コンテンツにスキップ

「マイク・モンティ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
補足
タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集
Cewbot (会話 | 投稿記録)
1行目: 1行目:
{{Expand English|Mike Monty|date=2020-11}}
{{Expand English|Mike Monty|date=2020-11}}
{{BLP unsourced|date=2020年11月6日 (金) 01:37 (UTC)}}{{Infobox 人物|image=|birth_date={{Birth date|1936|10|23}}|birth_place=[[Chattanooga, Tennessee]]|death_date={{death date and age|2006|8|4|1936|10|23}}|death_place=[[Rome, Italy]]|occupation=[[Film actor]]}}
{{存命人物の出典皆無|date=2020年11月6日 (金) 01:37 (UTC)}}{{Infobox 人物|image=|birth_date={{Birth date|1936|10|23}}|birth_place=[[Chattanooga, Tennessee]]|death_date={{death date and age|2006|8|4|1936|10|23}}|death_place=[[Rome, Italy]]|occupation=[[Film actor]]}}
'''マイク・モンティー'''('''Mike Monty'''、1936年10月23日– 2006年8月4日、[[チャタヌーガ|テネシー州チャタヌーガ]]生まれ、本名'''マイケル・オドノヒュー(Michael O'Donoghue)'''は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[性格俳優]]。後年、芸名をマイク・モンティーに改名。時にはマイク・モンティ(Mike Monti)、マイク・モンテ(Mike Monte)、マイケル・モンティー(Michael Monty)、ミック・モンティー(Mick Monty)とクレジットされることもある。主に1980年代初頭から2000年頃にフィリピン・ロケのアクション映画で活躍した。
'''マイク・モンティー'''('''Mike Monty'''、1936年10月23日– 2006年8月4日、[[チャタヌーガ|テネシー州チャタヌーガ]]生まれ、本名'''マイケル・オドノヒュー(Michael O'Donoghue)'''は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[性格俳優]]。後年、芸名をマイク・モンティーに改名。時にはマイク・モンティ(Mike Monti)、マイク・モンテ(Mike Monte)、マイケル・モンティー(Michael Monty)、ミック・モンティー(Mick Monty)とクレジットされることもある。主に1980年代初頭から2000年頃にフィリピン・ロケのアクション映画で活躍した。



2021年8月4日 (水) 09:27時点における版

マイク・モンティ
生誕 (1936-10-23) 1936年10月23日
Chattanooga, Tennessee
死没 2006年8月4日(2006-08-04)(69歳没)
Rome, Italy
職業 Film actor
テンプレートを表示

マイク・モンティーMike Monty、1936年10月23日– 2006年8月4日、テネシー州チャタヌーガ生まれ、本名マイケル・オドノヒュー(Michael O'Donoghue)は、アメリカ性格俳優。後年、芸名をマイク・モンティーに改名。時にはマイク・モンティ(Mike Monti)、マイク・モンテ(Mike Monte)、マイケル・モンティー(Michael Monty)、ミック・モンティー(Mick Monty)とクレジットされることもある。主に1980年代初頭から2000年頃にフィリピン・ロケのアクション映画で活躍した。

キャリア

渡欧後の動向

1960年代にイタリアへ渡り、当時ブームだったマカロニ・ウエスタンの端役を務め、マカロニ・コンバット『戦場のガンマン』(1968)での脇役で印象的を残すが、殆どエキストラ同然の日々を過ごす。ペプラム物やマカロニ・ウエスタンでスターだった米国人のリチャード・ハリスンやゴードン・ミッチェルとは当時知り合い、ミッチェルと同居していたともフランスのインタビュー記事(ナナーランド)に書かれていた。その後はフランスや西ドイツ映画にも出演するが、端役ばかりだった。この時期には東ドイツの西部劇にも顔を出している。

フィリピンでの活動状況

転機となったのは『地獄の黙示録』(1979)以後、戦争映画のロケ地として 注目を集めたフィリピンへ渡ったことである。ヴェトナム戦争を題材にした戦争アクション物からクライム・アクションまで幅広く脇役出演し、軍人や役人の役が多く、善悪問わずに演じた。その多くが日本未公開だが、ヴィデオ発売されたものが約50作品以上ある。

この時期にはフィリピンのシリオ・H・サンティアゴ、エディー・ロメロ、イタリアのアントニオ・マルゲリーティ、ブルーノ・マッテイ、ルチオ・フルチ、ロマーノ・スカヴォリーニ、ドイツのクルト・ラーブ、香港のテディー・チウ(テディー・ページ、ジョン・ロイド、アーヴィン・ジョンスン、テッド・ジョンスン、テッド・ヘミングウェイの変名も使用する)、日本の渡辺ケン、室賀厚など様々な国籍の監督作に出演した。室賀が監督したVシネマ『ブローバック2/夕陽のギャングたち』(1992)では竹内力と対決する傭兵のボスを貫禄をもって演じた。

名前がクレジットされないことも度々で、『ストライク・コマンドー(地獄のバトル・コマンドー)』(1986/未/ビデオ)では『ランボー』シリーズに於けるトラウトマン大佐を下敷きにしたハリマン少佐の大役だったが、やはりクレジットされていない。因みに、本作の未使用フッテージが『サイゴン野獣刑事』(1988)にも流用されている。

フィルモグラフィー

『怒りの100連発(怒りの百連発)(怒りの100連発銃)』(未/テレビ放映)(1966年)、『自転車紳士西部へ行く』(未/テレビ放映)(1972年)(クレジットなし)、『㊙ナチス残酷物語/アフリカ拷問収容所』(未/ビデオ)(1977年)、『プリズン・ボンバー/地獄のサティアン』(未/ビデオ)(1982年)

『地獄の報酬/ベトナム捕虜救出作戦』(未/ビデオ)、『トルネード』(未/ビデオ)(クレジットなし)、『レイダース・オブ・アトランティス』(未ソフト化)(以上1983年)

『地獄の処刑人』(未/ビデオ)、『ジャングル・レイダース/黄金のレジェンド』(未/ビデオ)(以上1984)

『復讐!炎のコマンド』(未/ビデオ)、『コマンドー・レオパルド(コマンドー軍団2)』(未/ビデオ)(クレジットなし)、『戦場のサムライ』(未/ビデオ)(以上1985年)

『ローンウルフ/怒りの戦場』(未/ビデオ)、『明日なき最前線/スラッシュ』(未/ビデオ)、『ニンジャ・フォース』(未/ビデオ)、『ニンジャウォリアーズ』(未/ビデオ)、『炸裂!復讐のヒーロー』(未/ビデオ)、『アマゾネス刑事/死の標的』(未/ビデオ)、『ダブル・ファイター/復讐の戦士』(未/ビデオ)、『バトル・ウォーズ』(未/ビデオ/テレビ放映)(以上1986年)

『ファントム・ソルジャー』、『砂漠の戦士/テロ・ファイター』、『プラトーン・コマンド/地獄のレクイエム』(未/ビデオ)(クレジットなし)、『タフ・コップ/マイアミ・コネクション』(未/ビデオ)、『ダブル・ターゲット』(未/ビデオ)、『地獄のフォーカス』(未/ビデオ)、『ザ・コマンダー/死からの脱出』、『アイ・オブ・ザ・イーグル』(未/ビデオ)、『ダーティ・プロフェッショナル』(未/ビデオ)、『サンドー/地獄の勇者』(Vシネマ)、『ジャングル・ラッツ』(未)(以上1987年)

『ヘル・ミッション/怒りの奪還』(未/ビデオ)、『グッバイ・ベトナム』(未/ビデオ)、『ラストプラトーン』(未/ビデオ)、『サンゲリア2』(未/ビデオ)、『サイゴン野獣刑事』(クレジットなし)、『マッド・ソルジャー/裏切りの戦場』(未/ビデオ)、『怒りのコマンドー』(未/ビデオ)『デザート・ウォリアー』(未/ビデオ)(以上1988年)

『ザ・コマンダー』(未ソフト化)、『野獣軍団/ファントム・レイダース』(未/ビデオ)、『地獄の爆走/ブラッド・チェイス』(未/ビデオ)、『ゴリラ・フォース』(未/ビデオ)、『ブラックコブラ2』、『リゲイン/奪還!地獄のコマンドー』(未/ビデオ)(以上1989年)

『トライゴン・ファイヤー』(未/ビデオ)、『ブラック・コブラ3』(未/ビデオ)、『バトル・ギース/地獄の救出指令』(未/ビデオ)、『女バトル・ドッグ/地獄の逃走迷路』(未/ビデオ)(以上1990年)

『ブルドッグ』(1991年)

『ブローバック2/夕陽のギャングたち』(Vシネマ)(1992年)

『エターナル・フィスト』(未/ビデオ)、『爆裂!!Mコネクション/ザ・ファイナル・シューティング』(Vシネマ)(出演場面カット、クレジットのみ)(以上1993年)

引用

  • 「彼は普通の清涼飲料ストローを武器に変えることができます。」ファイアバック

外部リンク