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2021年8月4日 (水) 16:17時点における版
ERYCA | |
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基本情報 | |
出生名 | 和賀 恵里香 |
生誕 | 1981年8月11日(42歳) |
出身地 | 岩手県奥州市 |
学歴 | 岩手県立岩谷堂高等学校卒業 |
ジャンル | ジャズ・ソウル・R&B・ブルース・クラシック・アンビエント |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | サックス |
公式サイト |
eryca |
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高校在学中より「Tama Charles & His Band」のメンバーとしてプロ活動を開始し、サックス奏者、ヴォーカリストとしての頭角を現す。
現在は様々な有名ミュージシャンとのコラボレーションに加え、ピアニスト柴田敏孝とのユニット「Butterfly Effect」でも独自の世界観を表現している。
また、ラジオ番組のパーソナリティ、コラムの執筆、モデル、企業へのコンサルタント等、様々な分野でその才能を発揮している。
略歴
1981年 岩手県奥州市江刺(旧岩手県江刺市)に生まれる。
3歳からピアノを始める。
10歳からサックスを始める。
岩手県立岩谷堂高校に入学し、高校在学中より「Tama Charles & His Band」のメンバーとしてプロ活動を開始。
高校卒業後に上京。VANTAN芸術学院へ入学。本格的に音楽を学ぶ。
同校卒業後も都内を中心に様々なバンドのサポートメンバーとして活動を展開。
2004年 自身の音楽性に合う豊かな自然環境を求め、地元岩手に拠点を移す。同時期に日本を代表するサックス奏者のボブ斉藤に師事。
2005年 アメリカ ロサンゼルスにて10日間のライブツアーを行い、各地で好評を得る。
2007年 コミュニティーラジオ局奥州エフエムにて、自身がメーンパーソナリティーを務める『SUN DELICA』がスタート。現在も奥州エフエムの最長寿番組として人気を誇っている。
2009年8月 ドラマーの 村上“ポンタ”秀一と初共演を果たし、その後間もなくポンタとのユニット「ERYCA BAND」の活動をスタートさせる。
2012年8月~9月 近藤房之助 東北ツアーにメンバーとして参加。同じくツアーメンバーとして参加していたドラマー宮川剛と出会い意気投合、現在も共演を重ねている。
2014年4月 胆江日日新聞紙上にてコラム「サウンドコンシェルジュ」がスタート。人気コーナーとなり、2019年4月までの5年間連載。
2015年 村上“ポンタ”秀一、伊藤ハルトシ(Vc / Gt)、佐竹彩(pf)とのユニット「Sylf」の活動が本格化。東北、関東、関西、北陸ツアーを行い、各地で好評を得る。
2016年11月 ピアニストの柴田敏孝とのデュオユニット「Butterfly Effect」による奥州市文化会館Zホール大ホールでのコンサートを開催。全国各地からファンが訪れ、大成功を収める。
2017年 作・編曲家でありピアニストの菅原敏(Re-trick)とデュオ活動を開始。同年8月ドラムに宮川剛を迎え、ホールコンサートを成功させる。現在、デュオユニット「buddy-ryca」として活動を展開。菅原敏の作曲、アレンジによるオリジナリティー溢れる音楽性で、ジャズファンのみならず幅広く人気を集めている。
ERYCAのジャンルにとらわれない独特の音楽スタイルは各方面から注目を集め、ハーモニカ奏者 八木のぶお、マリンバ奏者 新谷祥子、海外からも高い評価を得る画家 越ちひろ、今話題のサックス奏者ユッコ・ミラーなど、数多くのトップミュージシャン、アーティストと共演を重ねている。
2019年5月に篠笛奏者の佐藤和哉と初共演し、それをきっかけとして「株式会社ふうち草」の提携アーティストとなる。
2019年8月11日 ファーストアルバム『serendipity』をリリース。
人物
- 実家は岩手県奥州市にある原敬ゆかりの老舗料亭「新茶家」。
- 3歳から日本舞踊の若柳流に入門。母親と同じ師範の元、10年間日本舞踊を学ぶ。
- 日本舞踊をやめたきっかけは、名取の試験を受けるのとサックスを買うのとどちらがいいかと両親に聞かれ、サックスを選んだこと。
- 父親がオーディオ好きで、ジャズやソウルミュージックを愛好していた。その影響を受けて育った。
- 母親は学生時代に美大を目指していたほどアートを愛好しており、その母に連れられて幼少時から展覧会等に足を運ぶ機会も多く、影響を受けた。
- 高校2年生から先輩達とアマチュアバンドをはじめ、その練習で訪れた貸スタジオの経営者 Tama Charlesこと玉山秀之にスカウトされた。
- 高校3年生のときにTama Charlesと音楽活動を行うことを決め、それまで行っていたパンクバンドの卒業ライブを行った。
- 2010年11月23日Tama Charlesが関東ツアー中に神奈川県で急逝。12月から翌年の春まで追悼ライブで全国を回った。
- 2011年の東日本大震災後はボランティア活動に奔走。その後、ERYCAとしてのソロ活動を開始した。
作品
2019年8月11日 ファーストアルバム「serendipity」をリリース。
音楽以外の活動
◆チームジャフリカン(鍵盤ハーモニカプロジェクト)
<概要と目的>
鍵盤ハーモニカの収集と海外への寄贈を目的としたボランティアグループ。ERYCAが代表を務める。
チームの目的は、
・日本の子ども達が息を吹き込んだ鍵盤ハーモニカを世界の子ども達へと送り、子ども達の将来に新たな可能性を提供する。
・鍵盤ハーモニカをきっかけに日本の子ども達と世界の子ども達をつなぐ。
<活動内容>
・使わなくなった鍵盤ハーモニカの回収
・回収した鍵盤ハーモニカ発送のためのクリーニング&メンテナンス
・JICA等の団体と連携しながら、アフリカへ鍵盤ハーモニカを発送
・音楽を通じて国際協力及びボランティアについての啓発活動
・ボランティア等の啓発、地域活性化のためのイベント主催及び開催
・地域の更なる文化意識向上のためのワークショップ主催及び開催
<経緯と実績>
2010年7月、タマ・チャールズこと玉山秀之氏の発案により鍵盤ハーモニカの回収活動がスタート。
2010年11月に玉山秀之氏が急逝した後は、ERYCAが代表に就任し、鍵盤ハーモニカの収集を続ける。
主な鍵盤ハーモニカの送り先は、モンゴル、ベナン、カメルーン、ガーナ、ルワンダ、スリランカ、フィリピン、ベリーズ等。
主に独立行政法人国際協力機構(JICA)を通じて数百台を寄贈。
2013年には台風被害にあったフィリピンの小学校へ鍵盤ハーモニカを寄贈。
鍵盤ハーモニカのクリーニングイベントや、チャリティーコンサート、写真展等も開催。