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'''マリア・ドゥンゲリア'''(Maria d'Ungheria, [[1257年]]頃 - [[1323年]][[3月25日]])は、[[ナポリ王国|ナポリ]]王[[カルロ2世 (ナポリ王)|カルロ2世]]の王妃。[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王[[イシュトヴァーン5世]]と王妃[[クン・エルジェーベト|エルジェーベト]]の娘。ハンガリー名は'''マーリア'''(Mária)。 |
'''マリア・ドゥンゲリア'''(Maria d'Ungheria, [[1257年]]頃 - [[1323年]][[3月25日]])は、[[ナポリ王国|ナポリ]]王[[カルロ2世 (ナポリ王)|カルロ2世]]の王妃。[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王[[イシュトヴァーン5世 (ハンガリー王)|イシュトヴァーン5世]]と王妃[[クン・エルジェーベト|エルジェーベト]]の娘。ハンガリー名は'''マーリア'''(Mária)。 |
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== 生涯 == |
== 生涯 == |
2021年5月24日 (月) 21:35時点における版
マリア・ドゥンゲリア Maria d'Ungheria | |
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ナポリ王妃 | |
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在位 | 1285年 - 1309年 |
出生 |
1257年頃 |
死去 |
1323年3月25日 ナポリ王国、ナポリ |
埋葬 | ナポリ王国、ナポリ、サンタ・マリア・ドンナ・レジーナ・ヴェッキア教会 |
結婚 | 1270年 |
配偶者 | ナポリ王カルロ2世 |
子女 | 本文参照 |
家名 | アールパード家 |
父親 | ハンガリー王イシュトヴァーン5世 |
母親 | クン・エルジェーベト |
マリア・ドゥンゲリア(Maria d'Ungheria, 1257年頃 - 1323年3月25日)は、ナポリ王カルロ2世の王妃。ハンガリー王イシュトヴァーン5世と王妃エルジェーベトの娘。ハンガリー名はマーリア(Mária)。
生涯
1270年にシチリア王カルロ1世(当時まだシチリアを支配していた)の嗣子であるカルロと結婚した。なお、前年の1269年にはマーリアの弟ラースロー4世がカルロ2世の妹イザベッラと結婚している。
カルロ2世との間には14子が生まれた。
- カルロ・マルテッロ(1271年 - 1295年) ハンガリー王位請求者。ハンガリー王カーロイ1世の父。
- マルゲリータ(マルグリット、1273年 - 1299年) ヴァロワ伯シャルルと結婚。フランス王フィリップ6世の母。
- ルイージ(ルイ、1274年 - 1297年) トゥールーズ司教
- ロベルト(1277年 - 1343年) ナポリ王
- フィリッポ(1278年 - 1331年) アカイア公、ターラント公
- ビアンカ(ブランカ、1280年 - 1310年) アラゴン王ハイメ2世と結婚。
- ライモンド・ベレンガリオ(レーモン・ベレンゲール、1281年 - 1307年) プロヴァンス伯。
- ジョヴァンニ(1283年 - ?)
- トリスタン(1284年 - ?)
- エレオノーラ(1289年 - 1341年) シチリア王フェデリーコ2世と結婚。
- マリア(1290年 - 1346年頃) マヨルカ王サンチョ1世と結婚。
- ピエトロ(1291年 - 1315年) グラヴィナ伯。
- ジョヴァンニ(1294年 - 1336年) ドゥラッツォ公、アカイア公、グラヴィーナ伯
- ベアトリーチェ(1295年 - 1321年) フェラーラ侯アッツォ8世・デステと結婚。
マリアの弟ラースロー4世は1290年に暗殺され、嗣子がいなかったため、マリアの長男カルロ・マルテッロが叔父の王位継承を主張してアンドラーシュ3世と争ったが、王位継承を果たせずに早世した。しかしその息子カルロ・ロベルト(カーロイ1世)は、アンドラーシュ3世が死去してアールパード朝が断絶した後、最終的にハンガリー王として戴冠を果たした。