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2021年8月4日 (水) 09:49時点における版

石田祐介
基本情報
国籍 日本
出身地 埼玉県
生年月日 1982年6月29日
身長
体重
180 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投げ投右打ち打
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

淑徳高等学校

東京国際大学

日産自動車

住友金属鹿島

新日鐵住金鹿島

コーチ歴

東京国際大学コーチ
国際大会
代表チーム 2010年第16回中国広州アジア大会日本代表

石田祐介(いしだ ゆうすけ、1982年6月29日)は、日本の元社会人野球選手(投手、右投げ右打ち)である。日産自動車新日鉄住金鹿島を経て、現在は東京国際大学硬式野球部の投手コーチに就任している。

来歴

埼玉県出身。小学校3年生時野球を始める。主にショート

中学から硬式野球を始め新座シニア所属主にショート投手。淑徳高等学校入学、2年生からショートでレギュラー、3年時から投手、エースとして東東京大会5回戦敗退

東京国際大学入学、本格的に投手を始め、1年秋季リーグから主戦格として最優秀防御率、新人賞を獲得。

その後怪我などもありながら、4年春季リーグ戦5勝をあげベストナイン獲得、秋季リーグ戦5勝をあげ、大学初のリーグ2位になる。東京新大学リーグ戦通算19勝

大学卒業後の2005年に日産自動車に入社。当時エースの宮田、三橋直樹(横浜ドラフト4位)高崎健太郎(横浜ドラフト1位)青木高広(広島ドラフト3位)などドラフト候補の投手が居た為4年目までは公式戦の登板はほとんどなく、東京ドームのマウンドに立つ事は出来なかった。

2009年2月日産自動車硬式野球部の休部が発表され日産自動車としての最後の1年となる。

多くの投手がプロ入りし、徐々に重要な試合でのマウンドを任されるようになりエースに成長。

2009年都市対抗神奈川予選では初戦のENEOSに先発し7回2失点、翌日三菱重工横浜との第一代表決定戦で先発し延長10回まで無失点に抑え、(試合は延長16回0-0引き分け再試合)

その後再試合、第二代表決定戦は登板はなく破れ、第三代表決定戦の東芝戦に先発し9回2失点完投勝利し都市対抗出場を決めた。

第80回都市対抗野球大会では準決勝でトヨタ自動車に1-0で敗れベスト4。準決勝までの4試合全てに先発した。

同年秋の日本選手権にも出場し準決勝でJR九州に敗れベスト4

この大会をもって日産自動車硬式野球部は休部となった。

その後2010年1月住友金属鹿島に移籍。

チームのエースとなり第81回都市対抗野球大会、第82回都市対抗野球大会と2年連続ベスト4に導いた。自身は3年連続ベスト4となったが悲願の優勝には手が届かなかった。

2010年には第16回中国広州アジア大会日本代表に選出され銅メダルを獲得した。[1]

その後2014年をもって現役を引退した。

2016年1月から母校である東京国際大学[2]硬式野球部の投手コーチに就任した。

主なキャリア

  • 第80回都市対抗野球大会優秀選手賞
  • 第81回都市対抗野球大会優秀選手賞[3]
  • 第82回都市対抗野球大会優秀選手賞
  • 2010年第16回中国広州アジア大会日本代表(モンゴル戦先発し12人中11奪三振を記録[4]

脚注

  1. ^ 日本 銅メダル”. www.sponichi.co.jp. 2021年4月8日閲覧。
  2. ^ 東京国際大学”. 20200411閲覧。
  3. ^ 石田零封!“日産魂”で住金鹿島5年ぶり白星”. www.sponichi.co.jp. 2021年4月8日閲覧。
  4. ^ 広州アジア大会2010”. 2010年11月16日閲覧。

関連項目