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2021年8月4日 (水) 17:20時点における版

細野 恭平(ほその きょうへい)は、日本の実業家。国際協力銀行を経て、ドリームインキュベータの代表取締役COO。ベトナム駐在時代は、投資先のベトナムの上場会社の社長を務め、瀕死の企業の再生という修羅場をくぐった経験を持つアジア通。

【略歴】 1973年4月、岐阜県北方町生まれ。県立岐阜高校卒業、1992年東京大学入学。94年からスラブ語スラブ文学科に進学。

第47回日米学生会議の実行委員長。日米学生会議時代には、故・宮澤喜一元首相、故・岡本行夫氏、日米の学生約50名と共に、硫黄島を訪問する。

JASC 日米学生会議 Japan-America Student Conference (kjass.net)


1996年4月~2005年6月、海外経済協力基金(のちに国際協力銀行)

旧ソ連の中央アジア(ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス等)を担当。キルギスのアカエフ大統領(当時)をはじめとする中央アジアの閣僚クラスとの親交を深める。

債務リスケジュール(パリクラブ)交渉を担当していた時代は、インドネシアやミャンマー等のアジア諸国との債務リスケジュール交渉を担当。


1998年8月~1999年8月、サンクトペテルブルク大学留学

1999年8月~2000年6月、米国ミシガン州立大学公共政策大学院(Master of Public Policy)


2005年10月から現在、ドリームインキュベータ(DI)。

・ 2005~2010年、日本国内で大企業向けのコンサルティング、ベンチャー投資。

・ 2010~2017年、DIベトナム社長

・ 2018~、日本に帰任。投資チーム担当の執行役員

・ 2019年6月、取締役就任

・ 2020年6月、代表取締役COO就任


ベトナムの医療機器卸の上場会社の社長(2015年)

ドリームインキュベータが運営するDIアジア産業ファンドの投資先であるJapan Vietnam Medical Instruments社のベトナム人社長が急遽公安に逮捕されたため、当時、DIベトナムの社長だった細野が急遽ピンチヒッターとして同社の社長に就任。ベトナムの上場会社の社長をつとめた唯一の日本人となる。その後、社長は退くが、DIベトナムのベトナム人社員を同社の再生のために送り込み、瀕死の状態だった同社の経営を再建する。


主な連載

細野 恭平のプロフィール | JBpress(Japan Business Press) (ismedia.jp)

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