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2021年8月4日 (水) 13:06時点における版

須川 薫雄(すがわ しげお、1943年 - )は、日本の武器兵器と国家安全保障の研究家である。防衛省モニター、駐屯地モニターを経て防衛懇話会、交詢社外交研究会に所属し、陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校武器技術資料館小火器コーナー顧問(アドバイザー)である。2013年度、陸上自衛隊東部方面隊オピニオンリーダーを委嘱された。研究は日本古来の武器から第二次大戦中の兵器、現在の日本の装備品まで取り上げ、それらの記事を「日本の武器兵器」サイト上に発表、同サイトの運営管理を行っている。「日本銃砲史学会」理事、日本クレー射撃協会会員である。元電通社員、元電通ワンダーマン社長。なお上記の研究は株式会社電通在職中、2度にわたる11年間のニューヨーク勤務を経て、始まった。現在、東京都在住。

略歴

1943年京城府新設町生れ。両親は和歌山県東牟婁郡出身。父は京城帝国大学医学部講師で最終職は神奈川県こども医療センター長。医学博士。1990年(平成2年)4月勲三等旭日中綬章(第332006*号)、1995年(平成7年)3月従四位。伯父須川濟(わたる)は同志社大学卒、帝国陸軍航空隊入隊、九七式重爆撃隊操縦士・小隊長としてアジア各地を転戦、1944年11月に中国大陸にて戦死(陸軍大尉)、従二位勲一等(小磯国昭)。

「日本の武器兵器」研究は1975年からはじめ、当時創立の(社)日本ライフル射撃協会下部団体「日本前装銃射撃連盟」に入会し、射撃と同時に「日本史上における火縄銃伝来、存在の意義、火縄銃の性能、由来」を研究した。

射撃の主なトレイナー・コーチは米国前装銃射撃連盟前会長ドナルド・マルソン少佐で、1993年から2002年には、日本の軍用銃、機関銃の研究を行い、その指導はメイン大学エドウィン・F・リビー教授である。

衆議院議員塩谷立(りゅう)は静岡時代、隣同士に住み高校・大学の後輩である。静岡市、鈴与株式会社社長鈴木與平は高校・大学・クラブの先輩である。弟二人、次弟(前日本IBM)と末弟(前日本航空)はFDA「フジドリームエアラインズ」経営に携わっている。

学歴

職歴

大学卒業後(株)電通入社。第1連絡局配属、クライアント海外作業、スポーツマーケティングから、インターネット関連グループ会社を経営。1975-1977年、1993-2002年ニューヨーク勤務。

入社の際、航空機が好きだという理由から、当時民間会社になった「日本航空」担当を勤める。入社の年の夏、ライオンバイタリススポーツ教室、グライダー操縦の運営実施を航空部マネージャーであったことより任された。大島飛行場で早稲田大学航空部員の協力を得て成功裡に終了した。その後、ニューヨーク勤務等を経て、JVCワールドカップスポンサー作業、トヨタ自動車海外広告作業担当部長となる。FIFAとの仕事を7~8年間行いFIFAの内情には詳しい。1993年より「パナソニック社」のパソコン商品と、商品全体のサイト構築を業務とする会社「レネゲードマーケティング社」(ニューヨーク市)の経営を行った。

2003年、電通ワンダーマン社長に就任。社長在任中同社は日本IBMを担当、後にマイクロソフトを担当。2006年退任。 創業20周年の2005年3月には、ワンダーマン創始者のレスター・ワンダーマンを招聘し「これからのダイレクトマーケティングとインターネットの役割」をテーマにしたフォーラムを主催。フォーラム全体のモデレータとして、当時は広告でもITでもなく中途半端な状態であったダイレクトマーケテイングについて「一般広告の中に位置づけられるべき重要な手法であり、一般広告の効果を最大化するためのものである」とまとめている。この内容はWunderman Dentsuの2005年4月7日のニュースレターに詳しい。

社での社員への指示としては、セキュリティ強化の観点よりデスクの上には何も置かない、また執務スペースでの飲食禁止などが厳しく徹底された。社員の英語教育、TOEIC受験などを奨励した。同社にボクシング部を創設した(現在は休部中)。

(株)丸江(ガス・ガス器具、キッチン、キャンプ用品のインターネット販売(小田原市)の株主である。

2016年9月「スポーツアンティーク合同会社」設立(www.スポーツアンティーク.jp)、2020年まで活動の予定である。同社はアンティーク商品のインターネット販売である。

主な活動

慶応義塾体躯会航空部入部しグライダー操縦をはじめる。卒業後、ホンダフライングクラブ(調布)に入会、航空機操縦練習を開始、約400時間の飛行時間を有す。航空機技能証明書は国土交通省発行第A4014*2号滑空機上級・動力滑空機、第A4031*5号陸上機単発・多発、第C3029*5号三等航空通信士、総務省発行ATE2*6の2航空無線通信士、アメリカ合衆国FAA発行第22542*5エアプレンシングルアンドマルチプルランドを有す。現在、航空機操縦は行ってない。上記の日米における航空機操縦の経験と知識は、防衛省モニター、陸上自衛隊駐屯地(市ヶ谷・土浦)モニターの活動において、活用された。

在米中にATFE(兵器所持認可)ライセンスをとり日本の武器兵器の収集、操作・研究を行った。特に日本の軽機関銃研究の一人者である。帰国後、防衛省モニター、市ヶ谷駐屯地モニター、土浦駐屯地モニターなどを歴任し、武器学校、幹部学校、明野飛行学校、富士学校、市ヶ谷駐屯地業務隊などで日本兵器史の講義を行った。2017年3月、陸上自衛隊東部方面隊オビニオンリーダー8年間の任期を終了。武器学校作業で平成27年1月陸上自衛隊師団長表彰を受ける。武器学校資料館作業とBUコース講師はしばらく継続する。

論文の発表は日本銃砲史学会「日本銃砲史」各号、一般社団法人日本防衛装備工業会JADI誌2012年度各号、日本火薬工業会「エクスプロージョン」誌に行い、2013年雄山閣刊行「日本銃砲史」一部記事を執筆した。論文指導は国立歴史民俗博物館名誉教授宇田川武久博士、防衛大学教授伊達新吾博士より受けている。

前装銃射撃は、1994年スイスにおける第29回世界大会ヒザダイ競技4位入賞が最高位。

2008年より整備の始まった陸上自衛隊武器学校武器資料館の歴史的考証を行った。同校が保存していた各種武器兵器類を日本と外国のものに分類、日本のものは武器兵器の歴史としての展示を提案し、特に6.5mm系兵器時代、7.7mm系兵器時代、供与兵器時代、自衛隊の開発兵器時代などと特色を持たせた。その調査の中で九三式光学照準器(零戦用)、江戸期国友製気砲、日本製AR18などを発見した。この作業で茨城県防衛協会より表彰された。2013年5月「戊辰戦争コーナー」の新設と「九九式担撃銃」展示を行った。同作業で2010年土浦駐屯地表彰、2015年第一師団表彰を受けた。

日本前装銃射撃競技に国際ルール適応の厳正化を遂行した。特に使用する銃のオリジナリティを検査し検定証を発行することを提案し実行した。そのための一部会員の反発は非常に大きかった。銃砲刀剣類登録規則[1]にもあるように過去に於いて同連盟は改造火縄銃の温床のようにも言われていた。現在では200挺以上のオリジナル銃が検定に合格し、検定シールを発行されている。また、国際大会での銃器委員(火縄銃部門)である。国際大会(世界選手権7回環太平洋大会5回)参加。登録証が付いていても、競技に使用できない銃が公式に存在することになった。のちに日本前装銃射撃連盟は退会し、2018年3月日本銃砲史学会を退会する予定である。

(株)電通の2014年6月株主総会において、安全保障上の観点より、中国ビジネスの実情の関する質問を2回行った。

日本アカデミー協会の会員を13年間続けているが、最近の愚作品がグランプリと言う傾向に嫌気が差し、2018年からの退会を申し入れた。港区防衛懇親会という団体も2018年からは退会を通知した。

現在の取り組み

日本銃砲史学会サイト内の多くの記事を執筆し、また管理者でもある。この団体への会員募集に熱心に取り組み、現在は一時の倍、100名の会員を有している。アメリカ南北戦争と日本の戊辰戦争に使われた兵器も新テーマである。「アメリカ南北戦争」に関しては、2011年夏、開戦150周年、ワシントンから、各地の古戦場、博物館をメイン州に至る地域を廻り、バージニア州では、ミニエ式小銃、前装コルト拳銃各競技に参加、各種大砲実射を体験した。その経験をもとに「アメリカ南北戦争と日本戊辰戦争の相関」と言う題目で2013年6月、防衛装備工業会において内容を発表した。現在、「薩摩筒と鉄砲伝来」「各種銃の命中率の比較」「古式銃登録制度の問題点」「NHKをはじめ歴史番組の非現実性の指摘」のテーマに取り組んでいる。

福島県いわき市山中に山荘をもち、冬は狩猟、夏は渓流釣りをしているが、現在、福島第一原発事故の影響を受けており、原発問題と日本のエネルギー対策、自然環境の回復、維持の問題にも取り組んでいる。いわき市の自宅、敷地は「除染」が行われた。その計画、実施、効果などを自ら検証する作業を行っている。2014年2月の豪雪被害の修復、道路工事により切断された水脈の復元は成功した。

日本の安全保障問題研究では、防衛省自衛隊の地位向上、効率的防衛、特に集団的安全保障、装備品、人事制度などの改善をテーマにしている。防衛懇話会、港区防衛親交会、各種見学会、行事に参加している。昨年(2013年)より緊張が続く東シナ海方面への関心は高く、研究を続けている。2014年5月、東北方面の基地、駐屯地の研修を行った。2015年中部方面の研修を行った。「防衛懇話会」会員。防衛懇談会の各行事には必ず参加しレポートを書いている。積極的に昨今の国際情勢激変と日本の危機を唱えている。

銃砲史学会の研究では、日本の大砲文明存在に関して大いに疑問をもち、戦国期の戦闘、幕末の大砲製造努力、明治以降の大砲開発をテーマにしている。「日本の武器兵器.net」にて、日本兵器史上、一夜にして消滅した豪華絢爛たる日本の弓矢文化に関して記事をのせている。自らのHP「日本の武器兵器」の内容充実と英語版作成を行っている。自らの射撃に関しては2012年、所持許可銃一部を返納し、現在は大口径ライフル銃、散弾銃各一挺を所持、火縄銃など前装銃とで月2回のペースで行った。2014年、所持銃を整理し、ライフル銃とトラップ・スキート銃各1挺として猪猟を毎シーズン行っている。昨シーズン成果は一人で6頭。一方、トラップ競技は下手であり、平均60点くらいの成績。東京アメリカンクラブ会員、交詢社社員(会員)。

東京都港区のピューマ渡久地ボクシングジムのアドバイザーとして所属プロ、特に、コブラ諏訪、中村幸祐(電通勤務)の技術以外の指導を行った。2014年、ボクシング関係活動から引退する。

2016年春~夏より脊柱管狭窄症に悩まされ、当時特注したシティスポーツタイプのベルト駆動自転車に頼った。夏から回復に向かった。現在も治療中。

脚注

  1. ^ 銃砲刀剣類登録規則”. e-Gov. 2019年12月28日閲覧。

参考文献

  • 須川薫雄『日本の火縄銃1』 光芸出版 1989年 ISBN 4-7694-0084-5
  • 須川薫雄『日本の火縄銃1 英語版』 光芸出版 1990年
  • 須川薫雄『日本の火縄銃2』 光芸出版 1991年 ISBN 4-7694-0093-4
  • 須川薫雄『中国戦線の日本兵 英語版』 ロードストーン社 1994年
  • 須川薫雄『日本の軍用銃と装具』 国書刊行会 1995年 ISBN 4-336-03729-9
  • 須川薫雄『日本の機関銃』 SW社 2003年 全国書誌番号:21959202
  • 須川薫雄『日本の火縄銃3』 電子版 www.日本の武器兵器 2009年
  • 宇田川武久編『日本鉄砲の歴史と技術』 雄山閣 2013年 ISBN 978-4-639-02276-3
  • (社)日本防衛装備工業会発行JADI誌2012年4月2013年3月各号
  • 火薬工業界発行『エクスプロージョン』誌

外部リンク