コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「英雄広場」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: ハンガリー王記事群の改名に伴うリンク修正依頼 (イシュトヴァーン1世 (ハンガリー王)) - log
Cewbot (会話 | 投稿記録)
15行目: 15行目:
=== 左側 ===
=== 左側 ===
*[[イシュトヴァーン1世 (ハンガリー王)|イシュトヴァーン1世]]
*[[イシュトヴァーン1世 (ハンガリー王)|イシュトヴァーン1世]]
*[[ラースロー1世]]
*[[ラースロー1世 (ハンガリー王)|ラースロー1世]]
*[[カールマーン1世]]
*[[カールマーン1世]]
*[[アンドラーシュ2世]]
*[[アンドラーシュ2世]]

2021年5月24日 (月) 20:58時点における版

座標: 北緯47度30分54秒 東経19度4分40秒 / 北緯47.51500度 東経19.07778度 / 47.51500; 19.07778

英雄広場
ブダペスト地下鉄1号線トンネルの出口、後ろに見えるのが英雄広場、1896年

英雄広場(えいゆうひろば、ハンガリー語: Hősök tere)は、ハンガリーブダペストにある広場

概要

アンドラーシ通りの突き当たりに位置しており、通りを臨むとセルビア大使館が見える。また、ヴァーロシュリゲットの中にあり、広場の左側にはブダペスト西洋美術館が、右側にはブダペスト現代美術館が位置している。また、ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通りの一部として世界遺産に登録されている。

地下にはブダペスト地下鉄1号線英雄広場駅がある。

英雄広場の中央には聖イシュトヴァーンの王冠大主教十字を握っているガブリエルを戴く柱がある。また、左右七つずつの像の建立場所があり、建設当初、九部族の英雄の像を右から作っていった。当時のハンガリーはオーストリア=ハンガリー帝国であったので、残りの五つの場所はハプスブルク朝の人々の像が建てられた。しかし、第二次世界大戦で像が被害を受けると、ハプスブルク朝の人々の像は現在の像に取って代られた。以下に像の置かれている人物名を列挙する。

左側

かつての像

右側

歴史

画像

英雄広場の建物

参考文献

  • Hajós, György, Heroes' Square, Municipality of Budapest (2001)
  • Gerő, András, Heroes' Square Budapest, Corvina (1990)

外部リンク

関連項目