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2021年6月20日 (日) 01:56時点における版
崇広堂(すうこうどう)は、三重県伊賀市上野丸之内にある建物。
沿革
1821年(文政4年)に、伊勢国津藩の第10代藩主藤堂高兌が藩校である有造館の支校として建築させた。
「崇廣堂」の名は、『書経』周官の「功崇惟志、業廣惟勤」からとったものである。扁額は上杉鷹山の筆。
剣術や槍術などの道場が併設されていたことも知られており、「御学館内絵図」(伊賀市上野図書館蔵)の崇広堂見取図、「伊賀市史 通史編」にも確認できる。道場では戸波流(新陰流)や若山流(神影自弁流)、代々藤堂家に仕えた剣術指南役の津田家が教えた新陰流の道場の場所も記載がある。
1984年(昭和59年)に上野市立図書館(現・伊賀市上野図書館)が新築されるまで、市立図書館としても利用されていた。常に修復作業が行われている。現在は、公益財団法人 伊賀市文化都市協会が施設を管理している。
史跡指定
1930年(昭和5年)11月19日、「旧崇広堂」として、国の史跡に指定された。現在、伊賀市が管理団体となっている。
関連項目
外部リンク
- 国指定文化財等データベース
- 伊賀と新陰流 (伊賀を拠点に新陰流を伝える団体 新陰流兵法 碧燕会のホームページ内)
- 史跡旧崇広堂 (伊賀市文化都市協会)
座標: 北緯34度46分4.2秒 東経136度7分31.6秒 / 北緯34.767833度 東経136.125444度