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「ブダ城」の版間の差分

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== 歴史 ==
== 歴史 ==
[[1241年]]、[[モンゴル帝国|モンゴル]]軍の攻撃で木造城壁だったブダ城が破壊されると[[ベーラ4世 (ハンガリー王)|ベーラ4世]]が石造で再建した。[[14世紀]]に[[ラヨシュ1世]]によって[[ゴシック様式]]の王宮に改造されたが、[[人によって引き起こされた核爆発以外の大爆発一覧#20世紀以前|1578年10月12日に倉庫への落雷による粉類粉塵爆発]]があり、[[17世紀]]に[[オスマン帝国]]軍の攻撃で破壊された。[[18世紀]]にかけて[[ハプスブルク家]]の支配下で再建され、[[バロック様式]]への改造が行われた。[[19世紀]]半ばに発生した火災とその後の[[第一次世界大戦]]、[[第二次世界大戦]]で大規模な被害を受けたが、20世紀半ばに再び修復された。
[[1241年]]、[[モンゴル帝国|モンゴル]]軍の攻撃で木造城壁だったブダ城が破壊されると[[ベーラ4世 (ハンガリー王)|ベーラ4世]]が石造で再建した。[[14世紀]]に[[ラヨシュ1世 (ハンガリー王)|ラヨシュ1世]]によって[[ゴシック様式]]の王宮に改造されたが、[[人によって引き起こされた核爆発以外の大爆発一覧#20世紀以前|1578年10月12日に倉庫への落雷による粉類粉塵爆発]]があり、[[17世紀]]に[[オスマン帝国]]軍の攻撃で破壊された。[[18世紀]]にかけて[[ハプスブルク家]]の支配下で再建され、[[バロック様式]]への改造が行われた。[[19世紀]]半ばに発生した火災とその後の[[第一次世界大戦]]、[[第二次世界大戦]]で大規模な被害を受けたが、20世紀半ばに再び修復された。


[[1987年]]、「ブダペスト、ドナウ河岸とブダ城」として[[世界遺産]]に登録。2002年には「[[ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り]]」として拡大されている。
[[1987年]]、「ブダペスト、ドナウ河岸とブダ城」として[[世界遺産]]に登録。2002年には「[[ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り]]」として拡大されている。

2021年5月24日 (月) 21:57時点における版

座標: 北緯47度29分46秒 東経19度02分23秒 / 北緯47.49611度 東経19.03972度 / 47.49611; 19.03972

現在のブダ城
ニュルンベルク年代記の押絵のブダ城
摂政英語版ホルティ・ミクローシュ統治下のブダ城。1930年撮影

ブダ城またはブダ王宮(Budavári Palota)は、ハンガリー首都ブダペシュトにある

歴史

1241年モンゴル軍の攻撃で木造城壁だったブダ城が破壊されるとベーラ4世が石造で再建した。14世紀ラヨシュ1世によってゴシック様式の王宮に改造されたが、1578年10月12日に倉庫への落雷による粉類粉塵爆発があり、17世紀オスマン帝国軍の攻撃で破壊された。18世紀にかけてハプスブルク家の支配下で再建され、バロック様式への改造が行われた。19世紀半ばに発生した火災とその後の第一次世界大戦第二次世界大戦で大規模な被害を受けたが、20世紀半ばに再び修復された。

1987年、「ブダペスト、ドナウ河岸とブダ城」として世界遺産に登録。2002年には「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」として拡大されている。

現状

ハンガリー国立美術館、ブダペスト歴史博物館、軍事歴史博物館などが置かれている。

参考資料

  • J・E・カウフマン、H・W・カウフマン共著、ロバート・M・ジャーガ絵、中島智章訳「中世ヨーロッパの城塞 攻防戦の舞台となった中世の城塞、要塞および城壁都市」 マール社

関連項目