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== 背景 ==
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前作『[[虫 (アルバム)|虫]]』([[1983年]])リリースと前後する形で、3月5日、6日に千葉ダンシングマザースにて行われたライブを最後に、ギターのタム、ドラムスの中田ケイゴが脱退。代わりに名古屋で活動していたパンクバンド「OXYDOLL」に所属していたギターの良次雄、ドラムスの[[中村達也 (ドラマー)|中村達也]]が加入<ref name="forneverlinernotes">ライナーノーツ 「ザ・スターリン年表」 『[[FOR NEVER]]』、いぬん堂 、2001年。</ref>。アルバムを受けてのツアーを行っていたが、同年6月11日に[[明治学院大学]]で行われたライブを最後にギターの良次雄、ドラムスの中村達也が脱退、遠藤は後に「ザ・スターリンはこの時点で事実上解散した」と述べている。音楽誌『ヤングセンス』においても〈現在、スターリンは解散状態になっているらしい。ミチロウ以外のメンバーが全員、チェンジするようだ。ということで、ここしばらくスターリンの活動はお休み〉という記事が掲載された{{Sfn|遠藤ミチロウ|2004|p=153|ps= - 「第三期【1983年7月 - 1985年1月】掲載誌のキャッチ ★23・日本列島のあちらこちらに、スターリンの嵐が起こった!!」より}}。活動休止の理由について遠藤は「[[動脈硬化症|動脈硬化]]」と表現し、スターリンはバンド名ではなく遠藤の活動そのものの事であると発言、自身が納得できる状況でなくなったためであると述べた{{Sfn|遠藤ミチロウ|2004|p=164|ps= - 「第三期【1983年7月 - 1985年1月】掲載誌のキャッチ ★25・遠藤みちろう[スターリン]新計画発表」より}}。
前作『[[虫 (アルバム)|虫]]』([[1983年]])リリースと前後する形で、3月5日、6日に千葉ダンシングマザースにて行われたライブを最後に、ギターのタム、ドラムスの中田ケイゴが脱退。代わりに名古屋で活動していたパンクバンド「OXYDOLL」に所属していたギターの良次雄、ドラムスの[[中村達也 (1965年生のドラマー)|中村達也]]が加入<ref name="forneverlinernotes">ライナーノーツ 「ザ・スターリン年表」 『[[FOR NEVER]]』、いぬん堂 、2001年。</ref>。アルバムを受けてのツアーを行っていたが、同年6月11日に[[明治学院大学]]で行われたライブを最後にギターの良次雄、ドラムスの中村達也が脱退、遠藤は後に「ザ・スターリンはこの時点で事実上解散した」と述べている。音楽誌『ヤングセンス』においても〈現在、スターリンは解散状態になっているらしい。ミチロウ以外のメンバーが全員、チェンジするようだ。ということで、ここしばらくスターリンの活動はお休み〉という記事が掲載された{{Sfn|遠藤ミチロウ|2004|p=153|ps= - 「第三期【1983年7月 - 1985年1月】掲載誌のキャッチ ★23・日本列島のあちらこちらに、スターリンの嵐が起こった!!」より}}。活動休止の理由について遠藤は「[[動脈硬化症|動脈硬化]]」と表現し、スターリンはバンド名ではなく遠藤の活動そのものの事であると発言、自身が納得できる状況でなくなったためであると述べた{{Sfn|遠藤ミチロウ|2004|p=164|ps= - 「第三期【1983年7月 - 1985年1月】掲載誌のキャッチ ★25・遠藤みちろう[スターリン]新計画発表」より}}。


以降では8月1日には遠藤による[[ソノシート]]付きマガジン『ING'O!』の創刊や、『[[宝島 (雑誌)|宝島]]』の10月号において、遠藤と[[糸井重里]]の対談が掲載されるなどソロでの活動がメインとなる。[[9月7日]]には[[京都大学]]西部講堂にて[[非常階段 (バンド)|非常階段]]との合体ユニット「スター階段」としての公演を実施、ドラムスは乾純、ギターは尾形テルヤが担当した<ref name="forneverlinernotes"/>。12月にはベースの杉山シンタロウが脱退、代わりにギターのJUN-BLEED、ベースの尾形テルヤ、ドラムスの乾純が加入<ref name="forneverlinernotes"/>。翌1984年[[3月17日]]の清水BOWIEのライブを最後にJUN-BLEEDが脱退し、代わりにギターとして元[[INU]]に所属していた北田昌宏が加入<ref name="forneverlinernotes"/>。4月10日には遠藤のソロ作品『[[ベトナム伝説]]』がリリースされ、5月には[[アメリカ合衆国]]にてオムニバスアルバム『Welcome to 1984』がリリースされ、ザ・スターリンの曲「Chicken Farm Chicken」が収録された<ref name="forneverlinernotes"/>。[[6月3日]]の[[横浜国立大学]]でのライブを最後に北田と尾形が脱退、ギターとして小野昌之、ベースとしてヒゴ・ヒロシが加入<ref name="forneverlinernotes"/>。
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2021年6月8日 (火) 07:08時点における版

Fish Inn
ザ・スターリンスタジオ・アルバム
リリース
録音 1984年
マグネット・スタジオ
ジャンル ロック
オルタナティヴ・ロック
パンク・ロック
時間
レーベル BQレコード
プロデュース ザ・スターリン
加藤正文
チャート最高順位
ザ・スターリン アルバム 年表

1983年
Fish Inn
1984年
FOR NEVER
1985年
EANコード
遠藤ミチロウ関連のアルバム 年表
ベトナム伝説
(1984年)
Fish Inn
(1984年)
THE END
(1985年)
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Fish Inn』(フィッシュ・イン)は、日本のロックバンドであるザ・スターリンの通算4枚目のアルバム

1984年11月20日にBQレコードよりリリースされた。その際、予約特典として、「バキューム」と「解剖室」の新録音バージョンが収録されたソノシートが付属されていた。

作詞は遠藤みちろう、作曲および編曲はザ・スターリンとなっており、プロデューサーはザ・スターリンと加藤正文の共同プロデュースとなっている。

ザ・スターリンの通算4枚目であり、ザ・スターリンとしては最後の作品となるアルバム。当時、遠藤が設立したインディペンデント・レーベルのBQレコードよりリリースされ、メンバーもギターにALLERGYの小野昌之、ベースに肥後宏を迎え音楽性を新たにした一枚。一曲あたりの時間も前作までのように一分、二分で速射砲のように畳み掛けるような構成ではなく、五分以上ある楽曲が多くを占めている。

オリコンチャートでは最高位23位となった。

背景

前作『』(1983年)リリースと前後する形で、3月5日、6日に千葉ダンシングマザースにて行われたライブを最後に、ギターのタム、ドラムスの中田ケイゴが脱退。代わりに名古屋で活動していたパンクバンド「OXYDOLL」に所属していたギターの良次雄、ドラムスの中村達也が加入[1]。アルバムを受けてのツアーを行っていたが、同年6月11日に明治学院大学で行われたライブを最後にギターの良次雄、ドラムスの中村達也が脱退、遠藤は後に「ザ・スターリンはこの時点で事実上解散した」と述べている。音楽誌『ヤングセンス』においても〈現在、スターリンは解散状態になっているらしい。ミチロウ以外のメンバーが全員、チェンジするようだ。ということで、ここしばらくスターリンの活動はお休み〉という記事が掲載された[2]。活動休止の理由について遠藤は「動脈硬化」と表現し、スターリンはバンド名ではなく遠藤の活動そのものの事であると発言、自身が納得できる状況でなくなったためであると述べた[3]

以降では8月1日には遠藤によるソノシート付きマガジン『ING'O!』の創刊や、『宝島』の10月号において、遠藤と糸井重里の対談が掲載されるなどソロでの活動がメインとなる。9月7日には京都大学西部講堂にて非常階段との合体ユニット「スター階段」としての公演を実施、ドラムスは乾純、ギターは尾形テルヤが担当した[1]。12月にはベースの杉山シンタロウが脱退、代わりにギターのJUN-BLEED、ベースの尾形テルヤ、ドラムスの乾純が加入[1]。翌1984年3月17日の清水BOWIEのライブを最後にJUN-BLEEDが脱退し、代わりにギターとして元INUに所属していた北田昌宏が加入[1]。4月10日には遠藤のソロ作品『ベトナム伝説』がリリースされ、5月にはアメリカ合衆国にてオムニバスアルバム『Welcome to 1984』がリリースされ、ザ・スターリンの曲「Chicken Farm Chicken」が収録された[1]6月3日横浜国立大学でのライブを最後に北田と尾形が脱退、ギターとして小野昌之、ベースとしてヒゴ・ヒロシが加入[1]

7月1日には新たに設立した自主制作レーベル「BQレコード」より遠藤のソロシングル「仰げば尊し」がリリースされた[1]9月14日には前年5月以来1年4か月ぶりとなる2度目の後楽園ホールでのライブを行った[1]

録音

レコーディングは1984年にマグネット・スタジオにて行われた。演奏メンバーは前作に参加したメンバーは全員脱退しており、小野マサユキ(ギター)、イヌイ・ジュン(ドラムス)、ヒゴ・ヒロシ(ベース)という新たなメンバーでレコーディングが行われた。

音楽性

具体的に言えば、スターリンをいかに殺すかがメイン・テーマだった
―リリース時コメント
遠藤ミチロウ,
宝島』1984年12月号、JICC出版

この時期に遠藤はパンク・ロックからの離脱を想定しており、『虫』ツアーのあとにザ・スターリンを解散させるつもりで制作したのが本作であるという[4]。そのため本作のテーマは「スターリンをいかに殺すか」であり、音楽性はサイケデリック・ミュージックに傾倒、自身の資質を全てさらけ出す事で「今までのスターリンが殺される部分というのはすごいある」と遠藤は述べている[5]。本作ではザ・スターリンでは表現しなかった遠藤の資質を全て引き出す事を目的としていたが、一部の曲では「横道に反れた」と遠藤は発言している[5]。また前作で掲げた「タンク・ロック(短句ロック)」に関しては音楽の様式として新しいものと遠藤は捉えていたが、実際には遠藤にとってそこまでの斬新さはなく、「グロテスク・ポップ」とこの時期に言い換えている[5]。さらに、本作収録曲の内、「バイ・バイ "ニーチェ" 」のみがタンク・ロックであると遠藤は発言している[5]

他にも遠藤は「パンク」の終焉に関して発言しており、「メディアとして、パンクというのはこうですねと言い切れるようになったとき、その使命が終わった」、「パンクがウケて、凄くなってきて、それで世の中で変わるんだっていう雰囲気は全然感じられない」と述べ、本作収録曲「アクマデ憐レム歌」の歌詞にある「訳の分かったためしがないだろう」という部分が実感であると述べている[6]

また後に遠藤は、ソロ作品『ベトナム伝説』制作時からジョイ・ディヴィジョンバウハウスを好んで聴くようになったと語り、それらのバンドの音が本作に反映される事となった[7]。また、元々ドアーズパティ・スミスを愛聴していた事もあり、前作までのパンクロックサウンドは自身の好みではなく、突然変異的に制作されたものであったとも語っている[7]

本作の音楽性に関していぬん堂は2003年のリマスター版『Fish Inn (リミックス盤)』のライナーノーツにて、「『虫』で見せた重厚なサウンドをさらに発展させた重くのしかかるような楽曲群」と表現している[8]

リリース

1984年11月20日にBQレコードより、LPにてリリースされた。その際、予約特典として、「バキューム」と「解剖室」の新録音バージョンが収録されたソノシートが付属されていた。この2曲はアルバム『trash』(1981年)に収録されていた曲。このソノシートでは本アルバム参加メンバーにより、新たに録音された音源が収録されている。また、「バキューム」は歌詞が『trash』収録のものと異なっている。この音源は、後に編集盤『STALINISM』(1987年)に収録された。

1986年12月21日にはビル・ラズウェルプロデュースによってリミックス版が『Fish Inn (リミックス盤)』としてリリースされた。

2005年4月25日にはインディペンデント・レーベルのSS RECORDINGSより、24ビットデジタルリマスタリングされ、紙ジャケット仕様にて初CD化された[9]

ツアー

本作を受けてのツアーはリリース日と同日、11月20日京都大学西部講堂から開始され、12月29日から31日までの新宿ロフトでの3日間連続公演まで20都市全22公演が行われた[1]。ツアー最終日には遠藤はライブMCにて「スターリンはこれで終わりだ!」と発言し、翌1985年1月15日を以ってザ・スターリンは解散した[1]。解散の理由としては、本作の音楽性に納得しないファンからパンク性を常に求められた事、バンドメンバーも既にパンクから脱却したがっていた事、そして遠藤は同じような音楽性のアルバムを2度出したくないとの思いが強く、ザ・スターリンというバンド名を掲げての活動維持は困難であるとの判断によって解散となった[7]2月21日には調布市大映スタジオにてラストライブが行われ、ライブの模様は後にライブアルバム『FOR NEVER』、ライブビデオ『絶賛解散中!!』としてリリースされた。

批評

専門評論家によるレビュー
レビュー・スコア
出典評価
ザ・スターリン伝説(掟ポルシェ否定的[10]

音楽本『ザ・スターリン伝説』にてミュージシャンの掟ポルシェは、本作の音楽性に関して「過激であったスターリンが頭を使って小難しい事をやろうとしてるみたい」と表現し、当時の自身と周囲の状況を振り返った上で「子供から見たらツマラナく見えちゃうじゃないですか。で、みんな家にあったスターリンのTシャツを押入れにしまい始めちゃって。実際、『ビデオスターリン』の時期とかって、スターリン聴いているってこと自体恥ずかしくなって」と述べている[10]。また、遠藤の存在自体を「パンクは死んだって言ったジョン・ライドンのようにあいつもパンクを捨てたんだみたいな感じで、裏切り者だって子供心にそう思いましたね」と本作と当時の遠藤の活動に関して否定的に評価した[10]

収録曲

全作詞: 遠藤みちろう、全作曲・編曲: ザ・スターリン

A面
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.廃魚  
2.M-16(マイナー・シックスティーン)  
3.T-Legs  
4.バイ・バイ "ニーチェ"   
合計時間:
B面
#タイトル作詞作曲・編曲時間
5.アクマデ憐レム歌  
6.Fish Inn  
合計時間:
予約特典ソノシート
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.バキューム  
2.解剖室  

スタッフ・クレジット

THE STALIN

スタッフ

  • ザ・スターリン - プロデュース
  • 加藤正文 - プロデュース
  • 西秀男 - エンジニア
  • 斉藤陽一 - ジャケット写真
  • 安江水伊那 - 内ジャケット写真
  • ミチロウ - ジャケット・デザイン
  • ディスクポート西武 - 協力

リリース履歴

No. 日付 レーベル 規格 規格品番 最高順位 備考
1 1984年11月20日 BQレコード LP BQL-1・BQS-1S(ソノシート) 23位 予約特典として「バキューム」「解剖室」の2曲収録ソノシート付属
2 2005年4月25日 SS RECORDINGS CD SS-503 - 24ビット・デジタル・リマスタリング盤
紙ジャケット仕様

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j ライナーノーツ 「ザ・スターリン年表」 『FOR NEVER』、いぬん堂 、2001年。
  2. ^ 遠藤ミチロウ 2004, p. 153- 「第三期【1983年7月 - 1985年1月】掲載誌のキャッチ ★23・日本列島のあちらこちらに、スターリンの嵐が起こった!!」より
  3. ^ 遠藤ミチロウ 2004, p. 164- 「第三期【1983年7月 - 1985年1月】掲載誌のキャッチ ★25・遠藤みちろう[スターリン]新計画発表」より
  4. ^ 遠藤ミチロウ 2004, p. 174- 「第三期【1983年7月 - 1985年1月】掲載誌のキャッチ ★27・ロングインタビュー 遠藤みちろう」より
  5. ^ a b c d 遠藤ミチロウ 2004, p. 173- 「第三期【1983年7月 - 1985年1月】掲載誌のキャッチ ★27・ロングインタビュー 遠藤みちろう」より
  6. ^ 遠藤ミチロウ 2004, p. 175- 「第三期【1983年7月 - 1985年1月】掲載誌のキャッチ ★27・ロングインタビュー 遠藤みちろう」より
  7. ^ a b c 吉田豪 (2012年3月16日). “ザ・スターリン (6/9)”. 音楽ナタリー. ザ・スターリン伝説30年後の真実に吉田豪が迫る. ナターシャ. p. 6. 2019年6月30日閲覧。
  8. ^ いぬん堂 「ライナーノーツ『凍ったサンマが溶け出して』」 『Fish Inn』、ジャパンレコーズ 、2003年。
  9. ^ ザ・スターリン『Fish Inn』がオリジナル・ヴァージョンでCD化!”. CDジャーナル. 音楽出版 (2005年3月30日). 2019年6月29日閲覧。
  10. ^ a b c 遠藤ミチロウ 2004, p. 188- 「スクラップ座談会」より

参考文献

外部リンク