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「イヴァン・アセン2世」の版間の差分

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== 生涯 ==
== 生涯 ==
父の死後、従兄にあたる[[ボリル]]が皇位を簒奪していたが、イヴァン・アセン2世は[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王[[アンドラーシュ2世]]の長女{{仮リンク|アンナ・マーリア (ハンガリー)|en|Anna Maria of Hungary|label=アンナ・マーリア}}を妻として迎え、その支援を受けてボリルから皇位を奪い返して即位した。
父の死後、従兄にあたる[[ボリル]]が皇位を簒奪していたが、イヴァン・アセン2世は[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王[[アンドラーシュ2世 (ハンガリー王)|アンドラーシュ2世]]の長女{{仮リンク|アンナ・マーリア (ハンガリー)|en|Anna Maria of Hungary|label=アンナ・マーリア}}を妻として迎え、その支援を受けてボリルから皇位を奪い返して即位した。


即位後は勢力拡大に乗り出し、[[トラキア]]、[[アルバニア]]、[[マケドニア]]を奪って帝国の最大領土を形成した。さらに[[ニカイア帝国]]と同盟を結んで[[ラテン帝国]]を攻撃しているが、これは不首尾に終わった。
即位後は勢力拡大に乗り出し、[[トラキア]]、[[アルバニア]]、[[マケドニア]]を奪って帝国の最大領土を形成した。さらに[[ニカイア帝国]]と同盟を結んで[[ラテン帝国]]を攻撃しているが、これは不首尾に終わった。
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* {{仮リンク|アンナ (アニシアー)|en|Anna (Anisia)|label=アンナ}} 一番目の妻。[[ルーシ (地名)|ルーシ]]出身。[[ハールィチ・ヴォルィーニ大公国|ガリツィア公国]]への亡命中に結婚。
* {{仮リンク|アンナ (アニシアー)|en|Anna (Anisia)|label=アンナ}} 一番目の妻。[[ルーシ (地名)|ルーシ]]出身。[[ハールィチ・ヴォルィーニ大公国|ガリツィア公国]]への亡命中に結婚。
** [[:en:Beloslava of Bulgaria|ベロスラヴァ]] - セルビア王[[ステファン・ヴラディスラヴ]]と結婚。
** [[:en:Beloslava of Bulgaria|ベロスラヴァ]] - セルビア王[[ステファン・ヴラディスラヴ]]と結婚。
* {{仮リンク|アンナ・マーリア (ハンガリー)|en|Anna Maria of Hungary|label=アンナ・マーリア}}(在位:[[1221年]]–[[1237年]]) 二番目の妻。[[ハンガリー国王一覧|ハンガリー王]][[アンドラーシュ2世]]の王女。
* {{仮リンク|アンナ・マーリア (ハンガリー)|en|Anna Maria of Hungary|label=アンナ・マーリア}}(在位:[[1221年]]–[[1237年]]) 二番目の妻。[[ハンガリー国王一覧|ハンガリー王]][[アンドラーシュ2世 (ハンガリー王)|アンドラーシュ2世]]の王女。
** [[:en:Elena Asenina of Bulgaria|エレナ]] - 東ローマ皇帝[[テオドロス2世ラスカリス]]と結婚。
** [[:en:Elena Asenina of Bulgaria|エレナ]] - 東ローマ皇帝[[テオドロス2世ラスカリス]]と結婚。
** [[カリマン1世]](1234年頃 - 1246年) - ツァール(在位:[[1241年]] - [[1246年]])
** [[カリマン1世]](1234年頃 - 1246年) - ツァール(在位:[[1241年]] - [[1246年]])

2021年5月24日 (月) 21:19時点における版

イヴァン・アセン2世
Иван Асен II
ツァール
在位 1218年 - 1241年

死去 1241年6月24日
配偶者 アンナ
  アンナ・マーリア
  イレネ・コムニーナ・ドゥーカイナ
子女 ベロスラヴァ
エレナ
カリマン1世
アンナ・テオドラ
マーリア
ミハイル2世・アセン
家名 アセン家
王朝 第二次ブルガリア帝国
父親 イヴァン・アセン1世
母親 イレネ
テンプレートを表示

イヴァン・アセン2世Иван Асен II, Ivan Asen II, ? - 1241年6月24日)は、第二次ブルガリア帝国皇帝(在位:1218年 - 1241年)。初代皇帝イヴァン・アセン1世の子。

生涯

父の死後、従兄にあたるボリルが皇位を簒奪していたが、イヴァン・アセン2世はハンガリーアンドラーシュ2世の長女アンナ・マーリア英語版を妻として迎え、その支援を受けてボリルから皇位を奪い返して即位した。

即位後は勢力拡大に乗り出し、トラキアアルバニアマケドニアを奪って帝国の最大領土を形成した。さらにニカイア帝国と同盟を結んでラテン帝国を攻撃しているが、これは不首尾に終わった。

また、ヴェネツィア共和国から商人を招いて通商関係を結んだり、修道院や大学などを積極的に築いたりなど、内政に尽力している。1232年にはブルガリア正教会カトリック教会から独立させるなどして、帝国の全盛期を築き上げた。

1241年、死去。イヴァン・アセン2世の死後、帝国はジョチ・ウルスの攻撃を受けて衰えた。

家族

関連項目


先代
ボリル
ブルガリア皇帝
1218年 - 1241年
次代
カリマン1世