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* 初先発出場:1984年8月28日、対[[読売ジャイアンツ]]21回戦([[後楽園球場]])、8番・[[遊撃手]]として先発出場 |
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* 初打点:1984年9月10日、対[[広島東洋カープ]]21回戦([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])、4回表に[[山根和夫]]から適時打 |
* 初打点:1984年9月10日、対[[広島東洋カープ]]21回戦([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])、4回表に[[山根和夫]]から適時打 |
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* 初本塁打:1984年9月24日、対ヤクルトスワローズ22回戦(横浜スタジアム)、2回裏に[[ |
* 初本塁打:1984年9月24日、対ヤクルトスワローズ22回戦(横浜スタジアム)、2回裏に[[尾花高夫]]から左越ソロ |
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=== 背番号 === |
=== 背番号 === |
2021年8月23日 (月) 05:55時点における版
福山ローズファイターズ GM | |
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2017年11月23日 横浜スタジアムにて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 茨城県神栖市 |
生年月日 | 1961年8月24日(63歳) |
身長 体重 |
179 cm 73 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1983年 ドラフト1位 |
初出場 | 1984年4月6日 |
最終出場 | 1993年6月11日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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銚子 利夫(ちょうし としお、1961年8月24日 - )は、茨城県神栖市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。
来歴・人物
野球を始めたのは実兄(市立銚子高-早大)の影響で、最初は内野手であったが、市立銚子高校2年次の1978年秋に投手へ転向。3年次の1979年には夏の甲子園にエース兼4番打者として、チームを初出場に導いたが、結果は初戦で敗退。高校生時代には、自身の苗字と校名が同じことにちなんで、「銚子高校の銚子君」と呼ばれた。同年のドラフトで近鉄バファローズから投手として4位で指名されたものの、入団を固辞したうえで高校卒業後の1980年に法政大学へ進学し、内野手へ再び転向。東京六大学リーグでは3年次の1982年春季で首位打者のタイトルを獲得し、(2019年秋終了時点で)チーム史上唯一のリーグ戦全勝(10勝)優勝に貢献したほか、後に進出した全日本大学野球選手権でも優勝を経験した[1]。在学中には、リーグ戦通算49試合出場・打率.305(174打数53安打)・4本塁打・35打点という成績を残したほか、三塁手としてベストナインに3度選ばれた。野球部での同期に小早川毅彦や坂本佳一、1学年先輩に木戸克彦や西田真二[1]、2学年先輩に川端順や池田親興などがいる。
1983年のドラフト1位で横浜大洋ホエールズに入団。応援歌は、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の劇中歌「時間通りに教会へ」より採譜された。
1988年に三塁手のレギュラーに定着すると、一軍公式戦で自己最多の125試合に出場すると共に、三塁手としての失策数をわずか3個にとどめた。しかし、ゴールデングラブ賞のセ・リーグ三塁手部門には、巨人の原辰徳(126試合の出場で10失策)が選ばれた。大洋ファンのやくみつる(はた山ハッチ)は、当時この件を自身の4コマ漫画で取り上げた。1990年に須藤豊監督が就任して清水義之が台頭してからは一軍公式戦での出場機会が減少し、1992年に長内孝との交換トレードで大学の先輩・山本浩二監督率いる広島東洋カープに移籍したものの、1993年限りで現役を引退。
同年には長内も引退したため、引退後の1994年に長内と再び入れ替わる格好で古巣・横浜へ復帰。育成コーチ補佐(1994年 - 1995年)、育成兼二軍守備コーチ(1996年)、二軍守備・走塁コーチ(1997年 - 2006年)、編成担当、スカウトを歴任。
2009年に退団した当初は、焼肉店の開店を目指していたが、後に断念を余儀なくされる。2011年からは、広島県福山市に本社を置く自動車輸入販売会社「ブリッジ」で関東地区のエリアマネージャーを務めていた[2]。その一方で、2011年から2019年までは、東京六大学で同期である慶大出身の堀井哲也監督が率いるJR東日本を指導。当初は外部スタッフ(守備・走塁アドバイザー)として携わっていたが、後にコーチへ正式に就任[1]。その間には、2014年1月20日付で日本学生野球協会から学生野球資格の回復を認定。同協会へ加盟する高校・大学の硬式野球部でも指導できるようになった[3]。
2020年2月から母校・法大の助監督に就任[4]。37年振りの母校復帰となり、助監督への就任を機に野球部第二寮での生活を始めた[1]。同年12月をもって退任[5]。
2021年からは、かつて勤務していた広島県福山市の自動車輸入販売会社「ブリッジ」に再就職し、同社が支援する社会人野球のクラブチーム「福山ローズファイターズ」のGMに就任した[6]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1984 | 大洋 | 56 | 108 | 104 | 8 | 15 | 2 | 0 | 1 | 20 | 3 | 1 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 17 | 1 | .144 | .168 | .192 | .361 |
1985 | 51 | 23 | 20 | 5 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 3 | 1 | .050 | .174 | .100 | .274 | |
1987 | 8 | 24 | 23 | 1 | 7 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | .304 | .304 | .304 | .609 | |
1988 | 125 | 480 | 425 | 44 | 115 | 12 | 1 | 0 | 129 | 23 | 6 | 4 | 30 | 0 | 20 | 0 | 5 | 59 | 4 | .271 | .311 | .304 | .615 | |
1989 | 114 | 453 | 402 | 43 | 113 | 30 | 0 | 2 | 149 | 26 | 8 | 4 | 28 | 1 | 18 | 0 | 4 | 53 | 10 | .281 | .318 | .371 | .688 | |
1990 | 37 | 77 | 61 | 7 | 17 | 1 | 1 | 0 | 20 | 2 | 0 | 1 | 4 | 0 | 12 | 2 | 0 | 15 | 0 | .279 | .397 | .328 | .725 | |
1991 | 18 | 38 | 34 | 4 | 7 | 3 | 0 | 0 | 10 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 7 | 3 | .206 | .250 | .294 | .544 | |
1992 | 広島 | 13 | 9 | 7 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 | .143 | .333 | .143 | .476 |
1993 | 11 | 13 | 12 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .167 | .167 | .167 | .333 | |
通算:9年 | 433 | 1225 | 1088 | 113 | 278 | 49 | 2 | 3 | 340 | 60 | 16 | 10 | 67 | 1 | 59 | 2 | 10 | 165 | 20 | .256 | .300 | .313 | .612 |
記録
- 初出場:1984年4月6日、対ヤクルトスワローズ1回戦(横浜スタジアム)、9回裏に関根浩史の代打として出場
- 初打席:同上、9回裏に中本茂樹の前に凡打
- 初安打:1984年4月30日、対中日ドラゴンズ3回戦(ナゴヤ球場)、9回裏に鈴木孝政から単打
- 初先発出場:1984年8月28日、対読売ジャイアンツ21回戦(後楽園球場)、8番・遊撃手として先発出場
- 初打点:1984年9月10日、対広島東洋カープ21回戦(広島市民球場)、4回表に山根和夫から適時打
- 初本塁打:1984年9月24日、対ヤクルトスワローズ22回戦(横浜スタジアム)、2回裏に尾花高夫から左越ソロ
背番号
- 22 (1984年 - 1986年)
- 9 (1987年 - 1993年)
- 90 (1994年 - 2006年)
出典
- ^ a b c d 法大・銚子助監督 37年ぶり「HOSEI」ユニホーム 母校への恩返し誓う(『スポーツニッポン』2020年2月16日付記事)
- ^ 元大洋・銚子利夫さん「プロ最高年俸クリアが目標」(ZAKZAK)
- ^ 学生野球資格回復に関する規則 第4条による認定者(日本学生野球協会)
- ^ 東京六大学野球 法大助監督に元大洋の銚子利夫氏就任(『スポーツニッポン』2020年2月13日付記事)
- ^ 法政大学野球部指導者の交代について法政大学公式ウェブサイト 2020年11月10日
- ^ “選手&スタッフ”. 福山ローズファイターズ. 2021年4月5日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 銚子利夫 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)