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「ヨーゼフ・アウグスト・フォン・エスターライヒ」の版間の差分

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== 生涯 ==
== 生涯 ==
[[ヨーゼフ・カール・フォン・エスターライヒ|ヨーゼフ・カール大公]]の長男としてハンガリーの{{仮リンク|アルチュートドボズ|hu|Alcsútdoboz}}に生まれる。母は[[ザクセン=コーブルク=ゴータ家]]の公子[[アウグスト・フォン・ザクセン=コーブルク=ゴータ|アウグスト]]の娘で[[ブルガリア王国 (近代)|ブルガリア]]王[[フェルディナンド1世 (ブルガリア王)|フェルディナンド1世]]の姉である[[クロティルデ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ|クロティルデ]]。
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1893年に[[バイエルン王国|バイエルン]]王子[[レオポルト・フォン・バイエルン|レオポルト]]の娘[[アウグステ・フォン・バイエルン (1875-1964)|アウグステ・マリア・ルイーゼ]]と結婚した。彼女の母[[ギーゼラ・フォン・エスターライヒ|ギーゼラ]]は、ヨーゼフ・アウグストの再従兄に当たる[[オーストリア皇帝|皇帝]][[フランツ・ヨーゼフ1世]]の次女であり、ヨーゼフ・アウグストは皇帝の孫娘の婿となった。
1893年に[[バイエルン王国|バイエルン]]王子[[レオポルト・フォン・バイエルン|レオポルト]]の娘[[アウグステ・フォン・バイエルン (1875-1964)|アウグステ・マリア・ルイーゼ]]と結婚した。彼女の母[[ギーゼラ・フォン・エスターライヒ|ギーゼラ]]は、ヨーゼフ・アウグストの再従兄に当たる[[オーストリア皇帝|皇帝]][[フランツ・ヨーゼフ1世]]の次女であり、ヨーゼフ・アウグストは皇帝の孫娘の婿となった。

2021年9月17日 (金) 22:34時点における版

ヨーゼフ・アウグスト・フォン・エスターライヒ
Joseph August von Österreich
ハプスブルク=ロートリンゲン家
ヨーゼフ・アウグスト大公(1916年)

全名
称号 オーストリア大公
出生 (1872-08-09) 1872年8月9日
オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国
ハンガリー王国の旗 ハンガリー王国、アルチュートドボズ
死去 (1962-07-06) 1962年7月6日(89歳没)
西ドイツの旗 西ドイツバイエルン州ニーダーバイエルン行政管区ライン
埋葬 西ドイツの旗 西ドイツバイエルン州オーバーバイエルン行政管区フェルダッフィング
1992年(改葬)
 ハンガリーブダペストブダ城
配偶者 アウグステ・フォン・バイエルン
子女
父親 ヨーゼフ・カール・フォン・エスターライヒ
母親 クロティルデ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ
役職 オーストリア=ハンガリー帝国陸軍元帥
ハンガリー政府臨時元首
1919年8月6日 - 10月23日
ハンガリー科学アカデミー会長
ヴィテーズ騎士団総長
サイン
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ヨーゼフ・アウグスト・フォン・エスターライヒドイツ語: Joseph August von Österreich, 1872年8月9日 - 1962年7月6日)は、オーストリア大公位を有するハプスブルク=ロートリンゲン家の一員。ハンガリー宮中伯英語版ヨーゼフ・アントン大公の孫にあたる。ハンガリー名はハブスブルグ=ロタリンギアイ・ヨージェフ・アーゴシュトハンガリー語: Habsburg–Lotaringiai József Ágost)。最後まで存命したオーストリア=ハンガリー軍の元帥であった。

生涯

ヨーゼフ・カール大公の長男としてハンガリーのアルチュートドボズハンガリー語版に生まれる。母はザクセン=コーブルク=ゴータ家の公子アウグストの娘でブルガリアフェルディナントの姉であるクロティルデ

1893年にバイエルン王子レオポルトの娘アウグステ・マリア・ルイーゼと結婚した。彼女の母ギーゼラは、ヨーゼフ・アウグストの再従兄に当たる皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の次女であり、ヨーゼフ・アウグストは皇帝の孫娘の婿となった。

1890年に第1歩兵連隊の中尉となって軍人としてのキャリアを開始し、1908年に将官に昇進、1911年には元帥に任じられた。第一次世界大戦が勃発すると、ガリツィア戦線で第7軍団の指揮を取った。後に対イタリア前線に移り、ロシア軍とルーマニア軍に対抗するためにトランシルヴァニアへと転戦した。

戦後、オーストリア=ハンガリー帝国から分離したハンガリーでソビエト政府ハンガリー国民軍によって倒された後、ヨーゼフ・アウグストは新たなハンガリー王国国王に擁立された。しかし、ハプスブルク=ロートリンゲン家の一員であるヨーゼフ・アウグストの即位は協商国ルーマニアの承認が得られず、この「王国」はホルティ・ミクローシュ摂政として国王が空位のまま成立した。

1936年から1944年までハンガリー科学アカデミーの会長を務めた。ホルティが失脚した1944年にアメリカ合衆国へ逃れた。

戦後の1946年に姉のトゥルン・ウント・タクシス侯妃マルガレーテ・クレメンティーネを頼って西ドイツバイエルン州に移り住み、1962年に同地で没した。

家族

ヨーゼフ・アウグスト大公と家族(1900年)

アウグステ・マリア・ルイーゼ妃との間には、6人の子供が生まれた。

  • ヨーゼフ・フランツ(1895年 - 1957年)
  • ギーゼラ・アウグステ(1897年 - 1901年)
  • ゾフィー・クレメンティーネ(1899年 - 1978年)
  • ラディスラウス・ルイトポルト(1901年 - 1946年)
  • マティアス・ヨーゼフ(1904年 - 1905年)
  • マグダレーナ・マリア(1909年 - 2000年)

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ヨーゼフ・アウグスト・フォン・エスターライヒに関するカテゴリがあります。

公職
先代
ペイドル・ジュラ
ハンガリー国家元首代行
1919年
次代
フリードリヒ・イシュトヴァーン英語版
文化
先代
アルベルト・ベルゼリツァ
ハンガリー科学アカデミー会長
1936年 - 1944年
次代
コリニス・ジュラ英語版
名誉職
先代
ホルティ・ミクローシュ
ヴィテーズ騎士団総長
1959年 - 1962年
次代
ファルカシュ・フェレンツ