「銀河旋風亭クライマ→」の版間の差分
Hiphopgentleman (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
m Bot作業依頼: 改名によるテンプレートおよびテンプレート引数の置き換え依頼 (Template:複数の問題) - log |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{複数の問題 |
{{複数の問題 |
||
| |
|存命人物の出典皆無=2021-07 |
||
|特筆性=2021-07|分野=人物 |
|特筆性=2021-07|分野=人物 |
||
}} |
}} |
2021年8月4日 (水) 17:46時点における版
![]() |
銀河旋風亭クライマ→(ぎんがせんぷうていクライマー、1980年 - )は、日本のヒップホップで活動するソロラッパー。大田クルーのメンバー。アニソンDJとしても活動している。
来歴
1991年に小学校の友人のくちずさんでいたスチャダラパーのゲームボーイズという曲に衝撃を受けHIPHOPを聴きはじめる。
1995年にbay-FMで放送されていたあいざわ元気のラジオ番組内コーナー「第2回アマチュアラップナイツ」でラップを披露し優勝する。
ゲスト審査員のブランニューモンキーズから「お前は10年後にすごいラッパーになる」と言われたのを真に受ける。
この時に使用したラジオネーム「KURA」がラッパー名の由来。
1996年に中学時代の友人と外楽人魔というユニットを結成。1stアルバム「外楽人魔」とミニアルバム「Special X'mas」を自主制作。
1997年に外楽人魔の2ndアルバム「野蛮下痢音」自主制作し、ユニット解散。
高校で山岳部に在籍していたこともあり、この頃から「クライマ→」と名乗りはじめる。
1999年に予備校の友人らと4人組のパンクラップグループ「Prescribe Medicine」を結成、ミニアルバム「臭うぞ仁王像」を自主制作し解散。
2000年にクライマ→名義で年間70本のライブをする
2002年に大田クルーに加入。FUNKY MONKEY BABY'Sと共にフランスで開催された「Lille2002」という国際的イベントでライブ。
2003年に大学の友人らとレゲエサウンド「パッションノットファッション」を結成。
2004年にDA PUMPの深夜番組でご当地ラップを披露したのがきっかっけで芸能事務所VISION FACTORYに入所。
PONY CANYONより「大田区よいとこ一度はおいでチョイナチョイナ」でCDメジャーデビュー。
フジテレビ「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」、TBS「うたばん」、日本テレビ「速報!歌の大辞テン」、日本テレビ「音楽戦士MUSIC FIGHTER」、
日本テレビ「少年チャンプル」、日本テレビ「汐留スタイル!」、フジテレビ「音箱登龍門」へのTV出演。日本テレビ「爆笑問題のススメ」の12月のエンディングテーマに採用される。
2005年に大田クルーを卒業。VISION FACTORYを退所。
2007年にSTUDIO東和よりリリースされたコンピレーションアルバム「濁点 新人発掘計画 」に円谷ポロ名義「避妊の責任」という曲で参加。
2008年にVOX LabelよりリリースされたYOSROMANTICの1stアルバム「ヨスロマンティック」に収録された「Thank You for Da Hip Hop Feat.クライマ→/タマちゃん」に客演。
2008年にパッションノットファッションのMixCD「下町レゲエ」に円谷ポロa.k.aクライマ→名義「指定席」という曲のダブプレートで参加。
2011年にアニソンDJとして活動開始するにあたって、銀河旋風亭クライマ→に改名。
2021年6月22日にソロ1st Single「ビビんないでBelieve My Way」を各種音楽配信サイトにてリリース。
ディスコグラフィー
銀河旋風亭クライマ→名義
1st single 「ビビんないでBelieve My Way」(2021年6月22日)