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「マリア・コムネナ (ハンガリー王妃)」の版間の差分

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'''マリア・コムネナ'''(Maria Komnena, [[1144年]]頃 - [[1190年]])は、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王[[イシュトヴァーン4世]]の王妃。
'''マリア・コムネナ'''(Maria Komnena, [[1144年]]頃 - [[1190年]])は、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王[[イシュトヴァーン4世 (ハンガリー王)|イシュトヴァーン4世]]の王妃。


父は[[東ローマ帝国]]の皇族イサキオス・コムネノス([[ヨハネス2世コムネノス]]と皇后[[ピロシュカ]]の三男)、母はその妻テオドラ。異母妹にテオドラ・コムネナ([[エルサレム王国|エルサレム]]王[[ボードゥアン3世 (エルサレム王)|ボードゥアン3世]]妃)、エウドキア・コムネナ([[モンペリエ]]領主ギレム8世妃、アラゴン王妃[[マリア・デ・モンペリエ]]の母)。
父は[[東ローマ帝国]]の皇族イサキオス・コムネノス([[ヨハネス2世コムネノス]]と皇后[[ピロシュカ]]の三男)、母はその妻テオドラ。異母妹にテオドラ・コムネナ([[エルサレム王国|エルサレム]]王[[ボードゥアン3世 (エルサレム王)|ボードゥアン3世]]妃)、エウドキア・コムネナ([[モンペリエ]]領主ギレム8世妃、アラゴン王妃[[マリア・デ・モンペリエ]]の母)。

2021年5月24日 (月) 21:10時点における版

マリア・コムネナ
Maria Komnena
ハンガリー王妃
在位 1163年

出生 1144年
死去 1190年
東ローマ帝国コンスタンティノープル
結婚 1156年
配偶者 ハンガリーイシュトヴァーン4世
家名 コムネノス家
父親 イサキオス・コムネノス
母親 テオドラ・カマテリナ
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マリア・コムネナ(Maria Komnena, 1144年頃 - 1190年)は、ハンガリーイシュトヴァーン4世の王妃。

父は東ローマ帝国の皇族イサキオス・コムネノス(ヨハネス2世コムネノスと皇后ピロシュカの三男)、母はその妻テオドラ。異母妹にテオドラ・コムネナ(エルサレムボードゥアン3世妃)、エウドキア・コムネナ(モンペリエ領主ギレム8世妃、アラゴン王妃マリア・デ・モンペリエの母)。

1156年、イシュトヴァーンと結婚。2人の間には子供ができなかった。