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2021年6月20日 (日) 02:07時点における版
聖福寺 | |
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山門 | |
所在地 | 福岡市博多区御供所町6-1 |
位置 | 北緯33度35分49.3秒 東経130度24分50.8秒 / 北緯33.597028度 東経130.414111度座標: 北緯33度35分49.3秒 東経130度24分50.8秒 / 北緯33.597028度 東経130.414111度 |
山号 | 安国山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
創建年 | 建久6年(1195年) |
開基 | 栄西 |
別称 | 扶桑最初禅窟 |
法人番号 | 6290005000325 |
聖福寺(しょうふくじ)は、福岡県福岡市博多区にある臨済宗妙心寺派の寺院である。栄西創建で、日本最初の本格的な禅寺、「扶桑最初禅窟」として有名である。境内は国の史跡に指定されており、山門や仏殿などがある。山号は安国山(通称は安山)。
歴史
建久6年(1195年)に日本の臨済宗開祖の栄西が南宋より帰国後、宋人が建立した博多の百堂跡にいち早く寺院を創建した。これが日本最初の本格的な禅寺であり、禅道場である。山門には元久元年(1204年)、後鳥羽天皇により贈られた「扶桑最初禅窟」の額が懸かる。
室町時代末期には戦乱で兵火を受けたが永禄11年(1568年)、耳峰が入山して再興する。天正15年(1587年)には領主小早川隆景が寺領300石を寄進、仏殿、総門などの諸堂宇を修営した。他文禄4年(1595年)に豊臣秀吉より200石、慶長5年(1600年)に黒田長政より200石など、幾多の武将により寺領の寄進が伝えられている。
当寺は、当初臨済宗単独寺院であったが、開山の栄西が京都に建仁寺を開山したのち、建仁寺派となる。また、江戸時代には黒田長政の命により、妙心寺派となり存続している。
江戸時代の文化・文政期には、禅画で名高い仙厓義梵がこの寺の住職を務め、文人の間に当寺の知名度を上げた。
伽藍
禅寺の典型的な伽藍形式。日本最初の禅道場として、塔頭も含め全域が国の史跡指定。拝観不可で通常は一般公開を行っていない。行事等がある時のみ公開される場所がある。
他、大村雅朗[1]・広田弘毅・緒方竹虎・玄洋社初代社長の平岡浩太郎の墓もある。
塔頭
塔頭寺院には、円覚寺、広福庵、節信院、瑞応庵、護聖院、幻住庵、西光寺などがある。
文化財
史跡
- 聖福寺境内
重要文化財
- 絹本著色大鑑禅師像 慶元戊午華蔵宗演の題記あり
- 絹本著色高峰断崖中峰和尚像 比丘文康の賛あり
- 銅鐘 - 朝鮮鐘、高麗時代
- 有柄細型銅剣1口・内行花文鏡1面 糸島郡怡土村大字三雲(前原市三雲)出土
その他
- 梵鐘 福岡県指定有形文化財
- 銅製雲版 福岡県指定有形文化財
- 仙厓関係資料15点 福岡県指定有形文化財
- 輪蔵附経蔵 福岡県指定有形民俗文化財
- 木造十六羅漢像附石膏型 福岡市指定有形文化財
- 聖福寺古図 福岡市指定有形文化財
- 安山借屋牒 福岡市指定有形文化財
所在地
福岡県福岡市博多区御供所町6-1
交通アクセス
脚注
関連項目
外部リンク
- 聖福寺公式ホームページ
- 福岡地域別探検>聖福寺
- 聖福寺 (福岡市) - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 福岡市の文化財
- 御供所.info