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2021年8月9日 (月) 00:02時点における版

ネーデルラントの歴史
フリーシー族英語版 ベルガエ族
カナネファテス族英語版[1] カマウィ族英語版
トゥバンテス族英語版[2]

ガリア・ベルギカ
(紀元前55年–5世紀ごろ)
ゲルマニア・インフェリオル
(83年–5世紀ごろ)
サリ・フランク族 バタウィ族[1]
無人
(4世紀–5世紀ごろ)
ザクセン族 サリ・フランク族[1]
(4世紀–5世紀ごろ)
フリースラント王国
(6世紀ごろ–734年)
フランク王国 (481年–843年)
カロリング帝国 (800年–843年)
アウストラシア (511年–687年)
中部フランク王国 (843年–855年) 西フランク王国
(843年–)
ロタリンギア王国[3] (855年–959年)
下ロタリンギア公国英語版[4] (959年–)
フリースラント


フリースラントの自由英語版[5]
(11世紀–16世紀
)

ホラント伯国英語版[6]
(880年–1432年)

ユトレヒト司教領英語版[7]
(695–1456)

ブラバント公国[8]
(1183–1430)

ゲルデルン公国[9]
(1046年–1543年)

フランドル伯国英語版[10]
(862年–1384年)

エノー伯国英語版
(1071年–1432年)

ナミュール伯国英語版
(981年–1421年)

リエージュ司教領
[11]
(980年–1794年)

ルクセンブルク公国
(1059年–1443年)
 
ブルゴーニュ領ネーデルラント (1384年–1482年)

ハプスブルク領ネーデルラント (1482年–1795年)
(ネーデルラント17州 1543年以降)[12]
 

ネーデルラント連邦共和国
(1581年–1795年)

スペイン領ネーデルラント
(1556年–1714年)
 
 
オーストリア領ネーデルラント
(1714年–95年)
 
ベルギー合衆国
(1790年)

リエージュ共和国英語版
(1789年–91年)
     

バタヴィア共和国 (1795年–1806年)
ホラント王国 (1806年–10年)

フランス第一共和政 (1795年–1804年)
フランス第一帝政(1804年–15年)
   

ネーデルラント連合公国英語版 (1813年–15年)
 
ネーデルラント連合王国 (1815年–30年)
ルクセンブルク
大公国

(同君連合、1815年–)


オランダ王国 (1839年–)

ベルギー王国 (1830年–)
ルクセンブルク大公国
(1890年–)
  1. ^ a b c ローマフォエデラティ
  2. ^ カマウィ族はフランク族の連合に参加。トゥバンテス族はザクセン族の連合に参加。
  3. ^ 939年以降は東フランクの一部。959年に上ロタリンギア下ロタリンギア英語版に分割され、前者は西フランク王国、後者は東フランク王国に編入された。
  4. ^ 下ロタリンギアはロティエとも呼ばれ、その後複数の小領に分裂。「ロティエ公」という称号のみブラバント公国に受け継がれた。
  5. ^ 1524年以降フリースラント卿領、1536年以降フローニンゲン卿領(Ommelandenを含む)が成立した。
  6. ^ 近隣にゼーラント伯国。この国は1432年までホラント伯国やフランドル伯国に支配された。
  7. ^ オーファーアイセル卿領(1528年まで)、ドレンテ伯国(1528年まで)、ズトフェン伯国(1182年まで)を含む。
  8. ^ 1288年からリンブルフ公国(現在のベルギー領リエージュ州)、それにオーファーマースと呼ばれるダレムファルケンブルフ・アーン・デ・グール、ヘルツォーゲンラート(現在のオランダ領リンブルフ州)を含む。
  9. ^ ゲルデルン伯国、後の公国は、川で隔てられた4地域から構成されていた。すなわち上流部の上ゲルデルン英語版(現在のリンブルフ州北半分)、下流部で川の分岐により隔てられたズトフェン伯国(1182年以降)、Veluwe Quarter、Nijmegen Quarterである。下流の3地域はHamaland(カマウィ族に由来)のガウ英語版にまとめられ、現在のヘルダーラント州になっている。ゲルデルンには、クレーフェ飛地であるハイッセンや、独立伯国であるブレンクレンボルフは含まれないが、かなり後になってヘルダーラント州に統合された。
  10. ^ アルトワ公国 (1237年までフランドル伯国の一部)とトゥルネーを含む。
  11. ^ 中世を通じて、リエージュ司教領は大幅に拡大した。1096年にブイヨン公国、1366年にルーン公国、1568年にcounty of Horneを獲得している(ブイヨン公国は1678年にフランスへ割譲)。またメヘレン卿領も含む。
  12. ^ ハプスブルク家神聖ローマ皇帝カール5世がゲルデルン公国を回復して以降に「17州」という呼び名が用いられるようになり、現在まで続く地方区分の元となった。