「クロタール3世 (フランク王)」の版間の差分
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[[クロヴィス2世]]の長男。[[657年]]父が亡くなり、母の[[バルティルド]]が摂政となり国王に即位した<ref>柴田 他、p. 149</ref><ref>ル・ジャン、p. 32</ref>。[[662年]]、アウストラシア王国内の[[ピピン家]]による王位簒奪を終わらせ、アウストラシアの統治の権利を弟の[[キルデリク2世 (フランク王)|キルデリク2世]]に与えた。 |
[[クローヴィス2世 (フランク王)|クローヴィス2世]]の長男。[[657年]]父が亡くなり、母の[[バルティルド]]が摂政となり国王に即位した<ref>柴田 他、p. 149</ref><ref>ル・ジャン、p. 32</ref>。[[662年]]、アウストラシア王国内の[[ピピン家]]による王位簒奪を終わらせ、アウストラシアの統治の権利を弟の[[キルデリク2世 (フランク王)|キルデリク2世]]に与えた。 |
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[[673年]]春に21歳で死去した。 |
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2021年7月24日 (土) 22:43時点における版
クロタール3世 Chlothar III | |
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ネウストリア=ブルグント王 | |
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在位 | 658年 - 673年 |
出生 |
652年 |
死去 |
673年 |
埋葬 | サン=ドニ大聖堂 |
子女 | クロヴィス3世? |
王朝 | メロヴィング朝 |
父親 | クローヴィス2世 |
母親 | バルティルド |
クロタール3世(Chlothar III, 652年 - 673年)は、メロヴィング朝の6代目の国王(在位:658年 - 673年)。
生涯
クローヴィス2世の長男。657年父が亡くなり、母のバルティルドが摂政となり国王に即位した[1][2]。662年、アウストラシア王国内のピピン家による王位簒奪を終わらせ、アウストラシアの統治の権利を弟のキルデリク2世に与えた。
673年春に21歳で死去した。
脚注
参考文献
- 柴田三千雄 他 『世界歴史大系 フランス史1』、山川出版社、1995年
関連項目
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