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{{quote |そんなことはしていない。もう全くしていない。もしやるとしたら、たった一つの理由のためにやる。私はシステムについて学んでいる。電話会社はシステムだ。コンピュータはシステムだ。わかる? 私がやっていることは、システムを探求するためだけなのだ。コンピュータ。システム。それが私の専門なんだ。電話会社はコンピュータ以外の何物でもない。| ''[http://www.slate.com/articles/technology/the_spectator/2011/10/the_article_that_inspired_steve_jobs_secrets_of_the_little_blue_.html Secrets of the Little Blue Box]''、{{仮リンク|ロン・ローゼンバウム|en|Ron Rosenbaum}}、『[[エスクァイア]]』1971年10月号より}}
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この記事により、彼は1972年に通話料詐欺の容疑で逮捕され、執行猶予5年の判決を受けた。しかし、この記事はまた、当時[[カリフォルニア大学バークレー校]]の工学部の学生で、後に[[アップル (企業)|アップル]]の共同創業者となる[[スティーブ・ウォズニアック]]の目に留まった<ref>The Woz..., The Real Captain Crunch: Stories, Web Crunchers.</ref>。ウォズニアックは、ブルーボックスの技術の情報交換のためにドレーパーと会った。その場には、ウォズニアックの友人の[[スティーブ・ジョブズ]]も同席していた。ウォズニアックとジョブズは後にブルーボックスを販売する小さなビジネスを立ち上げた<ref name="WSJ"/>。
この記事により、彼は1972年に通話料詐欺の容疑で逮捕され、執行猶予5年の判決を受けた。しかし、この記事はまた、当時[[カリフォルニア大学バークレー校]]の工学部の学生で、後に[[Apple]]の共同創業者となる[[スティーブ・ウォズニアック]]の目に留まった<ref>The Woz..., The Real Captain Crunch: Stories, Web Crunchers.</ref>。ウォズニアックは、ブルーボックスの技術の情報交換のためにドレーパーと会った。その場には、ウォズニアックの友人の[[スティーブ・ジョブズ]]も同席していた。ウォズニアックとジョブズは後にブルーボックスを販売する小さなビジネスを立ち上げた<ref name="WSJ"/>。


=== 開発者 ===
=== 開発者 ===

2021年5月20日 (木) 12:46時点における版

ジョン・T・ドレーパー
John T. Draper
メイカー・フェア・ベルリンにて(2015年)
生誕 John Thomas Draper
(1943-03-11) 1943年3月11日(81歳)
住居 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ネバダ州ラスベガス
別名 キャプテン・クランチ
クランチ
クランチマン
職業 プログラマ
公式サイト www.webcrunchers.com & www.crunchcreations.com/
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ジョン・トーマス・ドレーパー(John Thomas Draper、1943年3月11日 - )は、アメリカ合衆国プログラマである。かつては電話のフリーキングで名を馳せ、その際に朝食用シリアル「キャプテン・クランチ英語版」のおまけの笛を使用したことからキャプテン・クランチ(あるいはクランチ、クランチマン)の愛称がある。

プログラミングの世界やハッカー英語版コンピュータセキュリティに関するコミュニティ内で広く知られた人物であり、一般的にはノマドワーカー的なライフスタイルを送っている[1]

若年期

ドレーパーはアメリカ空軍のエンジニアの息子である。子供の頃、彼は廃棄された軍用の部品から無線機を作った[2]。学校では頻繁にいじめを受け、一時は精神的な治療を受けた[3]

大学卒業後、1964年にアメリカ空軍に入隊した。アラスカに駐留していたとき、彼は地元の電話局の交換機にアクセスして、部隊の仲間が家に無料で電話をかけられるようにした。1967年、メイン州チャールストン空軍基地英語版に駐留していたとき、彼は近くのドーバー・フォックスクロフト海賊ラジオ局、WKOSを開局した。

1968年に空軍の一等兵として名誉除隊した[3]シリコンバレーに移り、ナショナル セミコンダクター社で技術者として働き、またヒューグルインターナショナル社でコードレス電話の初期設計に携わった。また、1972年までディアンザカレッジで非常勤講師をしていた[4]

この間、カリフォルニア州クパチーノのラジオ局・KKUPでエンジニアやディスクジョッキーとしても活動しており[5]、長髪にしたりマリファナを吸ったりするなど、当時のカウンターカルチャー的なスタイルを取り入れていた[3]

キャリア

フリーキング

「キャプテン・クランチ」のおまけの笛

海賊ラジオの送信機を試験している間、どれくらいの範囲まで電波が届くのかを確かめるために、自分の家の電話番号を放送した。デニス・テリー英語版ことデニス・テレシからの電話[6]は、ドレーパーを「電話フリーク」(phone phreak)たちの世界に引き込んだ。電話フリークとは、電話網を研究し、実験する人々のことで、時々知識を利用して無料で電話をかけていた(これをフリーキングという)。テレシと他の何人かの電話フリークは盲目だった。ドレーパーの電子設計の知識を知り、彼らはドレーパーに、電話網を制御するために使われる特定の周波数の音を発する装置である多周波トーン・ジェネレーター、通称ブルーボックス英語版の作成を依頼した。このグループは以前、オルガンで出した音を録音したものを使ってフリーキングを行っていた。電話フリークの中のジョイバブルス英語版と名乗っていた盲目の少年は、絶対音感を持ち、周波数を正確に識別することができた[7]

ドレーパーは、朝食用シリアル「キャプテン・クランチ英語版」についてくるおまけの笛が、正確に2600ヘルツ英語版の音を出すことを知った。この周波数は、AT&Tの長距離回線が新しい通話をルーティングするためにトランク回線が使用可能であることを示すために使用されていた周波数と同じである[8]。この周波数の音を受信すると、トランクの一方の端を切断し、まだ接続されている側はオペレータモードに入った。彼らが悪用したこの脆弱性は、帯域内信号方式英語版を使用する電話交換機でしか使えなかった。1980年に共通線信号No.7が導入されてからは、アメリカのほとんどの電話回線が帯域外制御となった。この変更により、おもちゃの笛やブルーボックスは、フリーキング目的では役に立たなくなってしまった。ハッカー雑誌『2600』は、この笛の周波数に因んで命名されたものである[9]

『エスクァイア』誌のインタビュー

1971年、ジャーナリストのロン・ローゼンバウム英語版がフリーキングについて『エスクァイア』誌に寄稿した[10]。その記事は、ドレーパーとのインタビューを中心に構成されており、この記事をきっかけに、ドレーパーはカウンターカルチャーに興味を持つ人々の間で、ある種の有名人としての地位につくことになった。

ローゼンバウムがドレーパーに電話をかけ、電話フリークについてインタビューをしたい旨を伝えたとき、ドレーパーは、インタビューを受けることについて相反する感情を持ったが、すぐさま、自身のエートスを説明した。

そんなことはしていない。もう全くしていない。もしやるとしたら、たった一つの理由のためにやる。私はシステムについて学んでいる。電話会社はシステムだ。コンピュータはシステムだ。わかる? 私がやっていることは、システムを探求するためだけなのだ。コンピュータ。システム。それが私の専門なんだ。電話会社はコンピュータ以外の何物でもない。

この記事により、彼は1972年に通話料詐欺の容疑で逮捕され、執行猶予5年の判決を受けた。しかし、この記事はまた、当時カリフォルニア大学バークレー校の工学部の学生で、後にAppleの共同創業者となるスティーブ・ウォズニアックの目に留まった[11]。ウォズニアックは、ブルーボックスの技術の情報交換のためにドレーパーと会った。その場には、ウォズニアックの友人のスティーブ・ジョブズも同席していた。ウォズニアックとジョブズは後にブルーボックスを販売する小さなビジネスを立ち上げた[2]

開発者

アップルコンピュータ

1977年、ドレーパーは独立業務請負人英語版としてアップル社で働き[5]、ウォズニアックからApple IIを電話回線に接続する装置の開発を任された。ウォズニアックは、コンピュータが留守番電話のように機能すると考えていたと後に述べており、当時モデムはまだ広く利用できるものではなかった。ドレーパーは、「チャーリー・ボード」というインターフェイス装置を設計した。これは、多くの企業が使用しているフリーダイヤルの電話番号をダイヤルし、タッチトーンを発することで、それらの企業が使用している長距離定額電話サービス英語版(WATS)の回線にアクセスできるように設計されていた。理論的には、これにより無制限で無料の長距離電話がかけられるようになる。ウォズニアックはこのエピソードについて、「それは信じられないほどのボードでした。しかし、アップル社にはクランチ(ドレーパー)のことを良く思っている人はいませんでした。私だけでした。彼らは彼のデバイスを製品にしようとはしませんでした」と語っている[12]。この技術のいくつかは、後に電話のプッシュボタンで操作するメニューや留守番電話などのサービスに使われることになる[2]

Easywriter

1976年と1978年に、ドレーパーは通話料詐欺の罪で2回服役した。1979年の3回目の服役中、ドレーパーは、Apple II用の初のワープロソフトであるEasyWriter英語版を製作した[2]。ドレーパーは後にEasyWriterをIBM PCに移植し、マイクロソフトなどの競合他社を抑えてIBMの公式ワープロに選ばれた。ドレーパーはキャプン・ソフトウェア(Capn' Software)というソフトウェア会社を設立したが、6年間で収益は100万ドルに満たなかった。ディストリビューターのビル・ベイカーが、ドレーパーに無断で、他のプログラマーを雇ってEasyWriterの後継プログラムであるEasywriter IIを製作した。ドレーパーは訴訟を起こし、後に示談で解決された[2]

オーストラリアキャンベラにて(1995年)

オートデスク社ほか

ドレーパーは1986年にオートデスク社に入社し、共同創業者のジョン・ウォーカー英語版から直接依頼されてビデオドライバの設計を行った。1987年、ドレーパーは、ベイエリア高速交通鉄道の乗車券を偽造しようとした罪で起訴された[13]。1988年には、より軽い軽犯罪容疑で訴追され、ディバージョン・プログラム英語版を受けた。起訴されている間もオートデスク社に籍は残っていたが、これ以降、オートデスク社で働くことはなかった[14]。オートデスク社は1989年にドレーパーを解雇した。

1999年から2004年までドレーパーは、コンピュータセキュリティ会社・ShopIP社の最高技術責任者(CTO)の職に就いていた[15]。この会社で彼は、OpenBSDで動作するファイアウォールデバイスであるCrunchbox GEを設計した。ウォズニアックからの推薦や、メディアでの宣伝にもかかわらず、この製品は商業的な成功を収めることができなかった[16][17]

2007年には、メディア配信ツールを開発するソフトウェア会社・En2goのCTOに就任した。同社はそれまでMedusa Style Corp.という名前だった。ドレーパーの同社への関与がいつ終了したのかは不明だが、米国証券取引委員会への提出書類には、2009年夏に同社の役員数名(ウォズニアックを含む)が辞任したことが記録されている。En2Go社が商業的な成功を収めることはなかった[18][19][20]

不適切な性的行為の疑惑

2017年、少なくとも4つのハッキングとセキュリティ関連のカンファレンス(DEF CON英語版HOPE英語版ToorCon英語版など)の主催者は、他の参加者への不適切な性的行為に関する疑惑を受けて、ドレーパーの出席を禁止したと述べた。この疑惑については、BuzzFeed Newsが2つの記事で報じている[21]

ドレーパーに対する更なる疑惑が、ニュースサイト『パララックス』による報告で浮上した。その記事によれば、ペンシルバニア大学の計算機科学の教授のマット・ブレイズは、1970年代、ブレイズが10代、ドレーパーが30代の頃に、ドレーパーからストーカー行為を受けたと主張している[22]

ドレーパーは、デイリー・ドットのインタビューで疑惑のいくつかを否定したが、疑惑の全てに直接言及しなかった。彼は、明示的な性的意図を否定し、それは、自身が提唱者であると主張している代替医療アプライドキネシオロジーの技術を採用した「エネルギーワークアウト」であると説明した。ドレーパーは、相手の脚や腕の筋肉のマッサージをしているときに勃起していたかもしれないと認めた[23]

作家のクレイグ・ウィルソン・フレイザーは、ドレーパーとのワークアウトについて次のように書いている。「私が初めてそれを試したとき、麻薬によって激しくなった私の被害妄想は、それが何かの方法で性的なものになるのではないかと、天井知らずに上昇したが、もちろん、そのような性質のものは何も起こらなかった。」[24]

大衆文化において

アーネスト・クラインの小説『ゲームウォーズ』(映画『レディ・プレイヤー1』の原作)では、ドレーパーの「キャプテン・クランチ」という別名、それと同じ名前の朝食用シリアル、および笛が、イースターエッグ・ハントの鍵の1つを開ける手がかりとなっている[25]

1999年のテレビドラマ『バトル・オブ・シリコンバレー』では、俳優のウェイン・ペレ英語版がドレーパーを演じた[26]

2001年に制作されたドキュメンタリー映画『The Secret History of Hacking』(ハッカーの秘史)は、ドレーパーが主演を務め、ウォズニアックやケビン・ミトニックなども出演している。

脚注

  1. ^ Draper, John (1995). "John Draper, Interviewed Early 1995". Barbalet.net (Interview). Interviewed by Tom Barbalet. Barbalet.net.
  2. ^ a b c d e Chris Rhoads (2007年1月13日). “The Twilight Years of Cap'n Crunch”. The Wall Street Journal. https://www.wsj.com/articles/SB116863379291775523 2017年12月18日閲覧。 
  3. ^ a b c Phil Lapsley (2014). Exploding the Phone: The Untold Story of the Teenagers and Outlaws Who Hacked Ma Bell. Grove Press. https://books.google.com/books?id=ECiBd4mYkVwC&pg=PT141&lpg=PT141&dq=%22airman+first+class%22+%22john+draper%22&source=bl&ots=U67ymZAQsB&sig=r41ou1Qla-iYNSAuY8VT9Qe5sMQ&hl=en&sa=X&ei=TOYTUs2uFZfH4AP3moCoDA&ved=0CCoQ6AEwAA#v=onepage&q=%22airman%20first%20class%22%20%22john%20draper%22&f=false July 17, 2014閲覧。 
  4. ^ John Draper”. LinkedIn. 2014年7月17日閲覧。
  5. ^ a b Draper, John (August 2008). "Captain Crunch on Apple – An interview with John Draper". StoriesofApple.net (Interview). Interviewed by Nicola D'Agostino. Pescara, Italy. 2017年12月19日閲覧
  6. ^ "Hackers: Computer Outlaws". Hackers: Computer Outlaws. 25 July 2001. TLC。
  7. ^ A Call from Joybubbles - BBC Radio 4”. BBC. November 20, 2017閲覧。
  8. ^ Wozniak, S. G. (2006), iWoz: From Computer Geek to Cult Icon: How I Invented the Personal Computer, Co-Founded Apple, and Had Fun Doing It. W. W. Norton & Company. ISBN 0-393-06143-4.
  9. ^ Niarchos, Nicolas (2014年10月24日). “A Print Magazine for Hackers”. The New Yorker. ISSN 0028-792X. http://www.newyorker.com/tech/elements/print-magazine-hackers 2016年6月5日閲覧。 
  10. ^ Ron Rosenbaum as reproduced at http://www.historyofphonephreaking.org+(October 1971). “Esquire Magazine, October 1971: Secrets of the Little Blue Box”. 2017年11月25日閲覧。
  11. ^ The Woz..., The Real Captain Crunch: Stories, Web Crunchers.
  12. ^ Wozniak, Steve (October 1, 2004). Steve Wozniak at Gnomdex 4.0, Part 2 (Speech). Gnomedex 4.0 (English). South Lake Tahoe, Nevada: Chris Pirillo. 2013年7月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月19日閲覧
  13. ^ “"John Draper, dubbed 'Capt. Crunch' for using toy whistles..."”. United Press International. (1987年2月25日). https://www.upi.com/Archives/1987/02/25/John-Draper-dubbed-Capt-Crunch-for-using-toy-whistles/3750541227600 2017年12月18日閲覧。 
  14. ^ Draper, John (May 2006). "Digibarn Radio: John Draper at Autodesk". DigiBarn Radio (Interview). Interviewed by Tom Barbalet. DigiBarn Computer Museum.
  15. ^ John Leyden (2001年2月7日). “Captain Crunch sets up security firm”. theregister.co.uk. 2020年5月30日閲覧。
  16. ^ Andrew Orlowski (2002年2月27日). “Woz blesses Captain Crunch's new box”. theregister.co.uk. 2020年5月30日閲覧。
  17. ^ John Markoff (2001年1月29日). “The Odyssey Of a Hacker: From Outlaw To Consultant”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2001/01/29/business/the-odyssey-of-a-hacker-from-outlaw-to-consultant.html 
  18. ^ Marty Graham (2008年1月15日). “Wozniak Backs Captain Crunch in Net Video Startup”. Wired. https://www.wired.com/entertainment/theweb/news/2008/01/crunch 
  19. ^ Medusa Style 8K filing July 23, 2007 (Report). U.S. Securities and Exchange Commission. 23 July 2007. 2017年12月14日閲覧
  20. ^ En2Go Corporation 8K filing July 06, 2009 (Report). U.S. Securities and Exchange Commission. 6 July 2006. 2017年12月14日閲覧
  21. ^ Kevin Collier. “More Men Accuse Proto-Hacker "Cap'n Crunch" Of Inappropriate Sexual Contact”. Buzzfeed. 2018年5月11日閲覧。
  22. ^ Seth Rosenblatt. “New sexual-assault allegations against ‘phone phreaker’ John Draper”. The Parallax. 2018年5月11日閲覧。
  23. ^ David Gilmour. “Hacking pioneer John Draper responds to sexual assault allegations”. The Daily Dot. 2018年5月11日閲覧。
  24. ^ Draper, John T.; Fraser, C. Wilson (2018) (英語). Beyond The Little Blue Box: The biographical adventures of John T Draper (aka Captain Crunch). Notorious 'Phone Phreak', legendary internet pioneer and ardent privacy advocate.. FriesenPress. pp. 25-26. ISBN 978-1-5255-0569-0. https://books.google.com.au/books?id=H2NmDwAAQBAJ&printsec=frontcover&dq=beyond+the+little+blue+box&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwjrnbTR56PpAhWYzDgGHWc1C7cQ6AEIKDAA#v=onepage&q=beyond%20the%20little%20blue%20box&f=false 
  25. ^ Ready Player One”. shmoop.com. 2020年5月30日閲覧。
  26. ^ Pirates of Silicon Valley (1999) – Full Credits – TCM.com”. Turner Classic Movies. 2020年5月30日閲覧。