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「梅 (樺型駆逐艦)」の版間の差分

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|機関||推進:3軸<br />主機:直立4気筒3段[[蒸気機関|レシプロ]] 3基<br />出力:計画 9,500[[馬力]]<br />ボイラー:[[艦本式ボイラー|ロ号艦本式缶]] 重油専焼2基、混焼2基

2021年9月18日 (土) 07:22時点における版

艦歴
計画 1914年度[1]
起工 1914年11月10日[1]
進水 1915年2月27日[1]
就役 1915年3月31日[1]
除籍 1932年4月1日[1]
性能諸元(計画公表値)
排水量 基準:公表値 595トン
常備:計画 665トン
全長 全長:82.90 m [注釈 1]
水線長:82.29m[注釈 2]
垂線間長:260 ftin (79.25 m)
全幅 24 ft 0+38 in (7.32 m)
水線幅 24 ft 0 in (7.32 m)
吃水 7 ft 9 in (2.36 m)
深さ 15 ft 3 in (4.65 m)
機関 推進:3軸
主機:直立4気筒3段レシプロ 3基
出力:計画 9,500馬力
ボイラー:ロ号艦本式缶 重油専焼2基、混焼2基
速力 30ノット
1931年時 31ノット
燃料 重油137トン、石炭100トン
航続距離 1,600カイリ / 15ノット
乗員 竣工時定員 90名[2]
1920年調 94名
1928年公表値 96名
兵装 40口径12cm単装砲 1門[注釈 3]
40口径8cm単装砲 4門[注釈 4]
45cm連装魚雷発射管 2基4門
搭載艇 4隻
備考 ※トンは英トン

(うめ)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、樺型駆逐艦の5番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「」があるため、こちらは「梅 (初代)」や「梅I」などと表記される。

艦歴

1914年大正3年)11月10日、神戸川崎造船所で起工[3]1915年(大正4年)2月27日、進水し[3][4]、同年3月31日、竣工[3][5]

第一次世界大戦では、1916年(大正5年)から1919年(大正8年)まで、シンガポール方面警備と地中海の海上護衛に従事した[1]

1932年昭和7年)4月1日に除籍。

艦長

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

駆逐艦長
  • 平山栄 少佐:1915年3月1日[6] - 1917年9月1日[7]
兼海軍艦政本部艤装員(1915年3月1日[6] - 1915年3月31日[8]
  • 田村重彦 少佐:1917年9月1日[7] - 1918年11月1日[9]
  • 池田武義 少佐:1918年11月1日[9] - 1918年11月12日[9]
  • 田村重彦 少佐:1918年11月12日[9] - 1919年9月13日[10]
  • (兼)中川友次郎 中佐:1919年9月13日[10] - 1919年12月1日[11]
  • 吉田健介 少佐:1919年12月1日[11] - 1920年9月3日[12]
  • 生島賢二 少佐:1920年9月3日[12] - 1920年12月1日[13]
  • 松川晃 少佐:1920年12月1日[13] - 1921年7月26日[14]
  • (心得)有馬直 大尉:1921年7月26日[14] - 1921年12月1日[15]
  • 有馬直 少佐:1921年12月1日[15] - 1922年3月20日[16]
  • 山下深志 少佐:1922年3月20日[16] - 1924年12月1日[17]
  • 板垣盛 大尉:1924年12月1日 - 1925年12月1日
  • (兼)難波正 少佐:1925年12月1日[18] - 1926年4月20日[19]
  • 柴田力 少佐:1926年4月20日 - 1927年11月15日
  • 田原吉興 大尉:1927年11月15日 - 1929年11月30日
  • 八木九五 少佐:1929年11月30日[20] - 1930年11月1日[21]
  • (兼)市坪正雄 大尉:1930年11月1日[21] - 1931年4月1日[22]

脚注

注釈

  1. ^ #軍艦基本計画資料Sheet14、樺完成常備状態の値として、全長82.906m、水線長82.308m、垂線間長79.260m、水線幅7.325mとしている。
  2. ^ #日本の駆逐艦p.293では全長82.29mとしている。
  3. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その二「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」による。安式12cm砲。
  4. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その二「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」による。安式8cm砲。

出典

  1. ^ a b c d e f 『日本海軍史』第7巻、297頁。
  2. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)p.530『大正四年二月六日(内令三七) 海軍定員令中ノ通改正セラル 別表「二等驅逐艦定員表」ノ下ニ「其一」ヲ加フ 別表中ヘ附表ノ通二等驅逐艦定員表其二ヲ加フ | 艦第二十表ノ二 |二等 驅逐艦定員表 其二 | 驅逐艦名 | 樺、桂、榊、楓、梅、楠、柏、松、桐、杉 |(以下略)』將校同相當官5人、兵曹長同相當官、准士官3人、下士22人、卒60人。
  3. ^ a b c #帝国海軍機関史下巻p.543(四五三頁)
  4. ^ #T14公文備考41艦船1/中型巡洋艦製造一件 桐、樺、桂、杉、柏、松、榊、楓、栂、楠(5)画像50『大正四年二月二十七日(中略)駆逐艦梅ハ豫定ノ通リ今七時三十分無事進水シマシタ御届ケ申上グ(終)』
  5. ^ #T14公文備考41艦船1/中型巡洋艦製造一件 桐、樺、桂、杉、柏、松、榊、楓、栂、楠(6)画像16『大正四年三月三十一日(中略)駆逐艦梅楠二艦共本日各艦長殿ヘ御引渡致シマシタ御届ケ申上グ(了)』
  6. ^ a b 海軍辞令公報 大正4年3月」 アジア歴史資料センター Ref.C13072071000 
  7. ^ a b 『官報』第1527号、大正6年9月3日。
  8. ^ 海軍辞令公報 大正4年4月」 アジア歴史資料センター Ref.C13072071100 
  9. ^ a b c d 海軍辞令公報 大正7年11月」 アジア歴史資料センター Ref.C12070263400 
  10. ^ a b 『官報』第2135号、大正8年9月15日。
  11. ^ a b 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
  12. ^ a b 『官報』第2428号、大正9年9月4日。
  13. ^ a b 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  14. ^ a b 『官報』第2697号、大正10年7月27日。
  15. ^ a b 『官報』第2801号、大正10年12月2日。
  16. ^ a b 『官報』第2888号、大正11年3月22日。
  17. ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
  18. ^ 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
  19. ^ 『官報』第4095号、大正15年4月21日。
  20. ^ 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
  21. ^ a b 『官報』第1155号、昭和5年11月4日。
  22. ^ 『官報』第1275号、昭和6年4月2日。

参考文献

  • 海軍省/編 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9
    • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5 
  • 『世界の艦船増刊第107集 日本駆逐艦史』海人社、2012年12月。
  • 日本舶用機関史編集委員会/編 編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 福田啓二/編 編『軍艦基本計画資料』今日の話題社、1989年5月。ISBN 4-87565-207-0 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。 
  • 森恒英『軍艦メカニズム図鑑 日本の駆逐艦』グランプリ出版、1995年1月。ISBN 4-87687-154-X 
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『大正4年 公文備考 巻41 艦船1/中型巡洋艦製造一件 桐、樺、桂、杉、柏、松、榊、楓、栂、楠(5)』。Ref.C08020599700。 
    • 『大正4年 公文備考 巻41 艦船1/中型巡洋艦製造一件 桐、樺、桂、杉、柏、松、榊、楓、栂、楠(6)』。Ref.C08020599800。 

関連項目