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しおたに しげき 塩谷 茂樹 | |
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生誕 |
1960年1月11日(64歳)![]() |
国籍 |
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職業 | 日本のモンゴル学者。大阪大学言語文化研究科教授。 |
塩谷 茂樹(しおたに しげき、1960年1月11日 - )は、日本のモンゴル学者。専門は、モンゴル語学(形態論、語彙論)、モンゴル口承文芸(ことわざ、民話)。現在、大阪大学言語文化研究科教授。
経歴[1][2]
- 1985年3月 大阪外国語大学、外国語学部モンゴル語学科卒業
- 1980年10月 モンゴル人民共和国、モンゴル国立大学留学(~1982年12月)
- 1988年3月 京都大学、大学院文学研究科言語学専攻、修士課程修了
- 1991年3月 京都大学、大学院文学研究科言語学専攻、博士後期課程単位取得退学
- 1992年4月 日本学術振興会特別研究員(~1994年3月)
- 1995年4月 大阪外国語大学、地域文化学科アジアⅠ講座、講師
- 1997年1月 大阪外国語大学、地域文化学科アジアⅠ講座、助教授
- 2007年10月 大阪大学、世界言語研究センター、准教授(大阪大学との統合による)
- 2009年4月 大阪大学、世界言語研究センター、教授
- 2012年4月 大阪大学、言語文化研究科、教授(~現在に至る)
国内で師事した恩師たち
塩谷茂樹は、1978年4月、大阪外国語大学モンゴル語学科に入学し、モンゴル文字とモンゴル文学を荒井伸一先生に、モンゴル語学とモンゴル言語学を橋本勝先生に、それぞれ師事したほか、モンゴル語キリル文字正書法の基礎を、大阪外国語大学初代モンゴル語教授の棈松源一先生に師事し、まさに棈松先生の最後の教え子となった。[3]
大阪外国語大学3年次に在籍中の1980年10月から1982年12月まで、モンゴル政府による奨学生として2年2か月、当時モンゴル人民共和国のモンゴル国立大学に留学した後、1986年4月から1991年3月までの5年間、京都大学大学院文学研究科言語学専攻、修士・博士課程に在籍し、東洋言語学、西夏語の大家である西田龍雄先生に師事し、言語学の基礎を学び、研究者としての道を歩み出した。
1985年3月、大阪外国語大学モンゴル語学科を卒業してから、ちょうど10年目の1995年4月、母校にモンゴル語学科の専任講師として就職し、現在に至っている。[3]
エピソード
塩谷茂樹は、石川県かほく市立河北中学校3年生の1974年7月28日、石川県中学校体育大会(県体)第17回柔道大会の個人戦・軽量級の部で、3位入賞を果たし、翌年4月、石川県内有数の進学校、金沢泉丘高等学校に入学した初日に、新教室の黒板一面に「塩谷茂樹君、柔道部へようこそ!」と大きく書かれていて非常に驚いたと述懐している。
また、大阪外国語大学に在籍中は、男性合唱グリークラブに所属し、日夜『黒人霊歌』を歌う傍ら、通学には、大阪外大間谷キャンパスと阪急北千里駅間(モンゴル留学前は、阪急千里山駅近くに1年余り下宿していた)を、毎日片道15分(バスでは所要時間25分)、往復30分で力走して通う(時折部員との飲食が千里中央で行われる際は、大学から同時に出発し、他の部員がバスで35分かかるところを、20分程度で先着し皆を迎えるのが常であった)など、文化部と運動部の中間的存在として、モンゴル留学時には、グリークラブ部員の寄せ書きとして「走るモンゴル機関車」との異名を取った。[4]
モンゴル滞在時の1980年秋から翌1981年春にかけての留学当初は、モンゴルでの南京虫(正式名トコジラミ、モンゴル語ビャサー)との闘いの日々は強烈であったと塩谷は述懐している。就寝時に足を何か所も噛まれ赤くはれ上がることもしばしばあったほか、学生寮の同室のモンゴル人には「おまえの血がおいしいからだろ」とか「日本人の血が珍しいからだろ」と一笑に付されるのにもひたすら耐え続け、さらにはモンゴル人の推奨する南京虫の民間対処療法(1.ベッドを壁から離す、2.アルツ(杜松、ねず)をたく、3. 羊の生肉をベッドの下に置くなど)を試すもほぼ効果は得られず、南京虫による夜毎の急襲は、塩谷の当時の学業に多大な影響を及ぼしたようだ。同時期に1年間、日本語教授のためモンゴルに滞在した塩谷の恩師、荒井伸一先生も、憎き天敵、南京虫との夜毎の葛藤は、必然的に睡眠不足につながり、日中の職務にも大いに支障が生じたという。先生は試行錯誤を繰り返された結果、ついに南京虫最終攻略法を見出され、その方法が何と前夜につかまえた南京虫を5,6匹生きたまま柱にセロテープで貼りつけ、それらを怨念を込めて、灼熱の電気コンロの上で一匹ずつ柱から剝がしながら、じゅっと焼き殺すというまさに原始的な手法だったという。「塩谷君!ちょっとこっちへ来て見て。ついに南京虫攻略法を見つけたんだ。やっと仇を取ったぞ」と言った時の、つきものが落ちたかのような先生のすがすがしい満面の笑みは、一生忘れられないと塩谷は回想している。[5]
2年2か月のモンゴル留学を終えて帰国した後、英語の教員免許取得のため、さらに2年間在籍したが、その間、「モンゴル留学から帰国したばかりの男子学生が、外大グランドにテントを張って、野良犬を飼って野宿しているようだ」との噂が、学内にまことしやかに囁かれたが、塩谷本人は、授業の中で「全くの事実無根」と否定している。
1986年4月に京都大学大学院文学研究科に進学した後、2年目の冬、修士論文を執筆中、論文作成に集中するためとの身勝手な判断から、下宿アパートの固定電話の線を、2週間コンセントから抜いておいたところ、実家の母親から、「2週間連絡取れず、息子行方不明」との理由で京都府警察署に捜索願が出され、その深夜に京都府消防署の白ヘルメットの男二人に就寝中を襲われたと、これまた授業の中で話している。その時の様子を、本人は「いきなり白装束の男二人組が、アパートの大家とともに、部屋になだれ込んできて、胸ぐらをつかみ生死の確認をするや、一言『実家の母から捜索願が出ていますから、無事ならすぐに一報を』とだけ言い残して、退出していった」と述べるなど、これまで数々の逸話を残している。
座右の銘
モンゴル語のことわざより、以下の2つである。
・Санаж явбал бүтдэг, Сажилж явбал хүрдэг
(Sanaj yawbal bütdeg, Sajilj yawbal khürdeg)
「思って行けば実現する、ゆっくり行けば到着する」
-日本語の「志ある者は事竟(つい)に成る」、「有志竟成(ゆうしきょうせい)」に相当する。
・Эдээр биеэ чимэхээр Эрдмээр биеэ чим
(Edeer biyee chimekheer Erdmeer biyee chim)
「物で自らを飾るよりも学で自らを飾れ」
-日本語の「学問は一生の宝」に相当する。
上記の2つは、塩谷が大阪大学外国語学部のモンゴル語や、豊中キャンパスの共通教育等の授業の中で、学生たちに必ず紹介することわざとして知られている。
社会活動(講演)
・「ことわざより見られるモンゴルの文化」、阪大外国語学部×みのお市民活動センター主催 「マンスリー多文化サロン」 11月講演会、於みのお市民活動センター(2019年11月21日)
・「モンゴルの民話からいいつたえまで」、大阪大学外国語学部 連携講座、於NHK文化センター梅田教室(2014年4月5日)
・「ことわざより見るモンゴルのことばと文化」、石川モンゴル友好女性の会 大学婦人協会金沢支部主催、於石川国際交流サロン(2005年6月4日)
モンゴル語学習のための参考図書
・モンゴル語を学習するための映像サイト(塩谷茂樹監修 大阪大学制作)
「高度外国語教育独習コンテンツ」→「モンゴル語」をクリック
モンゴル人の子供から大人までの生きたモンゴル語を聞くことができる。
・モンゴル語を学習するためのテキスト
1.塩谷茂樹共著『初級モンゴル語』[6](2001)大学書林
2.塩谷茂樹共著『初級モンゴル語練習問題集』[7](2011)大学書林
3.塩谷茂樹共著『モンゴル語ことわざ用法辞典』[8](2006)大学書林
上記3冊は、大阪大学外国語学部モンゴル語専攻1、2年生の授業の指定教科書であり、3冊併用して授業で使用している。モンゴル語の基礎学習には不可欠である。
・モンゴルの文化理解を深めるための参考書
1.塩谷茂樹共著『エルヒー・メルゲンと七つの太陽 モンゴルのいいつたえ集』[9](2012)春風社 日本図書館協会選定図書
大阪大学外国語学部モンゴル語専攻3,4年の文学の授業の教科書であり、モンゴルに古くから伝わる民話のほか、モンゴル人特有のジェスチャー、 タブー、いいつたえ等が書かれており、モンゴルの文化を理解するための良書である。
2.塩谷茂樹編訳著『モンゴルのことばとなぜなぜ話』[10](2014)大阪大学出版会 日本図書館協会選定図書
モンゴルに古くから伝わる「なぜなぜ話」(なぜ~は…なの?)を32話、翻訳編集したもので、後半は「モンゴルのことば」と題し、文字、言葉の決まりと特徴、会話と単語、モンゴル語の仲間等を、一般の人にわかりやすく説明したものである。これは、大阪大学全学共通教育科目の授業の教科書である。
著書[1][2]
1.『土族語文法』[11],東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所, 978-4-86337-294-8, 2019年3月
2. 『モンゴルのことばとなぜなぜ話』[10],大阪大学出版会,978-4-87259-483-6,2014年10月
3. 『エルヒー・メルゲンと七つの太陽 モンゴルのいいつたえ集』[9], 春風社,978-4-86110-338-4,2012年12月
4. 『初級モンゴル語練習問題集』[7],大学書林,978-4-475-01889-0,2011年8月
5. 『大阪大学世界言語研究センター 世界の言語シリーズ3 モンゴル語』[12],大阪大学出版会,978-4-87259-327-3,2011年3月
6. 『モンゴル語ハルハ方言における派生接尾辞の研究<改訂版>』,978-4-9904936-0-8,2009年11月
7. 『モンゴル語文法問題集-初級・中級編-(平成21年度言語研修モンゴル語研修テキスト1)』[13],東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所,978-4-86337-039-5,2009年10月
8. 『モンゴル語ハルハ方言における派生接尾辞の研究』,大阪外国語大学学術研究双書[14], 4-900588-35-0,2007年3月
9. 『モンゴル語ことわざ用法辞典』[8],大学書林,4-475-01873-0,2006年2月
10. 『モンゴル語形態論及び語彙論研究』[15],インタープレス, オラーンバータル,99929-2-185-4,2004年9月
11. 『モンゴル語日本語ことわざ比較研究』[16],大阪外国語大学学術研究双書,4-900588-33-4,2004年2月
12. 『初級モンゴル語』[6],大学書林,4-475-01851-x,2001年6月
13. 『草原の国のむかし話-モンゴル-』[17],能登印刷出版部, 4-89010-245-0,1995年6月
14. 『モンゴル語会話・読解(モンゴル語研修テキスト2)』[18],東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所,1993年7月
学術論文その他[1][2]
1. 「書評:島村一平著 『ヒップホップ・モンゴリア 韻がつむぐ人類学』 青土社」,塩谷茂樹,週刊読書人,No. 3393,2021年6月
2. 「大阪外国語大学・大阪大学外国語学部100年史 写真で振り返る100年 モンゴル語」,大阪外国語大学創立100周年記念事業委員会,p. 85-92,2021年5月
3. 「書評:ボルジギン・フスレ編著 『改訂版 ユーラシア草原を生きるモンゴル英雄叙事詩』 三元社」,図書新聞,No. 3426,2019年12月
4. 「民和土族語の通時的母音変化について」,言語文学研究,Vol. 12,44,98-106,2019年11月
5. 「モンゴル語族における出動名詞接尾辞*-gur² について」, Acta Mongolica,vol 16 (426) 32-39,2015年10月
6. 「モンゴル語の内臓を表す若干の語彙に見られる意味のシンボリズム-特に慣用句及び派生語に言及して-」,日本モンゴル学会紀要,38, 51-64,2008年2月
7. 「モンゴルラテン文字の使用,E.プレブジャブ(塩谷茂樹訳)」,モンゴル研究論文集, 55-64,2006年7月
8. 「モンゴル語の出動名詞接尾辞 -mqai (-mgai, -mtgai) の起源に関して-特に満洲・ツングース諸語と比較して」,国際モンゴル学会紀要,34, 35, 82-93,2005年4月
9. 「モンゴル語族における《習慣》や《傾向》を表す出動名詞接尾辞について」,大阪外国語大学論集,31, 115-144,2005年3月
10. 「モンゴル語の《鞭》を表す語の起源について」,国際モンゴル学会紀要,33, 114-127,2004年4月
11. 「モンゴル語の《熊》と《子熊》を表す語の起源について」,日本モンゴル学会紀要,34, 13-29,2004年2月
12. 「蒙古文語及び中国領内の満洲・ツングース諸語における対応する接尾辞について」,大阪外国語大学論集,30, 109-148,2004年2月
13. 「モンゴル語ハルハ方言と内モンゴル中部方言における若干の常用語彙比較について」,大阪外国語大学論集,29, 165-173,2003年9月
14. 「モンゴル語における 《ふいご》, 《橋》, 《馬乳酒の革袋》 及び 《嗅ぎタバコ入れ》を表す語の起源について」, Mongolica,11(32)、277-281,2001年10月
15. 「モンゴル語族における《明日》を表す語の形態及び意味変化について」,蒙古語文,6, 27-32,2001年6月
16. 「モンゴル語の舌慣らし言葉,E.プレブジャブ(塩谷茂樹訳)」,日本モンゴル学会紀要,30, 73-88,2000年2月
17. 「中国領内の蒙古語族系少数民族に伝わる民話」,日本とモンゴル,93, 72-99,1996年9月
18. 「モンゴルの絵本-モンゴル国と日本における現状と問題点」,日本児童文学,42, 106-107,1996年4月
19. 「モンゴル語における《瞼》と《眉》を表す語の意味変化について-特にその語構造に言及して」, Mongolica,6(27), 108-117,1995年10月
20. 「中国領内の蒙古系孤立的諸言語に伝わる民話・動物編」,日本とモンゴル,88, 30-60,1994年3月
21. 「中国領内の蒙古系孤立的諸言語における接尾辞一覧・蒙古文語索引」,日本モンゴル学会紀要,23, 165-199,1993年3月
22. 「『蒙古秘史』 動詞対uderi- /uderid- に見える末尾の-d-の解釈をめぐって」,言語学研究,10, 23-61,1991年12月
23. 「ダグール語ハイラル方言の口語資料-テキストと註釈」,日本モンゴル学会紀要,21, 47-95,1991年3月
24. 「蒙古語におけるdeverbal verbal suffix -s- について」,言語学研究,8, 53-84,1989年12月
報道[1][2]
1. “塩谷茂樹 モンゴル人はプラス思考、日本人はややマイナス思考”,モンゴル週刊新聞「オープン・ドア」, No.34 (115) , p.1 pp.3-5,2016年9月
2. “塩谷茂樹 私はモンゴルのことわざで授業を始め、モンゴルのことわざで授業を終わらす”,モンゴル日刊新聞「ウヌードゥル」, No.212 (5905), p.7,2016年9月
3. “モンゴル語学者 塩谷茂樹が語る”,サンサル・ケーブルテレビ,2015年9月
4. “モンゴル語文法の諸問題と言葉の乱れについて語る”,モンゴルテレビ「今朝」,2015年9月
5. “モンゴル語教育について語る”,モンゴルテレビ「今朝」,2015年8月
6. “モンゴルのことばとなぜなぜ話 親子で学べる楽しい児童書” ,読売新聞,2014年12月
7. “初級モンゴル語練習問題集”,朝日新聞,2011年9月
8. “モンゴル語ことわざ用法辞典”,朝日新聞,2006年3月
9. “初級モンゴル語”,朝日新聞,2001年7月
10. “草原のむかし話 日本で”,オラーンバータル紙(モンゴル),1996年2月
11. “モンゴル民話集め絵本に”,北国新聞,1995年10月
12. “絵本で分かるモンゴルの国”,北陸中日新聞,1995年8月
13. “日本のこどもたちにモンゴルの絵本”,毎日新聞,1995年8月
外部リンク
- ^ a b c d “大阪大学研究者総覧”. 2021年7月28日閲覧。
- ^ a b c d “リサーチマップ 塩谷茂樹”. 2021年7月28日閲覧。
- ^ a b 『アライ・バクシを囲んで-荒井伸一先生追悼文集-』大阪外国語大学モンゴル語卒業生有志、荒井伸一先生追悼文集刊行委員会、2013年2月13日、pp.118-124頁。
- ^ 『Gaigo Will Shine Forever 大阪外国語大学グリークラブ創部90周年記念誌』大阪外国語大学グリークラブ創部90周年記念誌編集委員会、2018年9月、pp.220-221頁。
- ^ 『アライ・バクシを囲んで-荒井伸一先生追悼文集-』大阪外国語大学モンゴル語卒業生有志、荒井伸一先生追悼文集刊行委員会、2013年2月13日、pp.118-124頁。
- ^ a b 『初級モンゴル語』大学書林、2001年。
- ^ a b 『初級モンゴル語練習問題集』大学書林、2011年。
- ^ a b 『モンゴル語ことわざ用法辞典』大学書林、2006年。
- ^ a b 『エルヒー・メルゲンと七つの太陽 モンゴルのいいつたえ集』春風社、2012年。
- ^ a b 『モンゴルのことばとなぜなぜ話』大阪大学出版会、2014年。
- ^ 『土族語文法』東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、2019年3月。
- ^ 『大阪大学世界言語研究センター 世界の言語シリーズ3 モンゴル語』大阪大学出版会、2011年3月。
- ^ 『モンゴル語文法問題集-初級・中級編-(平成21年度言語研修モンゴル語研修テキスト1)』東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、2009年10月。
- ^ 『モンゴル語ハルハ方言における派生接尾辞の研究』大阪外国語大学学術研究双書、2007年3月。
- ^ 『モンゴル語形態論及び語彙論研究』インタープレス, オラーンバータル、2004年9月。
- ^ 『モンゴル語日本語ことわざ比較研究』大阪外国語大学学術研究双書、2004年2月。
- ^ 『草原の国のむかし話-モンゴル-』能登印刷出版部、1995年6月。
- ^ 『モンゴル語会話・読解(モンゴル語研修テキスト2)』東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、1993年7月。
上記4の中で、1973年夏から1998年1月までの24年間の長きにわたり、大阪外大グリークラブのボイストレーナーとして指導された林誠先生は、「キャンパスが箕面に移転した頃より、女子学生の増加もあり大学の雰囲気は変化することとなったが、千里中央からランニング登校する強者が居る等、外大カラーは脈々と受け継がれていた。」と回想している。