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2021年8月4日 (水) 17:10時点における版
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中山 英二 | |
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生誕 | 1948年11月21日 |
出身地 |
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ジャンル | ジャズ |
職業 |
ウッドベース奏者 作曲家 音楽プロデューサー |
担当楽器 | ベース |
活動期間 | 1975年 - |
公式サイト | http://www.asahi-net.or.jp/~qz9e-nkym/ |
中山 英二(なかやま えいじ、1948年11月21日 - )は、日本のジャズベーシスト。
海外のビックアーティスト、エルビン・ジョーンズ、ドン・フリードマン、ローランド・ハナ等との共演歴を誇り、ニューヨークのトップミュージシャンをメンバーに迎えて「中山英二 ニューヨークカルテッド」を結成、6年に渡り不動のメンバーにて活動。
長年に渡り海外のミュージシャンとのユニットでの数百回に及ぶ日本におけるコンサートツアーは日本ジャズ界に確実な足跡を残した。
また、作曲家としても自身のアルバムや演奏だけでなく、CM曲、ヴォーカルや他のアーティストの為数多くの楽曲を提供している。
1975年より札幌を拠点に道内各地にてジャズのライブ活動を行い、1979年に上京。
1982年にデビューアルバム『北の大地』で一躍脚光を浴びる。
日本を代表するジャズベーシストの一人として、現在も自己のグループを率いて全国規模の精力的なライブ活動を展開している。
透明感溢れる音色で奏でる独自の歌心には、日本人離れした力強さと最も日本人的な感情が同居していると云われ、海外からのラブコールも多い。
人物
料理が得意で、交流のあるミュージシャンを自宅に招いた際は創作料理を振舞っている。
またスキューバーダイビングのライセンスを取得しており、ダイビング歴は約40年。
少年期はボクシング経験があり、当時は世界チャンピョンを目指していた。
経歴
1982年 デビューアルバム『北の大地』発表。
1982年12月~83年 エルビン・ジョーンズ(ds)率いるリズムマシーンに参加。
1986年~90年 ドン・フリードマン(p)と4年間、6回ののデュオツアーを行う。
(内2回はエリオット・ジグムント(ds)が参加しトリオにて。)
『カンヴァセイション』・『ファー・ア・ウェイ・ランド』『スウィート・ビュー』
そしてトリオにて『湖の伝説』を発売。
1990年 リチャード・デイビス(b)とのベースデュオツアーを行う。
同年、ローランド・ハナ率いる『チャンバージャズトリオ』にゲストで招かれ参加する。
メンバーはボブ・ジョンソン(fhn)、フランク・ペロウスキー(fl)。
1991年 ローランド・ハナとのデュオツアー及びレコーディングを行う。
2002年まで7回のツアー、『メモワール』・『ハッシャバイ』とアルバムを発表。
同年、『中山英二 ニューヨークカルテッド』結成。
ニューヨークの実力派、エリオット・ジグムンド(ds)、ディック・オーツ(as)、ピーター・マドソン(p)を
メンバーに迎えてオリジナルジャズを創造する。
91年~95年・97年と不動のメンバーにてツアーを行う。
『ザ・デイズ・オブ・ドリーム』・『ロマンティックブルー』・『シンクロニシティー』と3作のアルバムを発売。
ライブ収録のビデオも同時発売している。
1998年7月 11作目にあたるアルバム『NANGO』発売。
デビューアルバム『北の大地』以来16年ぶりの日本人ミュージシャンとの共同作で、ゲストは大倉正之助(太鼓)。
1999年8月 ベースソロアルバム『いつか見た瞬間』発売。
アルバム発売に伴うソロのツアーは、1年間で108カ所。
2000年11月 ローランド・ハナとのデュオにて6回目の日本ツアーを始動。
2001年 『ジャズとクラシックの融合』と称し、ジャンルにこだわらない、
クラシックヴァイオリンやクラシックフルートとのデュオ活動、
また『木と木の対話』と称し、日本の伝統楽器である琴や尺八との新たなセッションとアプローチに挑戦する。
2001年10月 日本人メンバーによる、カルテッドでライブ収録したアルバム、『オールド・カントリー』を発表。
2002年6月 ヴァイオリニスト硲美穂子の初リーダーアルバム『ハートストリングス』をプロディース。アレンジ、ベーシストとしても参加。
2002年10月 ローランド・ハナとの7回目のデュオツアーを行うが、ローランド・ハンの体調不良の為、3カ所のみの公園となる。
(2002年11月13日、ローランド・ハナは亡くなり、中山英二が最後の共演者となる。)
2003年6月 ローランド・ハナの追悼の意を込めて、『メモリアルコンサート』ツアーを息子マイケル・ハナを招いて行う。
2004年3月 ピーター・マドソン(p)とのデュオアルバム『エイジーズ・ムード』を発表。
2004年12月 ローランド・ハナとのデュオアルバム『メモワール』『ハッシャバイ』同時に再発売される。
2005年3月 ピーター・マドソンとのデュオツアー始動。
2005年8月 16枚目のアルバム『ワーリング・オブ・ザ・ウインド(風の舞)』を発表。
10月~11月にかけて、ピーター・マドソンを再び招きアルバム発売ツアーを行う。
2006年 9月~10月、2007年9月にピーター・マドソンとレギュラーユニットとしてデュオツアーを行う。
2008年11月 ベースソロアルバム『遥かなる想い』を発売。
2010年2月 1978年の音源『アヤのサンバ』が復刻発売。
2011年2月 アルバム『エゲネト』発売。
2013年2月 リーダーアルバム22作目にあたる『ワールド・トライアングル』発売。
2014年10月 ベースソロアルバム『ビヨンド・マイ・オール』発売。
2017年4月 24作目のアルバム『How I Miss You』発売。
脚注
中山英二自身のリーダーアルバムの制作だけでなく、今までに数多くのアルバムプロデユーサも行っている。
海外のミュージシャンのアルバムでは「MEANT TO BE」(Don Friedman)「Persia my Dear」(Richard Davis)「Last Consert」(Roland Hanna)
国内では「AGEHA」「Soul Woman」(中島 心)、「First Connection」「On The Way of My Life」「Don' t Step Go Azhead」加藤大智、
「無想」(関口聖岳)、「深い海の色の」(武田明美)、「和仁伝」(渡邊 仁)、「Our Ship」(三上志織)、「The Other Me」(山下一樹)