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「ボレスワフ・ポボジュヌィ」の版間の差分

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== 子女 ==
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1257年、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王[[ベーラ4世]]の娘[[ヨレンタ (福者)|ヨレンタ]]と結婚し、間に3人の娘をもうけた。ヨレンタは[[1827年]]、[[カトリック教会|ローマ・カトリック教会]]に列福されている。
1257年、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王[[ベーラ4世 (ハンガリー王)|ベーラ4世]]の娘[[ヨレンタ (福者)|ヨレンタ]]と結婚し、間に3人の娘をもうけた。ヨレンタは[[1827年]]、[[カトリック教会|ローマ・カトリック教会]]に列福されている。
#[[エルジュビェタ・ボレスワヴヴナ|エルジュビェタ]](1263年 - 1304年9月28日) - [[レグニツァ公国|レグニツァ公]][[ヘンリク5世ブジュハティ|ヘンリク5世]]と結婚
#[[エルジュビェタ・ボレスワヴヴナ|エルジュビェタ]](1263年 - 1304年9月28日) - [[レグニツァ公国|レグニツァ公]][[ヘンリク5世ブジュハティ|ヘンリク5世]]と結婚
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2021年5月24日 (月) 21:29時点における版

ボレスワフ・ポボジュヌィ
Bolesław Pobożny
ヴィエルコポルスカ公
在位 1257年 - 1279年

出生 1221/7年
死去 1279年4月14日
配偶者 ヨレンタ
子女 エルジュビェタ
ヤドヴィガ
アンナ
家名 ヴィエルコポルスカ・ピャスト家
父親 ヴィエルコポルスカ公ヴワディスワフ・オドニツ
母親 ヤドヴィガ
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ボレスワフ・ポボジュヌィ(Bolesław Pobożny、1221/7年 - 1279年4月14日)は、ヴィエルコポルスカ公。ヴワディスワフ・オドニツの次男、母はポメレリアムシチュイ1世の娘ヤドヴィガ。敬虔公(Pobożny)と呼ばれた。

生涯

兄のプシェミスウ1世と共にヴィエルコポルスカの諸地域(カリシュポズナングニェズノ)を統治し、1257年に兄が死ぬとヴィエルコポルスカを単独で統治した。1264年8月16日、ボレスワフはヴィエルコポルスカのユダヤ人に対して、カリシュの法令と呼ばれる諸権利を与えた。これはユダヤ人に対して与えられた最初の成文法による保護条例で、ユダヤ人社会における司法権の自立、金融業と商業の自由を保障していた。1795年にポーランドでユダヤ人に対して与えられた特権は、ボレスワフが与えたこの時の特権をかなりの程度参考にしている。

1279年死去。息子が無かったため、甥のプシェミスウ2世がヴィエルコポルスカを継承した。

子女

1257年、ハンガリーベーラ4世の娘ヨレンタと結婚し、間に3人の娘をもうけた。ヨレンタは1827年ローマ・カトリック教会に列福されている。

  1. エルジュビェタ(1263年 - 1304年9月28日) - レグニツァ公ヘンリク5世と結婚
  2. ヤドヴィガ(1266年 - 1339年12月10日) - ポーランド王ヴワディスワフ1世と結婚
  3. アンナ(1278年 - ?) - グニェズノの修道女
先代
ヘンリク2世
ヴィエルコポルスカ公
プシェミスウ1世と共同統治
1241年 - 1247年
次代
(分割統治)
先代
(ヴィエルコポルスカ全土の公)
カリシュ
1247年 - 1249年
次代
プシェミスウ1世
先代
プシェミスウ1世
グニェズノ
1249年 - 1250年
次代
プシェミスウ1世
先代
プシェミスウ1世
カリシュ
1253年 - 1257年
次代
(ヴィエルコポルスカ全土の公)
先代
プシェミスウ1世
グニェズノ
1253年 - 1257年
次代
(ヴィエルコポルスカ全土の公)
先代
プシェミスウ1世
ヴィエルコポルスカ公
1257年 - 1279年
次代
プシェミスウ2世