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2021年8月1日 (日) 05:24時点における版
基本情報 | |
---|---|
本名 | 高橋 直人 |
通称 | 逆転の貴公子 |
階級 | スーパーバンタム級 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1967年11月17日(56歳) |
出身地 |
日本 東京都調布市 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 23 |
勝ち | 19 |
KO勝ち | 14 |
敗け | 4 |
高橋 ナオト(たかはし ナオト、1967年11月17日 - )は、日本の元プロボクサー、ノンフィクション作家。東京都調布市出身。本名は高橋 直人。元日本バンタム級・元日本スーパーバンタム級チャンピオン。
その試合ぶりから「逆転の貴公子」とも呼ばれた。
現役時代はアベボクシングジムに所属し、引退後にGAORAプロボクシング中継解説者を経てJBスポーツクラブ初代会長として、元OPBF・日本スーパーバンタム級王者福島学を育てた。
JBスポーツのオーナーにして現会長でもある漫画家・森川ジョージの作品『はじめの一歩』に登場する宮田一郎のモデルとなった。森川と決別後はボクシングクラブを主宰している。
来歴
1985年2月7日、都立農業高校在学中にアベボクシングジムから高校生プロボクサーとして17歳でプロデビュー。
1986年3月4日、大阪府立体育会館で全日本バンタム級新人王とMVPを獲得。
1986年9月25日、A級ボクサー賞金トーナメント優勝とMVPを獲得。
1987年2月1日、今里光男にKO勝ちし、日本バンタム級王座を獲得。チャンピオンカーニバルMVP。同年6月6日の初防衛戦で今里に返り討ちのKO勝ち。しかし、同年10月3日の2度目の防衛戦で小林智昭に判定負けで王座から陥落した。翌1988年、リングネームを本名から「高橋ナオト」に変更し、小林が返上した日本バンタム級王座決定戦に出場したが、島袋忠に6回KO負けを喫して王座奪回に失敗。その後、減量苦からスーパーバンタム級に転向。
1989年1月22日、自身最後のカーニバル出場、指名挑戦者としてマーク堀越を9回2分42秒KOで倒して日本スーパーバンタム級王座を獲得し、2階級制覇に成功した。この試合は年間最高試合に選ばれた(詳細はマーク堀越 対 高橋ナオト戦を参照)。
1989年5月13日、タイ国王者ノーリー・ジョッキージムに3回2分26秒、逆転KO勝ち。
1989年10月14日、日本スーパーバンタム級王座の防衛戦で打越秀樹と対戦し、6回KO勝ちで王座初防衛に成功した。その後、王座は返上。
1990年2月11日、東京ドームでマイク・タイソン vs ジェームス・ダグラス戦の前座試合でノーリー・ジョッキージムと再戦して6度のダウンを喫し、10回判定負け。
1991年1月12日、韓国の朴鍾弼に9回KOで敗れ、身動きひとつできずに担架でリングを去った。その後、脳内出血が判明して現役引退。9月に畑中清詞と引退記念のスパーリングを行った。
1993年、『ボクシング中毒者』でナンバースポーツノンフィクション新人賞を受賞(同書内でパンチドランカーとなったことを告白)。2004年には自叙伝『殴られた犬の誇り』を出版した。
一時期はザ・おやじファイトに参加し、現在は甲府でトレーナーを続けている。
獲得タイトル
関連項目
外部リンク
- アベボクシングジム
- JB SPORTS
- 甲府ヨネクラボクシングジム
- 後楽園ホール公式サイト 高橋ナオト・インタビュー
- 丸山幸一のインサイドブロー/高橋直人さんと打越昌弘さんの対談
- 高橋ナオトの戦績 - BoxRec(英語)
前王者 今里光男 |
第42代日本バンタム級王者 1987年2月1日 - 1987年10月3日 |
次王者 小林智昭 |
前王者 マーク堀越 |
第17代日本スーパーバンタム級王者 1989年1月22日 - 1989年11月14日(返上) |
空位 次タイトル獲得者 西條学 |