「伊方古墳」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
Marine-Blue (会話 | 投稿記録) 日付の書式を修正、石室の写真を追加 |
|||
69行目: | 69行目: | ||
== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
||
* [[日本の古墳一覧]] |
* [[日本の古墳一覧]] |
||
* [[九州・沖縄の史跡一覧]] |
* [[九州・沖縄地方の史跡一覧]] |
||
{{デフォルトソート:いかたこふん}} |
{{デフォルトソート:いかたこふん}} |
2021年6月20日 (日) 02:16時点における版
伊方古墳 | |
---|---|
所在地 | 福岡県田川郡福智町伊方 |
位置 | 北緯33度40分56.1秒 東経130度47分45.6秒 / 北緯33.682250度 東経130.796000度座標: 北緯33度40分56.1秒 東経130度47分45.6秒 / 北緯33.682250度 東経130.796000度 |
形状 | 円墳1基 |
規模 | 直径32メートル、高さ3メートル |
埋葬施設 | 横穴式石室1基 |
出土品 | 馬具、須恵器、土師器 |
築造時期 | 6世紀末 |
史跡 | 福岡県指定史跡 |
地図 |
伊方古墳(いかたこふん)は、福岡県田川郡福智町にある古墳である。
概要
伊方古墳は、全長11.6メートルの横穴式石室を有した古墳である[1]。羨道から石室に至るまでの構造について、2003年(平成15年)まで3室構造だと報告されていたが、同年の調査によると厳密には複室構造であると判断された[2]。田川地方に残っている古墳としては最大規模のものであり、副葬品として、金銅装(金メッキ)の馬具や須恵器などが発見されている[3]。その出土品の内容から、当時の権力者の墓であると考えられている[3]。
発掘の経緯
6世紀の終わりごろに造られた、福岡県内でも有数の規模を持つ巨大円墳である[4]。1977年(昭和52年)4月9日、古墳の破壊進行を防ぐことを目的に、福岡県から県の指定史跡に指定された[5]。1997年(平成9年)に発掘調査を行い、墳丘測量、周溝の範囲確認、石室の実測作業を実施した[6]。
規模
2007年に福地町教育委員会が発行した報告書によると、古墳の大きさは以下のようになる[7]。
- 古墳総長:約36メートル
- 墳丘
- 直径:約32メートル
- 高さ:約3メートル
- 石室:約11.6メートル
- 周溝:幅約2メートル
2003年(平成15年)度、遺構面保護のため底面を30センチ盛土しており、墳丘の高さは約2.7メートルとなる[7]。また、石室は福岡県田川地区において最大級の横穴石室である[7]。
出土品
ギャラリー
-
石室入口付近の外観
-
石室内部、入口付近の様子
-
石室最奥部
現地情報
- 所在地:福岡県田川郡福智町伊方3946 ※伊方台地の先端近くにあり、福智町立伊方小学校の北側に存在
- アクセス:平成筑豊鉄道金田駅から車で5分[9]
- 営業時間:保存のため、年に2回のみ公開(4月と10月)[9]
- 駐車場:あり(無料)
出典
- ^ 『県指定史跡伊方古墳 福智町文化財調査報告書第1集』福智町教育委員会、2007年3月30日、38頁。
- ^ 『県指定史跡伊方古墳 福智町文化財調査報告書第1集』福智町教育委員会、2007年3月30日、32頁。
- ^ a b “福岡県福智町公式ホームページ あそぶ・くつろぐ”. 福智町. 2017年10月8日閲覧。
- ^ 『広報ふくち』福智町(本庁)、2014年12月、28頁。
- ^ 『方城町のあゆみ』方城町、2006-01-22日、132頁。
- ^ 『福岡県田川郡方城町所在遺跡の発掘調査報告書』方城町教育委員会、1998-03-31日、1頁。
- ^ a b c 『県指定史跡伊方古墳 福智町文化財調査報告書第1集』福智町教育委員会、2007年3月30日、55頁。
- ^ 『伊方古墳』福智町教育委員会、2007年9月30日。
- ^ a b “福岡町村会”. 福岡町村会. 2017年10月8日閲覧。