「サヴァ・サヴォフ」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
2行目: | 2行目: | ||
'''サヴァ・サヴォフ'''({{lang-bg|Сава Савов}}, [[1864年]][[12月6日]] - [[1940年]][[4月10日]])は、[[ブルガリア公国]]、[[ブルガリア王国 (近代)|ブルガリア王国]]の軍人。歩兵大将。 |
'''サヴァ・サヴォフ'''({{lang-bg|Сава Савов}}, [[1864年]][[12月6日]] - [[1940年]][[4月10日]])は、[[ブルガリア公国]]、[[ブルガリア王国 (近代)|ブルガリア王国]]の軍人。歩兵大将。 |
||
[[シュメン]]出身。1885年、[[ソフィア (ブルガリア)|ソフィア]]の軍事学校で教育を受け、第7歩兵プレスラフ連隊に配属。中隊長として1885年のセルビア・ブルガリア戦争に従軍。戦後、第1歩兵ソフィア連隊の中隊を指揮。1888年から1896年、[[フェルディナン |
[[シュメン]]出身。1885年、[[ソフィア (ブルガリア)|ソフィア]]の軍事学校で教育を受け、第7歩兵プレスラフ連隊に配属。中隊長として1885年のセルビア・ブルガリア戦争に従軍。戦後、第1歩兵ソフィア連隊の中隊を指揮。1888年から1896年、[[フェルディナント (ブルガリア王)|フェルディナンド]]公(のちの国王)の侍従武官、1909年から1910年、[[マリヤ・ルイザ・ブルボン=パルムスカ|マリヤ・ルイザ]]公妃の侍従武官。 |
||
1910年から第22歩兵トラキア連隊長。同連隊長として1912年から1913年の[[第一次バルカン戦争]]に従軍。1913年の[[第二次バルカン戦争]]時、第1ソフィア歩兵師団の第2旅団を指揮。1914年から1915年、フェルディナンド国王の侍従武官。 |
1910年から第22歩兵トラキア連隊長。同連隊長として1912年から1913年の[[第一次バルカン戦争]]に従軍。1913年の[[第二次バルカン戦争]]時、第1ソフィア歩兵師団の第2旅団を指揮。1914年から1915年、フェルディナンド国王の侍従武官。 |
2021年9月17日 (金) 22:32時点における最新版
サヴァ・サヴォフ(ブルガリア語: Сава Савов, 1864年12月6日 - 1940年4月10日)は、ブルガリア公国、ブルガリア王国の軍人。歩兵大将。
シュメン出身。1885年、ソフィアの軍事学校で教育を受け、第7歩兵プレスラフ連隊に配属。中隊長として1885年のセルビア・ブルガリア戦争に従軍。戦後、第1歩兵ソフィア連隊の中隊を指揮。1888年から1896年、フェルディナンド公(のちの国王)の侍従武官、1909年から1910年、マリヤ・ルイザ公妃の侍従武官。
1910年から第22歩兵トラキア連隊長。同連隊長として1912年から1913年の第一次バルカン戦争に従軍。1913年の第二次バルカン戦争時、第1ソフィア歩兵師団の第2旅団を指揮。1914年から1915年、フェルディナンド国王の侍従武官。
第一次世界大戦時、1916年10月から1917年8月まで、第5ドナウ歩兵師団を指揮。1917年7月から1918年2月まで第3軍を指揮。1918年2月から6月、1917年末に第10ベロモル歩兵師団と第2騎兵師団から編成された第4軍の司令官。1918年6月から11月、A.マリノフ政権の国防相。その後しばらくの間、陸軍総監を務めた。
1919年7月、予備役編入。戦後は、民主党の議会議員だった。