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「高鶚」の版間の差分

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'''高 鶚'''(こう がく、{{zh2|s=高鹗|p=Gāo È|w=Kao<sup>1</sup> E<sup>4</sup>}}、[[1738年]]頃 - [[1815年]]頃<ref name="jikai"/>)は[[清]]時代の[[官僚]]・[[文学者]]・[[漢軍八旗]]の鑲黄旗に属した[[八旗|旗人]]。[[字]]は蘭墅<ref name="britannica"/>、[[号 (称号)|号]]は紅楼外史<ref name="wang"/>。1788年([[乾隆]]53年)に[[挙人]]、1795年(乾隆60年)に[[進士]]となる<ref name="nakajima"/>。[[翰林院]][[侍読]]<ref name="britannica"/>、江南道[[御史]]、刑科[[給事中]]<ref>[[伊藤漱平]]訳「紅楼夢」[[平凡社ライブラリー]]、9巻P409</ref>。後妻として詩人{{仮リンク|張問陶|zh|张问陶}}(号は船山)の妹を娶ったとされる<ref name="nakajima"/>。なお張問陶と高鶚は同じ1788年の挙人である<ref>伊藤漱平訳「紅楼夢」平凡社ライブラリー、9巻P409</ref>。著作としては[[八股文]]の文集や[[漢詩|詩]]集などがあったが、詩文の才はさほど抜群とはいえないと評されている<ref>伊藤漱平訳「紅楼夢」平凡社ライブラリー、9巻P410</ref>。
'''高 鶚'''(こう がく、{{Lang-zh|s=高鹗|p=Gāo È|w=Kao<sup>1</sup> E<sup>4</sup>}}、[[1738年]]頃 - [[1815年]]頃<ref name="jikai"/>)は[[清]]時代の[[官僚]]・[[文学者]]・[[漢軍八旗]]の鑲黄旗に属した[[八旗|旗人]]。[[字]]は蘭墅<ref name="britannica"/>、[[号 (称号)|号]]は紅楼外史<ref name="wang"/>。1788年([[乾隆]]53年)に[[挙人]]、1795年(乾隆60年)に[[進士]]となる<ref name="nakajima"/>。[[翰林院]][[侍読]]<ref name="britannica"/>、江南道[[御史]]、刑科[[給事中]]<ref>[[伊藤漱平]]訳「紅楼夢」[[平凡社ライブラリー]]、9巻P409</ref>。後妻として詩人{{仮リンク|張問陶|zh|张问陶}}(号は船山)の妹を娶ったとされる<ref name="nakajima"/>。なお張問陶と高鶚は同じ1788年の挙人である<ref>伊藤漱平訳「紅楼夢」平凡社ライブラリー、9巻P409</ref>。著作としては[[八股文]]の文集や[[漢詩|詩]]集などがあったが、詩文の才はさほど抜群とはいえないと評されている<ref>伊藤漱平訳「紅楼夢」平凡社ライブラリー、9巻P410</ref>。


[[程偉元]]とともに、80回までしか完成していなかった[[曹雪芹]]の『[[紅楼夢]]』に残りの40回を補って120回の完本とした人物。ただし、これには異説もあり、「前80回は完全な形で、後40回は不完全な形で残っていたものを高鶚が整理・増補し、出版した」ともいわれている<ref>伊藤漱平訳「紅楼夢」平凡社ライブラリー、9巻P411~413</ref>。完本は1791年(乾隆56年)に[[蘇州市|蘇州]]の萃文書屋より同作の初の活字本として刊行され、両者の名前から「{{仮リンク|程高本|en|Cheng-Gao versions}}」と呼ばれるようになった<ref name="wang"/>。以前は『石頭記』と呼ばれていた本作が『紅楼夢』と題されるようになったのも程高本からである。なお、続作部分で主人公賈宝玉が挙人に好成績で及第するのは高鶚の境遇が反映したものとも推測されている<ref>伊藤漱平訳「紅楼夢」平凡社ライブラリー、9巻P414</ref>。
[[程偉元]]とともに、80回までしか完成していなかった[[曹雪芹]]の『[[紅楼夢]]』に残りの40回を補って120回の完本とした人物。ただし、これには異説もあり、「前80回は完全な形で、後40回は不完全な形で残っていたものを高鶚が整理・増補し、出版した」ともいわれている<ref>伊藤漱平訳「紅楼夢」平凡社ライブラリー、9巻P411~413</ref>。完本は1791年(乾隆56年)に[[蘇州市|蘇州]]の萃文書屋より同作の初の活字本として刊行され、両者の名前から「{{仮リンク|程高本|en|Cheng-Gao versions}}」と呼ばれるようになった<ref name="wang"/>。以前は『石頭記』と呼ばれていた本作が『紅楼夢』と題されるようになったのも程高本からである。なお、続作部分で主人公賈宝玉が挙人に好成績で及第するのは高鶚の境遇が反映したものとも推測されている<ref>伊藤漱平訳「紅楼夢」平凡社ライブラリー、9巻P414</ref>。

2021年9月28日 (火) 09:35時点における版

高 鶚(こう がく、簡体字: 高鹗; 拼音: Gāo È; ウェード式: Kao1 E41738年頃 - 1815年[1])は時代の官僚文学者漢軍八旗の鑲黄旗に属した旗人は蘭墅[2]は紅楼外史[3]。1788年(乾隆53年)に挙人、1795年(乾隆60年)に進士となる[4]翰林院侍読[2]、江南道御史、刑科給事中[5]。後妻として詩人張問陶中国語版(号は船山)の妹を娶ったとされる[4]。なお張問陶と高鶚は同じ1788年の挙人である[6]。著作としては八股文の文集や集などがあったが、詩文の才はさほど抜群とはいえないと評されている[7]

程偉元とともに、80回までしか完成していなかった曹雪芹の『紅楼夢』に残りの40回を補って120回の完本とした人物。ただし、これには異説もあり、「前80回は完全な形で、後40回は不完全な形で残っていたものを高鶚が整理・増補し、出版した」ともいわれている[8]。完本は1791年(乾隆56年)に蘇州の萃文書屋より同作の初の活字本として刊行され、両者の名前から「程高本英語版」と呼ばれるようになった[3]。以前は『石頭記』と呼ばれていた本作が『紅楼夢』と題されるようになったのも程高本からである。なお、続作部分で主人公賈宝玉が挙人に好成績で及第するのは高鶚の境遇が反映したものとも推測されている[9]

出典

  1. ^ 辞海
  2. ^ a b 高鶚」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』、コトバンク、2014年https://kotobank.jp/word/%E9%AB%98%E9%B6%9A-61585 
  3. ^ a b 王竹「『紅楼夢』の思想的研究序論」『国際文化論集』第47号、297-322頁、2013年3月28日。 NAID 110009892177 
  4. ^ a b 中島長文「中國小説史略考證」『神戸市外国語大学研究叢書』第34巻、1-180頁、2004年3月30日。 NAID 110004677958 
  5. ^ 伊藤漱平訳「紅楼夢」平凡社ライブラリー、9巻P409
  6. ^ 伊藤漱平訳「紅楼夢」平凡社ライブラリー、9巻P409
  7. ^ 伊藤漱平訳「紅楼夢」平凡社ライブラリー、9巻P410
  8. ^ 伊藤漱平訳「紅楼夢」平凡社ライブラリー、9巻P411~413
  9. ^ 伊藤漱平訳「紅楼夢」平凡社ライブラリー、9巻P414