマルクとの戦闘において主砲の故障が発生している<ref>ルードヴィック・ケネディ『戦艦ビスマルクの最期』 p372、内藤一郎訳、早川書房、1982年、ISBN 4-15-050082-7</ref>。

副砲として両用砲を採用したのは、米国戦艦とイギリス戦艦とフランス戦艦のみであった。これは重量軽減と言う観点からは合理的な設計と言え、日本の[[大和 (戦艦)|大和]]は完成後に増大する航空脅威に対して副砲を減らして対空砲を強化しているほどである。

しかし英国の13.3cm両用砲は手動装填で発射速度が遅く、対空戦闘には不向きであったと言われている。

なお、同時期にヨーロッパで建造された[[ビスマルク (戦艦)|独]][[リシュリュー級戦艦|仏]][[ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦|伊]]の戦艦は、副砲と高角砲を別個に装備しており、対空戦闘時の発射速度や対艦戦闘時の威力についての問題は出ていない。

=== 防御力 ===
砲弾に対する防御力は優秀、装甲厚さ弾薬庫の水線部380mm・甲板140mmは同時期の[[ドイツ]]の[[ビスマルク級戦艦|ビスマルク級]](320mm・120mm)、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ノースカロライナ級戦艦|ノースカロライナ級]](305mm・140mm)級より重厚だが装甲配置が簡素で同世代艦よりも効果は薄いとされている。

=== 航空艤装 ===
前部煙突の両脇に航空機格納庫を設け、後部煙突との間の甲板上に横向きに[[カタパルト]]を設置し、風向きによってどちらも射出可能とした。

しかし[[航空母艦]]勢力の整備拡張により、わざわざ水上機をカタパルトで打ち出し回収する必要がなくなったことと、[[ドイツ海軍]]水上艦の活動が沈静化したことから対空火器を増設するため、キングジョージ5世級の改装工事の実施が決まり、キング・ジョージ5世は1944年3月から約3ヶ月をかけて行われた。

12.7mm機関銃や対空ロケットに代わり、40mm四連装・単装機関銃、20mm連装・単装機関銃を増設し、[[スーパーマリン・ウォーラス|ウォーラス]]飛行艇やカタパルト、クレーンなどの航空設備は撤去され、代わりにボートが増備された。


== 艦歴 ==
== 艦歴 ==

2021年5月14日 (金) 21:59時点における版

キング・ジョージ5世
1945年に撮影された「キングジョージ5世」。
1945年に撮影された「キングジョージ5世」。
基本情報
建造所 ニューカッスル・アポン・タインヴィッカース・アームストロング社ウォーカー造船所
運用者  イギリス海軍
艦種 戦艦
級名 キング・ジョージ5世級
愛称 KG5
艦歴
起工 1935年1月1日
進水 1939年2月21日
就役 1940年10月1日
退役 1949年
除籍 1957年12月17日
除籍後 スクラップとして売却。
要目
基準排水量 36,772 トン
満載排水量 44,460 トン
全長 227.2m(745フィート
最大幅 31.4 m(103フィート)
吃水 10.8 m(35フィート)
主缶 海軍式三胴型重油専焼水管缶×8基
主機 パーソンズオール・ギヤードタービン×4基
出力 125,000 馬力
推進器 スクリュープロペラ×4軸
最大速力 28ノット (52 km/h)
航続距離
  • 4,750海里 (8,800 km)/18ノット
  • 7,000海里 (13,000 km)/10ノット
乗員 1,631名
兵装
  • 改装後:
  •  Mk VII 356mm四連装砲×2基
  •  Mk VII 356mm連装砲×1基
  •  Mark I 133mm連装両用砲×8基
  •  40mmポンポン砲×8基
  •  40mm4連装機銃×2基
  •  40mm単装機銃×2基
  •  20mm連装機銃×6基
  •  20mm単装機銃×24基
装甲
  • 舷側:380mm(15インチ
  • 舷側(水線下):150mm(5.9インチ)
  • 甲板部:140mm(5.5インチ)
  • 主砲塔:330mm(13インチ)
  • バーベット:330mm(13インチ)
搭載機 スーパーマリン ウォーラス×4機(改装前)
レーダー
  • 竣工時:
  •  279型英語版×2基(対空警戒)
  •  284型×1基(射撃管制)
  • 改装後:
  •  271型×1基 (水上警戒)
  •  274型×1基
  •  277型英語版×1基(水上・対空警戒両用)
  •  279B型×1基(対空警戒)
  •  282型×2基
  •  285型英語版×4基 (対空射撃管制)
  •  293型×1基
テンプレートを表示

キング・ジョージ5世 (HMS King George V)(~ザ・フィフス) は、イギリス海軍戦艦キング・ジョージ5世級のネームシップ。ニューカッスル・アポン・タインに所在したヴィッカース・アームストロングのウォーカー造船所で建造された[1]。「キング・ジョージ5世」の名を冠する艦としては2代目である。

艦名の由来

本艦の計画時にジョージ6世が即位したので、本来はキング・ジョージ6世と命名されるはずであったが、新国王の希望によりその父王の名前が冠された。

特徴

2本煙突。主砲塔は前部に2基(4連装+連装)、後部に1基(4連装)備えた特徴的な配置であり、本級以外に他に例は無い。元来は4連装砲塔3基を搭載予定であったが、防御力に問題があったために、装甲防御を増やした分の重量を減らすため、1基を連装で妥協した結果である。

結果として防御力に非常に重点をおいた艦となった。

艦歴

1945年に太平洋艦隊で行動するキング・ジョージ五世。後方に見えるのは米戦艦ミズーリ

ワシントン海軍軍縮条約明け直後の1937年1月1日[2]に、ニューカッスルのヴィッカース社ウォーカー造船所で起工。1939年2月21日進水。1940年12月11日竣工。イギリス本国艦隊旗艦となった。

1941年、キング・ジョージ5世はジョン・トーヴィー本国艦隊司令長官が坐乗してビスマルク追撃戦に参加、ブレスト沖でソードフィッシュの雷撃により行動不能となっていたドイツの戦艦ビスマルクをロドネイと協力して砲撃した。両艦の砲撃により戦闘力の無くなったビスマルクはその後巡洋艦駆逐艦から多数の魚雷を受けて沈没した。

1942年5月1日、ムルマンスクへ向かうPQ15船団の護衛中に駆逐艦パンジャビと追突、パンジャビは大破沈没しキング・ジョージ5世も損傷した。

1943年、シチリア島上陸作戦(ハスキー作戦)に参加する。

1944年、イギリス太平洋艦隊に配属され、日本の降伏(1945年)まで太平洋で活躍した。

1945年7月18日、日立市および勝田町(現ひたちなか市)の日立製作所・日立兵器株式会社の工場に対し艦砲射撃を行った。7月29日 - 30日、浜松日本楽器(ヤマハ)の工場を砲撃した。大戦終了後は数年の運用の後退役、除籍されスクラップにされた。

主な活動

など

ギャラリー

同型艦

脚注

  1. ^ Chesneau, Roger. Conway's All the World's Fighting Ships 1922–1946. (1980) Conway Maritime Press. ISBN 0-85177-146-7.
  2. ^ https://www.rmg.co.uk/discover/researchers/research-guides/research-guide-b9-royal-navy-hms-king-george-v

参考文献

  • 世界の艦船増刊第67集

外部リンク