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5世紀中頃に[[フランク人]]の[[サリ族]]を率いた王で、451年の[[カタラウヌムの戦い]]で[[アエティウス]]の率いる[[西ローマ帝国]]軍に従い、[[フン族]]を破った。457年頃に死に、息子の[[キルデリク1世|キルデリック]](フランク王国の初代国王となる[[クローヴィス1世 (フランク王)|クローヴィス1世]]の父)が後を継いだとされる。 |
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具体的に知られるのは以上だけで、後にメロヴィング家の始祖(メロヴィングの語源)とされ、海神の子孫とする伝説(『[[フレデガリウス年代記]]』)などが流布した<ref>{{Cite book|和書|author=ルネ・ミュソ=グラール|year=2000|title=クローヴィス|publisher=文庫クセジュ|pages=P.21}}</ref>。また[[サリ族|サリ=フランク族]]の王としては同時期に{{仮リンク|クロディオ|en|Chlodio}}が活躍しており、メロヴィクスはクロディオの家系から出たと[[トゥールのグレゴリウス]]は『フランク史』に書いている<ref>{{Cite book|和書|author=[[ジュール・ミシュレ]]|year=2016|title=フランス史【中世】I|publisher=論創社|pages=P.196}}</ref>が、確実な情報はない。 |
具体的に知られるのは以上だけで、後にメロヴィング家の始祖(メロヴィングの語源)とされ、海神の子孫とする伝説(『[[フレデガリウス年代記]]』)などが流布した<ref>{{Cite book|和書|author=ルネ・ミュソ=グラール|year=2000|title=クローヴィス|publisher=文庫クセジュ|pages=P.21}}</ref>。また[[サリ族|サリ=フランク族]]の王としては同時期に{{仮リンク|クロディオ|en|Chlodio}}が活躍しており、メロヴィクスはクロディオの家系から出たと[[トゥールのグレゴリウス]]は『フランク史』に書いている<ref>{{Cite book|和書|author=[[ジュール・ミシュレ]]|year=2016|title=フランス史【中世】I|publisher=論創社|pages=P.196}}</ref>が、確実な情報はない。 |
2021年7月24日 (土) 22:40時点における版
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f6/M%C3%A9daille_Roi_de_France_M%C3%A9rov%C3%A9e.png/200px-M%C3%A9daille_Roi_de_France_M%C3%A9rov%C3%A9e.png)
メロヴィクス(メロヴィウス、Merovech / Meroveus / Meroviusなどと綴られる)は、フランク王国のメロヴィング家の始祖とされる、半ば伝説的な人物。
生涯
5世紀中頃にフランク人のサリ族を率いた王で、451年のカタラウヌムの戦いでアエティウスの率いる西ローマ帝国軍に従い、フン族を破った。457年頃に死に、息子のキルデリック(フランク王国の初代国王となるクローヴィス1世の父)が後を継いだとされる。
具体的に知られるのは以上だけで、後にメロヴィング家の始祖(メロヴィングの語源)とされ、海神の子孫とする伝説(『フレデガリウス年代記』)などが流布した[1]。またサリ=フランク族の王としては同時期にクロディオが活躍しており、メロヴィクスはクロディオの家系から出たとトゥールのグレゴリウスは『フランク史』に書いている[2]が、確実な情報はない。
脚注
参考文献
- ル・ジャン, レジーヌ 『メロヴィング朝』 加納修訳、白水社〈文庫クセジュ 939〉、2009年9月。ISBN 978-4-560-50939-5。
- Malcolm Todd , "The Early Germans"(Wiley-Blackwell,1992)
- Ian Wood , "The Merovingian Kingdoms 450–751." (Longman Group, 1994)