コンテンツにスキップ

「ビージー・アデール」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
LLqCymYdTx (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
1行目: 1行目:
{{複数の問題
{{複数の問題
|BLP unsourced=2019年5月4日 (土) 03:41 (UTC)
|存命人物の出典皆無=2019年5月4日 (土) 03:41 (UTC)
|Wikify=2019年5月4日 (土) 03:41 (UTC)
|Wikify=2019年5月4日 (土) 03:41 (UTC)
}}
}}

2021年8月4日 (水) 16:08時点における版

ビージー・アデール(Beegie Adair、1937年12月11日 - )は、アメリカケンタッキー出身。

祖母の勧めで5歳からピアノをはじめる。ウェスタン・ケンタッキー大学にてピアノを勉強するとともに音楽教育を専攻し卒業。ジャズ・バンドに所属し、子供たちに音楽を教える。

その後ナッシュビルに移住し、広告代理店勤務、秘書などを務める傍らセッション・ミュージシャンとして活動。WSM-TV(米NBC系列)とラジオ、またABCにてザ・ジョニー・キャッシュ・ショウ(1969-71)に出演。ジョン・スチュアート、J.J.ケイル、ドリー・パートンほか数々の人気ミュージシャンと共演。ビージー・アデールとしてのアルバム・デビューは1982年「エスケープ・トゥ・ニューヨーク」。ソロはもちろんだが自身が結成したトリオでも活躍し、ビートルズ、エルビス・プレスリー、’50〜70年代のフランク・シナトラ、ナット・キング・コール、他、オールタイム・ベストの名曲をしなやかなピアノで魅了。今まで参加したアルバム作品は40作ほどにのぼる。

よく親しまれたスタンダード・ナンバーのメロディの美しさをそのままにエレガントで洗練されたアレンジが、日本でもジャズ・ファンから、ポップス・ファンまで幅広い層を虜にする。日本では東京・銀座の老舗レコード店で1万枚に達する売れ行きを記録。2010年「いい日旅立ち」をボーナストラックとして収録し話題をさらった日本デビュー・アルバム『マイ・ピアノ・ロマンス』は年間JAZZアルバム・チャート位を記録する大ヒットに。同年続いてリリースされた『マイ・ピアノ・ジャーニー』、『マイ・ピアノ・クリスマス』、2011年『マイ・ピアノ・メモリー』もJAZZチャート1位を記録。キャピトル東急ホテルのオープニング・セレモニーでの演奏を含む2回の来日公演を果たす。


ディスコグラフィ

  1. 2010年: マイ・ピアノ・ロマンス
  2. 2010年: マイ・ピアノ・ジャーニー
  3. 2010年: マイ・ピアノ・クリスマス
  4. 2011年 : マイ・ピアノ・メモリー
  5. 2017年: マイ・ジャズ・ピアノ~バイ・リクエスト
  6. 2018年: Cocktail Party Swing [直輸入盤]

脚注

外部リンク