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'''夏川 立也'''(なつかわ たつや、[[1965年]] -)は、日本のコミュニケーション・コンサルタント、プレゼンター、講演講師、文筆家。桂三枝(現在の[[桂文枝 (6代目)|六代目桂文枝]])の弟子。 |
'''夏川 立也'''(なつかわ たつや、[[1965年]] -)は、日本のコミュニケーション・コンサルタント、プレゼンター、講演講師、文筆家。桂三枝(現在の[[桂文枝 (6代目)|六代目桂文枝]])の弟子。 |
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夏川 立也(なつかわ たつや、1965年 -)は、日本のコミュニケーション・コンサルタント、プレゼンター、講演講師、文筆家。桂三枝(現在の六代目桂文枝)の弟子。
略歴
学生時代
1965年(昭和40年)大阪生まれ。大阪市天王寺区で幼少期を過ごす。 大阪市立高松小学校に入学するが、2年生時に父親の仕事の都合で大阪市生野区に引っ越す。それに伴って、大阪市立中川小学校に転入。 教育熱心な両親に厳しく教育されるが、大阪教育大学附属天王寺中学校、灘中学校と相次いで中学受験に失敗。地元の大阪市立大池中学校に入学。 学級委員長、生徒会長を務め、大阪府立天王寺高校に進学。
中学時代は柔道部、高校時代は野球部に所属。 高校3年時、生徒会の応援演説で友人を誘って漫才を披露。これが後に弟子入りするキッカケになった。 小学校時代の反動からか、高校生活では全く勉強せず、あっさりと大学受験に失敗。
浪人生活
浪人生活が始まるやいなや、野球部の監督がほとんど練習に来ないことに激怒、後輩のためにと、一年間のコーチ役を買って出る。そのせいか、翌年もあっさりと大学受験に失敗。 2年間の浪人生活の後、京都大学工学部土木工学科に入学。 研究室は、コンクリート工学藤井研究室、専攻は鉄筋コンクリートの座屈。
芸人時代
大学3年生の秋、朝日新聞紙上に桂三枝師匠のインタビュー記事が掲載され、『落語に限らず、お笑い好きの若者集まれ!』という一文を目にした後輩に勧められるまま、桂三枝創設の“お笑い維新塾”に応募。『息子の家庭教師にちょうどええ』という三枝師匠のひとことで、4年で大学を卒業することを条件に合格。その後、お笑い維新塾二代目の塾長を務める。 同門同期に、浪漫亭ロミオ(現在の吉本新喜劇で緑のヤクザを演じる中條健一)、幹てつや、高杉二郎、また、一期下に尾崎小百合(現在のかつみさゆりのさゆり)がいる。 今で言う、高学歴芸人の走りであるが、当時は、大学を出て芸人になるだけで大変な時代。 同じく京都大学の後輩を連れて、元祖京大卒漫才師として活躍し始めるも、『漫才やっていることが親にバレた』という理由で引退する後輩を引き止めることができず、ピンで活動を続けるが、芽が出ることはなかった。
企業家時代
芸人だけで食べることができず、アルバイトが高じて25歳の時に、広告関係の株式会社を設立。 これも、企業家芸人の走りであるが、当時は、売れる前から裏で会社を作ってお金儲けに夢中になるなど、師匠にバレると破門にもなりかねない時代。 年商と社員が増えるに従って、次第に芸能生活と疎遠になり、経済人としての活動をメインに続けて行く時代が続いた。
取引先の社長の紹介で、28歳の時に、地元青年会議所(社団法人豊中青年会議所)に入会。社会貢献活動の魅力にも取り付かれ、37歳の時に理事長も務めた。 40歳で卒業するまでの13年間のJC活動の経験が、現在の講演活動、執筆活動の源泉になっている。
講演講師時代
40歳で青年会議所を卒業し、直後に父親を肺ガンで亡くす。 生きる意味について考えた結果、講演講師として生きることを決意。42歳の時に単身上京。 コンテンツは、どうすれば人が笑うのか、どうすれば人の集団は前向きになるのかといった、芸人として経営者としてJCマンとして身につけたコミュニケーション・モチベーション系のスキル。
2年後からは年間200本を超える講演会・研修会に呼ばれる人気講師になり、現在も活動を続けている。 日本のお昼休みにほんの少しのスマイルを!というコンセプトで、毎日の時事ネタで漫才を作成して発表する『夏川立也の毎日が時事ネタ漫才』(ブログ)は、震災直後も休むことなく7年間1,634回継続し、コメントの数×5円の募金活動も3年間継続した。(現在は休筆中)
エピソード
弟子時代、東京にカバン持ちとして同行し夜解放される際、『これで飯でも食って来い!』と財布を取り出した三枝師匠。あいにく千円札がなく、仕方なく一万円札を手渡されたところ、居酒屋で全部使ってしまい、三日三晩説教されたことがある。弟子入りした直後、梅田花月で開催された、勝ち抜き式の新人漫才コンクール『ル・マンザイ』でいきなり決勝大会進出。一回戦を突破したが、二回戦で雨上がり決死隊に敗れたことを今でも自慢している。
書籍
- 『パワー・コミュニケーション』(2006年:中央経済社)
- 『こんなにおもしろいコミュニケーション・コンサルタントの仕事』(2009年:中央経済社)
- 『京大卒芸人が教える スベらない話し方』(2010年:かんき出版)
- 通信講座テキスト+ワークブック 『笑う職場に福来る リーダーのための笑いのすすめ』『成果が上がる組織力UPコミュニケーションコース』(2012年:職業訓練法人 日本技能教育開発センター)
- 『面白いほど話が弾む!魔法の「10秒!」きっかけフレーズ』(2013年:学研パブリッシング)
- 通信講座テキスト+ワークブック 『共感を呼ぶストーリーテリングの実践 ~話す力・伝える力・語る力~』(2016年:職業訓練法人 日本技能教育開発センター)
- 『誰からも必ず「よかった!」と言われる話し方39のコツ』(2016年:日本実業出版社)
講演会のタイトル
- 『吉本芸人として学んだビジネスコミュニケーション』
- 『吉本芸人として学んだ、空気づくりの方程式』
- 『スベらない営業トーク』
- 『こんなに簡単!笑いで周囲が応援団になる!パワー・コミュニケーション』
- 『メンタルが落ちない組織の作り方』
- 『魔法のコミュニケーションが安全を実現する』等
テレビ・ラジオ・映画出演等
- 朝日放送『ナイトinナイト』火曜日レギュラー出演(1989年~)
- KBS滋賀ラジオ『夏川立也の午後は気ままに楽市タウン』(1990~92年)
- 毎日放送『ワイドショーレインボー』構成作家(1992年)
- 朝日放送『アーバンポリス21』出演(1990年)
- KBS滋賀ラジオ『夏川立也とミッキーのラジオビート1215!』(1992~96年)
- 松竹映画『サラリーマン専科2』出演(1996年)
出典
- 夏川立也、『パワー・コミュニケーション』、中央経済社、2006年、pp.49~52
- 『読売新聞(関西・中国・四国版)』(2012年9月2日朝刊)
- 『たけし・所のドラキュラが狙っている』、毎日放送、1994年5月15日放送