コンテンツにスキップ

「伊藤祐樹」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
Cewbot (会話 | 投稿記録)
1行目: 1行目:
{{BLP unsourced|date=2015年4月}}
{{存命人物の出典皆無|date=2015年4月}}
{{特筆性|人物|date=2015年4月}}
{{特筆性|人物|date=2015年4月}}
{{Infobox baseball player
{{Infobox baseball player

2021年8月1日 (日) 07:20時点における版

伊藤 祐樹
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県淡路市
生年月日 (1972-07-07) 1972年7月7日(51歳)
身長
体重
170 cm
67 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 遊撃手二塁手三塁手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

伊藤 祐樹(いとう ゆうき、1972年7月7日 - )は、兵庫県淡路市出身の元社会人野球選手(内野手)。

経歴

兵庫県立津名高等学校から、北陸大学野球連盟に加盟する福井工業大学に進学。大学時代に、全日本大学野球選手権大会への出場経験がある。

大学卒業後、1995年社会人野球日産自動車に入社。強打があるわけではないが、堅実な守備と俊足を武器にたちまち遊撃手のポジションを手にした。その後、チーム事情に応じて三塁手二塁手となることもあったが、スターティングオーダーから名前が消えることは殆ど無く、レギュラーを守り続けた。

1998年第69回都市対抗野球大会で優勝に貢献したことが認められ、同年の社会人ベストナインの遊撃手部門を受賞。その後、2001年2003年と同部門で同賞を受賞。史上初の「社会人ベストナイン遊撃手3回受賞選手」となった。

2003年の第30回社会人野球日本選手権大会の決勝(対大阪ガス戦)では、延長戦にもつれこむ接戦ながら、11回裏に2死1,2塁のチャンスでライト線にツーベースヒットを放ち、チーム初優勝を導いた。伊藤は、この大会のMVPを獲得している。

2009年のシーズンをもって日産自動車が休部。伊藤もチームとともに現役を引退した。

2019年7月6日、社会人野球での実績が評価され、日本野球連盟が制定した「社会人野球 平成ベストナイン」に選出された[1]

人物

2003年7月日大から入社して2年目の小澤裕昭投手が練習中に突然倒れ、心筋炎で40日後逝去した(享年24)。その年、日産自動車は都市対抗野球大会の出場権を逃し、秋の日本選手権に向けて猛練習を積んでいる中での出来事であった。その後、出場権を獲得し、挑んだ本戦の会場である大阪ドームのベンチには小澤投手の遺影が置かれていた。伊藤は小澤投手の遺影を見つめてから打席に向かっていた。

大阪ガスとの決勝戦は同点で延長戦に向かい、伊藤が能見篤史からサヨナラヒットを放って日産自動車が初優勝を果たした。そのとき伊藤は次のように語った。

「今日の試合中、ずっと小澤の写真が怒っているように見えたんです。でも、最後のヒットを打ってベンチに帰ってきたら、小澤の写真が笑っているように見えました」

日本代表キャリア

日本代表の主将を務めた。

主な表彰、タイトル

脚注