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2021年8月4日 (水) 07:01時点における版
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やまもと てつじ (クリエイティブネーム:やまゲン) 山元 哲治 | |
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生誕 |
1961年1月28日(63歳)![]() |
職業 | ゲームクリエーター/プロデューゲームプロデューサー/作詞家 |
活動期間 | 1986年 - |
代表作 |
Consumer Game 『CHAMPION'S GOLF』など |
活動拠点 |
日本 東京/金沢 http://www.epics.jp/ |
山元 哲治(やまもと てつじ、1961年(昭和36年)1月28日 - )は、日本のゲームクリエーター/プロデューサー/作詞家。
株式会社バンダイ、株式会社ウィズ、株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント、株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)を経て、現在はゲーム制作会社、株式会社epics(エピックス=epics Inc.)の代表取締役社長/CEO。
プロフィール
東京都八王子市生まれ。小中学校を世田谷区~渋谷区で過ごし、石川県立金沢商業高等学校を卒業。 株式会社バンダイ、株式会社ウィズ、株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントを経て、株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の創業メンバーとしてPlayStationの立ち上げに尽力。ジャンルに捉われないユニークなアイデアの数々で名作を生み出し続け、ヒットメーカーとして多大なる功績を残した(PlayStation20周年企画!/PlayStationの名作を手掛けたプロデューサーたち)。
手掛けた作品は、「ジャンピングフラッシュ」「ポポロクロイス物語」「 I.Q ~インテリジェントキューブ」「がんばれ森川くん2号」「やるドラシリーズ」など多数。2006年SCEを退社し、現在はゲーム制作会社、株式会社epics(エピックス=epics Inc.)の代表取締役社長/CEO。
略歴
- 1979年 - バンダイ運輸株式会社入社
- 1981年 - 株式会社バンダイ 転籍
- 1986年 - 株式会社ウィズ 取締役
- 1987年 - 株式会社ジェン・クリエイティブハウス 代表取締役
- 1992年 - 株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)
- 1993年 - 株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント転籍
- ソフト制作部門で部長 兼エグゼクティブプロデューサーを担当 - 2006年 -株式会社ウィズ 取締役 兼株式会社epics(エピックス=epics Inc.)代表取締役に就任
- 2008年にウィズからエピックスが独立
企画/プロデュース作品
●企画/ディレクション
- 1987年 - 所さんのまもるもせめるも<FCファミリーコンピュータ>
- 1988年 - ビバ・ラスベガス<FCファミリーコンピュータ>
- 1991年 - 白熱プロ野球 ガンバリーグ<SFCスーパーファミコン>
など多数。
●企画/プロデュース
- 1995年 - ジャンピングフラッシュ<PlayStation>
- 1995年 - ポポロクロイス物語<PlayStation>/ PHILOSOMA<PlayStation>
- 1997年 - I.Q<PlayStation>/がんばれ森川君2号<PlayStation>
- 1998年 - ポポローグ<PlayStation>/『やるドラ』シリーズ
- 2000年 - ポポロクロイス物語II<PlayStation>
- 2001年 - ボクと魔王<PlayStation 2>
など多数。
* 2014年 - CHAMPION'S GOLF<Smartphone>
ポポロクロイス物語
1980年代後期、EPIC SONY RECORDSニューメディア部GS制作課のディレクターだった山元は、企画ネタを探している最中にアニメ制作会社の社長にTVシリーズ「ポポロクロイス物語」の企画書を紹介される。
この時点では、このTVシリーズの企画書は数年前にボツになったものだったが、ゲーム用の企画ネタとして使えると判断した山元は、スーパーファミコンソフトのゲームとして企画を立てて、会社に提案した。
ところが、ソニー(当時)と任天堂が共同開発したスーパーファミコン互換機である「PlayStation」事業が立ち上がり、急遽、スーパーファミコン互換機PlayStation専用ソフトとして「ポポロクロイス物語」の企画を練り直し、企画書を書き直した。
が、同事業は諸般の事情により発売が頓挫。ソニーは独自制作によるゲーム事業進出を決め、現在の「PlayStation」が生まれる。これにより、同ソフトの企画書は三度めの書き直しを行うことになり、本格的な制作がスタート。現在のPlayStation「ポポロクロイス物語(ゲーム)」はそれから3年半後の1996年7月12日にリリースされた。
「ポポロクロイス物語」の原作者、田森庸介とは二十数年の付き合い。「ポポロクロイス物語」「ポポローグ」「金と月のマヤ」」など田森作品の原作権は山元が代表を務める株式会社epics(エピックス=epics Inc.)がライツ活動を行っている。