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Franco Fantasia
生誕 5 March 1924
Rhodes, Italy (now Greece)
死没 2002年11月10日(2002-11-10)(78歳没)
Rome, Italy
職業 Actor
活動期間 1951-2002
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フランコ・ファンタジア(Franco Fantasia、1924年3月5日 - 2002年11月10日)は、イタリアの映画俳優、スタントマン、フェンシングマスター。彼は1951年から2002年まで100本以上の映画に出演。

1950年代から1990年代にかけて活動したイタリアの助演男優、殺陣師。ピエトロ・ジェルミ監督の『鉄道員』(1956年)の頃には既に出演歴がある。多くのイタリアの俳優が恩恵に浴したのは1960年代から1970年代にかけてのマカロニウエスタン時代で、そんな彼も時流に乗り、善悪問わず数多くの役柄を演じることになる。元々はフェンシングの心得があり、史劇大作『エル・シド』(1961年)の起用や『ワーテルロー』(1969年)のスタント・コーディネーターへの抜擢に繋がっている。マカロニウエスタン・ブームが去った後は、夥しい数の娯楽作に顔を出している。クレジットされないこともしばしばで、『テンタクルズ』(1977年)の序盤に怪物に呑み込まれたりもしている。この辺りからは俳優の傍ら助監督も務める様になる。ウンベルト・レンツィ監督の『食人帝国』(1981年)『地獄の軍団/密林のテクノ・コマンド』(1985年)セルジオ・マルティーノ監督の『片腕サイボーグ』(1985年)ランベル・バーヴァ監督の『バンパイア最後の晩餐』(1986年)等が主なる助監督作である。また、フランチェスコ・ファンタジア名義でジュリアーノ・モンタルド監督の『タイム・トゥ・キル/愛と勇気の戦場』(1990年)ではスタント・コーディネーターを務めると共に、主演のニコラス・ケージの抜歯をする医師役で登場する。フランク・ファレルの変名でクレジットされることもある。

フィルモグラフィー

・残虐の掟(1968) ・激戦地(1969) ・大西部無頼列伝(1971) ・ホゥリーマウンテンの秘宝/密林美女の謝肉祭(1978・未公開) ・砂漠のライオン(1981年) ・オポネント(1985年/未公開) ・インクァイリー/審問(1989) ・コップ・ターゲット/狼の牙(1990年)

脚注

外部リンク