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2021年8月1日 (日) 08:55時点における版
安田 修(やすだ おさむ)は日本の実業家。牧場経営者。
かつて存在した新興産業株式会社(現在倒産)の代表取締役であった人物。
競馬
1990年から日本中央競馬会 (JRA) の馬主となる。自身の経営していた会社名に由来する冠名「シンコウ」を使用し、勝負服の柄は黒であった。
当初は数頭の内国産馬からサラブレッドを持ち始めたが、1991年春、中山大障害でシンコウアンクレーが優勝し、馬主となってから1年少々で中央競馬の重賞を制する幸運に恵まれる。以後はシンコウラブリイ、シンコウキング、シンコウフォレストら血統のよい外国産馬を抱え、2度に渡って中央競馬のリーディングオーナー20位以内に入る活躍を見せた。
1996年には沙流郡門別町に生産牧場・シンコーファーム(こちらには冠名の「シンコウ」ではなく「シンコー」と記す)を開設し、馬主となってから10年も経たぬうちにオーナーブリーダーにもなった。
しかし2000年前後から新興産業の強引な契約手法が雑誌で取り上げられるようになった結果社会問題となり、やがて経営が立ち行かなくなる。2001年3月に所有馬を手放し、馬主登録を抹消した。その後は会社経営に専念するも、2003年に新興産業は倒産し、会社は消滅した。
一方でシンコーファームの経営は軌道に乗っており、2001年には代表生産馬レディパステルが優駿牝馬に優勝し、2002年に新興産業から独立して株式会社化。生産専門のマーケットブリーダーとして、その後もフミノイマージン[1]などの活躍馬を送り出している。
おもな所有馬
- シンコウアンクレー(中山大障害〈春〉)
- シンコウラブリイ(マイルチャンピオンシップ、ニュージーランドトロフィー4歳ステークス、毎日王冠、スワンステークス、ラジオたんぱ賞、クイーンステークス)
- クエストフォベスト(種牡馬)
- シンコウキング(高松宮杯)
- シンコウウインディ(フェブラリーステークス、ユニコーンステークス、平安ステークス)
- シンコウフォレスト(高松宮記念、阪急杯、函館スプリントステークス)
- シンコウスプレンダ(京成杯オータムハンデキャップ、エルムステークス)
- シンコウエドワード(NHKマイルカップ2着)※現役中に馬主変更
- シンコウカリド(スプリングステークス2着、馬主変更後セントライト記念)※現役中に馬主変更
- シンコウシングラー(種牡馬)※現役中に馬主変更
脚注
- ^ “重賞ウイナーレポート「2011年04月23日 福島牝馬S G3 優勝馬:フミノイマージン」”. 競走馬のふるさと案内所. 日本軽種馬協会 (2011年). 2012年9月7日閲覧。