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「王韜 (民国)」の版間の差分

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'''王 韜'''(おう とう、{{zh2 | t=王韜| s=王韜| hp=Wáng Tāo| w=Wang T'ao| first=t}}、[[1880年]]([[清]][[光緒]]6年) - ?)は、中華民国の政治家。[[字]]は'''子猷'''。[[山東省]][[蓬莱市|登州府]][[福山区|福山県]]の人。清末の改革派思想家として著名な[[王韜]]とは同姓同名の別人である。
'''王 韜'''(おう とう、{{Lang-zh | t=王韜| s=王韜| hp=Wáng Tāo| w=Wang T'ao| first=t}}、[[1880年]]([[清]][[光緒]]6年) - ?)は、中華民国の政治家。[[字]]は'''子猷'''。[[山東省]][[蓬莱市|登州府]][[福山区|福山県]]の人。清末の改革派思想家として著名な[[王韜]]とは同姓同名の別人である。


== 事績 ==
== 事績 ==

2021年9月28日 (火) 09:29時点における最新版

王 韜(おう とう、中国語: 王韜; 拼音: Wáng Tāo; ウェード式: Wang T'ao1880年光緒6年) - ?)は、中華民国の政治家。子猷山東省登州府福山県の人。清末の改革派思想家として著名な王韜とは同姓同名の別人である。

事績[編集]

清朝では湖広総督衙門文案(文書係のこと)や駐日公使館翻訳(通訳のこと)を務めた。中華民国成立後は、奉天省財政庁で総収支となり、後に浙江省繭捐局局長、河南直隷の両省で県知事、東北政務委員会総務処主任を歴任した。1930年民国19年)、北平市政府財政局局長兼市長代理を務め、翌年には同市政府参事となった。1933年(民国22年)10月、天津市長に就任し、翌1934年(民国23年)冬まで務めた。それ以後の王韜の行方は不詳である。[1][2]

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  1. ^ 徐主編(2007)、58頁。
  2. ^ 劉国銘主編(2005)、111頁。

参考文献[編集]

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』団結出版社、2005年。ISBN 7-80214-039-0 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
 中華民国の旗 中華民国国民政府
先代
于学忠
天津市長
1933年10月 - 1934年
次代
張廷諤