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「大田南5号古墳」の版間の差分

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2021年6月20日 (日) 01:56時点における版

大田南5号古墳(おおたみなみ5ごうこふん)は、京都府京丹後市(旧弥栄町と旧峰山町にまたがって)に所在する古墳時代中期前半の方墳である。

概要

この古墳は、京都府北部丹後半島の中央部にあり、標高82メートルの山の上に築かれた4世紀の後半に築造されたとものとみられている。近くに神明山古墳(日本海最大の前方後円墳)がある。

規模・形状

  • 12m×19mの方墳

埋葬施設

  • 組合せ式石棺

副葬品

棺内に鏡と鉄刀1本が収められていた。

  • 鏡は、被葬者の頭部右上付近にあった。鏡は方格規矩四神鏡で、「青龍三年」(の明帝の年号で235年)の銘がはっている。これまでは山梨県市川三郷町鳥居原狐塚古墳出土の紀年銘鏡赤烏元年」(の大帝の年号で238年)が最も古かった。
    • 鏡に付着していた布は、家蚕糸が使われた絹織物であることが判明している[1]
  • 被葬者の歯十数本

脚注

参考文献

  • 森 浩一 編『京都の歴史を足元からさぐる 丹後・丹波・乙訓の巻』学生社、2010年。 

位置

関連項目