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'''胡 家鳳'''(こ かほう、{{Lang-zh | t=胡家鳳| s=胡家凤| hp=Hú Jiāfèng| w=Fu Chia-feng| first=t}})は、[[中華民国]]の政治家・実業家。[[字]]は'''秀松'''。 |
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== 事跡 == |
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2021年9月28日 (火) 09:23時点における版
胡家鳳 | |
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プロフィール | |
出生: |
1886年9月26日 (清光緒12年8月29日) |
死去: |
1962年(民国51年)12月29日 台湾台北市 |
出身地: | 清江西省南昌府南昌県 |
職業: | 政治家・実業家 |
各種表記 | |
繁体字: | 胡家鳳 |
簡体字: | 胡家凤 |
拼音: | Hú Jiāfèng |
ラテン字: | Fu Chia-feng |
和名表記: | こ かほう |
発音転記: | フー ジアフォン |
胡家鳳 胡家鳳 | |
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生年月日 | 1886年9月26日 |
出生地 |
清 江西省南昌府南昌県 (現 中華人民共和国 江西省南昌市) |
没年月日 | 1962年12月29日(76歳没) |
死没地 | 中華民国 台湾省台北市 |
出身校 | 国立北京法政専門学校卒業 |
在任期間 | 1948年4月5日 - 1949年1月20日 |
胡 家鳳(こ かほう、繁体字: 胡家鳳; 簡体字: 胡家凤; 繁体字: 胡家鳳; 拼音: Hú Jiāfèng; ウェード式: Fu Chia-feng)は、中華民国の政治家・実業家。字は秀松。
事跡
1912年(民国元年)、国立北京法政専門学校を卒業し、後に北京政府で教育部主事、視学を歴任した。1923年(民国12年)4月から翌年8月まで江西省教育庁庁長署理を務めている。その後、私立中国大学、私立華北大学、国立北平大学農学院、警官高等学校で教授を歴任した。また、塩務学校で教育長兼校長代理も務めている。1931年(民国20年)2月より青島市政府秘書長に任ぜられた。
日中戦争(抗日戦争)勃発後、胡家鳳は山東省政府委員兼秘書長に任ぜられ、省政府主席の沈鴻烈に随従した。まもなく胡は国民政府軍事委員会国防最高会議第1処処長に転じている。1940年(民国29年)10月、江西省政府委員に任ぜられ、翌年1月には同省政府秘書長に就任した。戦後は軍事委員会東北行轅秘書長、立法院立法委員を歴任している。1948年(民国37年)4月、王陵基の後任として江西省政府主席に起用されたが、翌年1月に早くも辞任し、5月には香港へ移った。
1950年(民国39年)秋に胡家鳳は台湾に移り、総統府国策顧問に任ぜられた。翌年春、裕台企業公司董事長となっている。
1962年(民国51年)12月29日、台北市にて病没。享年77(満76歳)。
参考文献
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国(国民政府)
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