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「ディアウロス走」の版間の差分

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古代ギリシアの[[競技場]]は1[[スタディオン]]の距離の直線コースからなっていたが、この競技場の細長く伸びた形がアウロスと呼ばれていた。<ref>フェレンス・メゾー(大島鎌吉訳)「古代オリンピックの歴史」、ベースボール・マガジン社、1973年、pp. 92-93.</ref>ディアウロス走で選手たちは折り返し点を回って往復することで計2スタディア<ref>「スタディア」は「スタディオン」の複数形である。</ref>を走ったことから、「2つのアウロス(スタディオン)」の意味でディアウロスと名付けられたとされている。また、楽器の[[アウロス]]にちなむとする説もある。<ref>ジュディス・スワドリング(穂積八洲雄訳)「古代オリンピック」、NHK出版、1994年、p. 60.</ref>
古代ギリシアの[[競技場]]は1[[スタディオン]]の距離の直線コースからなっていたが、この競技場の細長く伸びた形がアウロスと呼ばれていた。<ref>フェレンス・メゾー(大島鎌吉訳)「古代オリンピックの歴史」、ベースボール・マガジン社、1973年、pp. 92-93.</ref>ディアウロス走で選手たちは折り返し点を回って往復することで計2スタディア<ref>「スタディア」は「スタディオン」の複数形である。</ref>を走ったことから、「2つのアウロス(スタディオン)」の意味でディアウロスと名付けられたとされている。また、楽器の[[アウロス]]にちなむとする説もある。<ref>ジュディス・スワドリング(穂積八洲雄訳)「古代オリンピック」、NHK出版、1994年、p. 60.</ref>


[[パウサニアス]]によれば、古代オリンピックにおける最初のディアウロス走の優勝者はピサのヒュペノスである。<ref>パウサニアス(飯尾都人訳)「ギリシア記」、龍溪書舎、1991年、p. 329.</ref>
[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]によれば、古代オリンピックにおける最初のディアウロス走の優勝者はピサのヒュペノスである。<ref>パウサニアス(飯尾都人訳)「ギリシア記」、龍溪書舎、1991年、p. 329.</ref>


== 註 ==
== 註 ==

2021年11月15日 (月) 10:34時点における版

ディアウロス走が描かれた壺

ディアウロス走(ディアウロスそう、diaulos)は古代ギリシアで行われた陸上競技の 1つで中距離走をいう。古代オリンピックにおいては第14回大会(紀元前724年)から、ピューティア大祭では紀元前586年から実施された。

古代ギリシアの競技場は1スタディオンの距離の直線コースからなっていたが、この競技場の細長く伸びた形がアウロスと呼ばれていた。[1]ディアウロス走で選手たちは折り返し点を回って往復することで計2スタディア[2]を走ったことから、「2つのアウロス(スタディオン)」の意味でディアウロスと名付けられたとされている。また、楽器のアウロスにちなむとする説もある。[3]

パウサニアスによれば、古代オリンピックにおける最初のディアウロス走の優勝者はピサのヒュペノスである。[4]

  1. ^ フェレンス・メゾー(大島鎌吉訳)「古代オリンピックの歴史」、ベースボール・マガジン社、1973年、pp. 92-93.
  2. ^ 「スタディア」は「スタディオン」の複数形である。
  3. ^ ジュディス・スワドリング(穂積八洲雄訳)「古代オリンピック」、NHK出版、1994年、p. 60.
  4. ^ パウサニアス(飯尾都人訳)「ギリシア記」、龍溪書舎、1991年、p. 329.

参考文献

  • 桜井万里子・橋場弦編『古代オリンピック』岩波新書、2004年

関連項目