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2021年8月4日 (水) 06:39時点における版

山中敦史
名前
愛称 アツ、アチ、レオン
カタカナ ヤマナカ アツシ
ラテン文字 ATSUSHI YAMANAKA
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1992-07-22) 1992年7月22日(31歳)
出身地 大阪府寝屋川市
身長 180cm
体重 79kg
選手情報
ポジション DF / MF
利き足 左足
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

山中 敦史(やまなか あつし、1992年7月22日 - )は、大阪府寝屋川市出身のサッカー選手ドミニカ共和国で初の日本人選手となり、同時に初のプロ契約を結んだ。

来歴

小学1年生の時に友人の誘いを受けてガンバ大阪門真ジュニアスクールに通い、サッカーを本格的に始める。同クラブでジュニアユースに上がり、中学3年生までプレーした。高校時代は枚方市の枚方フジタSCでプレー。

高校卒業後、パラグアイに渡りクラブ アトレティコ フヴェントゥでプレーする。退場した出場停止の試合を除く全試合に左サイドバックのレギュラーとしてフル出場した。その後,同国リーグのヘネラル カバジェロZCや、リーベル プレート‘エル ケーリト‘インデペンディエンテCGなどでプレーした。

その後、2015年ドミニカ共和国ではアトレティコ パントハの練習に参加した後,、アトレティコ サンクリストバルの練習に参加。練習試合で結果を残し、アトレティコ サンクリストバルて契約することを決めるが、リーグ開幕前に監督が2度も解任されて契約ができるのかできないのか微妙な立場になるという憂き目に会う。会長や強化部の誘いもあり、2015年3月6日、プロ契約を結び、サンクリストバルではチームメイトのコロンビア人選手とハイチ人選手とルームシェアで生活した。デビュー戦となったホームの開幕戦の試合ではベンチスタートで後半25分から途中出場した。激しいマークやラフプレーの洗礼を受けた。次のアウェイ戦では先制ゴールを決めたものの1-1で引き分けた。翌日の新聞では「ドミニカ共和国で初めてゴールを上げた日本人」として大きく取り上げられ、注目を浴びた。

2016年4月、単身でコスタリカに渡り、ウニベルシダ デ コスタリカに練習生として参加するが契約には至らなかった。その後、ウルグアイ デ コロナドに練習生として参加し,練習試合でのプレーが評価され、2016年7月9日に契約した。

エピソード

パラグアイ代表選手とは親交が深く、サルバドール・カバニャスとはヘネラル カバジェロ時代のチームメイトで、FC東京でプレーしていたササ・サルセードや元パラグアイ代表DFデニス・カニサとは今でも連絡を取り合う仲である。

所属クラブ

  • 1999年 - 2004年 日本の旗 ガンバ大阪門真ジュニア
  • 2005年 - 2007年 日本の旗 ガンバ大阪門真ジュニアユース
  • 2008年 - 2010年 日本の旗 枚方フジタSC
  • 2012年 - パラグアイの旗 クラブ アトレティコ フヴェントゥ
  • 2013年 - パラグアイの旗 ヘネラル カバジェロZC
  • 2014年1月 - 7月パラグアイの旗 リーベル プレート‘エル ケーリト‘
  • 2014年7月 -10月 パラグアイの旗 インデペンディエンテCG
  • 2015年 - ドミニカ共和国の旗 アトレティコ サンクリストバル
  • 2016年 - 2017年 コスタリカの旗 ウルグアイ デ コロナド

関連項目

外部リンク