コンテンツにスキップ

「上ノ薗公秀」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
1行目: 1行目:
{{BLP unsourced|date=2013年8月20日 (火) 14:12 (UTC)}}
{{存命人物の出典皆無|date=2013年8月20日 (火) 14:12 (UTC)}}
'''上ノ薗 公秀'''(うえのその きみひで、[[1968年]][[7月13日]] - )は、[[朝日放送]]グループの [[エー・ビー・シーメディアコム]]所属の[[ラジオ]][[プロデューサー]]。主に[[落語家]]や[[漫才師]]が出演する[[ラジオ番組]]の[[演出]]や構成を担当。[[大阪市]][[阿倍野区]]出身で[[住吉区]]育ち。[[大阪学院大学]][[経済学部]]卒業。 [[ABO式血液型|血液型]]はO型。既婚。
'''上ノ薗 公秀'''(うえのその きみひで、[[1968年]][[7月13日]] - )は、[[朝日放送]]グループの [[エー・ビー・シーメディアコム]]所属の[[ラジオ]][[プロデューサー]]。主に[[落語家]]や[[漫才師]]が出演する[[ラジオ番組]]の[[演出]]や構成を担当。[[大阪市]][[阿倍野区]]出身で[[住吉区]]育ち。[[大阪学院大学]][[経済学部]]卒業。 [[ABO式血液型|血液型]]はO型。既婚。



2021年8月1日 (日) 05:12時点における版

上ノ薗 公秀(うえのその きみひで、1968年7月13日 - )は、朝日放送グループの エー・ビー・シーメディアコム所属のラジオプロデューサー。主に落語家漫才師が出演するラジオ番組演出や構成を担当。大阪市阿倍野区出身で住吉区育ち。大阪学院大学経済学部卒業。 血液型はO型。既婚。

来歴

  • 小学生時代は近所で「神童」と呼ばれ、中学時代は生徒会長を務めていた。
  • 中学2年の冬休みにMBSヤングタウン土曜日の公開録音「恋愛指南のコーナー」に出演。
  • 高校時代は柔道部。
  • 落研出身。高座名は「恋枝亭愛志(こいしてい いとし)」。しかし、あだ名は「ちんねん」と呼ばれる。大学時代を知る業界人は、今でも彼を「ちんねん」と呼んでいる。命名理由は不明。
  • 特技は落研時代に取得した「を捕まえる動き」。
  • 大学3回生だった1989年平成元年)夏、噺家になることを前提に、桜橋時代のラジオ大阪前説や雑用のアルバイトを始める。
  • 同じく大学3回生のとき、朝日放送主催の「大学対抗爆笑マッチ」に出場。
  • 1990年(平成2年)朝日放送スポーツ部でADのアルバイトを始める。
  • 毎日放送素人名人会」に出演し、自慢の落語を披露するも、審査員であった3代目桂小文枝まで伝わらず「名人賞」を逃したために(次点にあたる「敢闘賞」を獲得)、噺家を諦め、1991年(平成3年)、番組制作会社に入社。
  • 2001年(平成13年)4月、フリーランスとなるが、2009年(平成21年)4月より朝日放送のグループ会社エー・ビー・シーメディアコムに入社した。
  • 2011年から「森のその」で共演していた構成作家・モリワキナオシと大阪・十三の劇場「シアターセブン」にて、「ウエノソノ&モリワキのやってみんと」というタイトルのトークイベントを毎月1回開いていた。
  • 2015年11月14日には、翌日開催される「ABCラジオまつり2015」の宣伝をしに『乾麻梨子のBonBonラジオ!』にゲスト出演。
  • 2019年9月7日より、『土曜いそべ堂』の新パーソナリティに、プロデューサー兼任のまま就任。初のレギュラー出演を果たす。

担当番組

過去の担当番組

関連項目

外部リンク