「但田裕介」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m →来歴・人物: 項目作成に伴う内部リンクの一部変更 |
m Bot作業依頼: 改名によるテンプレートおよびテンプレート引数の置き換え依頼 (Template:存命人物の出典皆無) - log |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{ |
{{存命人物の出典皆無|date=2014年9月}} |
||
{{Infobox baseball player |
{{Infobox baseball player |
||
|選手名 = 但田 裕介 |
|選手名 = 但田 裕介 |
2021年8月4日 (水) 05:13時点における版
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都小平市小金井 |
生年月日 | 1951年4月27日(73歳) |
身長 体重 |
176 cm 67 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1969年 ドラフト3位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
|
但田 裕介(たじた ゆうすけ、1951年4月27日 - )は、東京都小平市小金井出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
来歴・人物
堀越高等学校では、エース、五番打者として活躍。2年生の時、1968年秋季東京大会決勝に進出。この試合では日体荏原高に敗退するが、翌1969年春の選抜にチーム初出場を決める。大会では準々決勝で山本功児、淡口憲治のいた三田学園を降し、準決勝では博多工の岩崎清隆と投げ合い完封勝利。しかし決勝では三重高の上西博昭に抑えられ大敗、準優勝にとどまった[1]。同年春季関東大会でも決勝でエース柴崎孝夫(日本石油)を擁する取手一高に延長11回サヨナラ勝ち、優勝を飾る。夏の甲子園都予選は準決勝で日大一高の保坂英二、小山良春(日大-三協精機)と投げ合うが9回逆転負け。
1969年のドラフトに阪神から3位指名され入団。しかし一軍公式戦の出場はなく、1972年限りで引退。
詳細情報
年度別投手成績
- 一軍公式戦出場なし
背番号
- 35 (1970年)
- 50 (1971年 - 1972年)
脚注
- ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年